1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. あくまでも前向きに

あくまでも前向きに

ここまで楽天的になるかって思うと、自分の性格を疑いたくなるが、でもですよ、ハマスとイスラエルの救いのない状況を見ていると、それでも、世の中よくなったなあと、ひょいと思っちゃったりするのです。

もちろん、現地の当事者の方々とは関係なく、この日本での私をとりまく状況がです。

それだって、どこがいいんだと言われそうですけどね。現地から日本人を救出するのに3万円の料金を取る政府とか、妙に最近、牧場とかスーパーとかせっせと見て回ってる首相とか、救いがないなんてもんじゃないですけどね。15日の学習会で、時間がないから発言はしなかったけど、現政権に対して言いたいことは山ほどある。それはまた明日にでも書きます。

で、私が「昔に比べりゃましじゃんよ」と感じてるのは、9.11.の世界貿易センタービルへの自爆攻撃と、それに引き続いた爆撃やら報道やらに比べると、今回は曲がりなりにも、ハマスの側の言い分や、これまでの歴史や、パレスチナの人々の実態やらを、きちんとテレビが伝えていること。市民の中でも、日本や世界やアメリカで、そういう視点が保たれていること。

9.11.のときの状況は、これに比べて本当に本当にひどかった。テレビや新聞だけでなく、私の周囲や、ネットでの友人たちまで、アメリカの被害者のことは自分の家族のように心を痛めて共感しまくり、その一方でテロリストの側には何の感情移入もせず、それに対して少しでも冷静であろうとしたフランスにまで、ヒステリックな反感をむき出しにしていた。

あのころは、まだ母が存命だった。そして母は「アメリカもたまには自国が攻撃されるのがどういうことか知ったがいい」と冷ややかに評していた。それをネットで紹介したとき、私に向けられた、親しい人たちの批判を、私は今でも忘れない。そのときの孤独と絶望を、今でも決して忘れない。

日本の大衆も知識人も、これほどアメリカと一体化していたのかと、本当に身の毛がよだつほど恐怖にかられた。一方で、その後、中東への爆撃の映像が流される時もテレビの解説者たちも視聴者も、その下にいる人たちのことは、まったく気にしていなかったことにもだ。

あの年の年末と正月、私と母は叔父夫婦とホテルで新年を過ごしていた。その後まもなく叔父はガンにかかって亡くなったから、私たちがともに楽しく過ごしたそれが最後の正月になる。でも皆で楽しく催しやゲームに興じる中、私は実はものすごく不機嫌で、隠してはいたけれど、あまり明るくふるまえなかった。

それは、へやのテレビが、「あのビルの爆撃のニュースで精神的にショックを受けた子どもたちを、どうやってケアしているか」という、アメリカの番組を延々と流していたからだ。それが頭から、ずっと消えなかった。自分たちは子どもたちの精神どころか肉体を破壊している爆撃を日夜、中東の上に加えていながら、この自国の子どもたちへの優しさは何なのかと、私は本当に、吐き気と目まいにかられていた。なるほど、こういう精神が、日本に平気で原爆を落とすのだなとも、よく理解した。本多勝一が指摘した、白人や欧米人以外への、無関心と差別意識と。ベトナム戦争にも、それがあらわだった。

しかし、私がアメリカを信じ、愛するのは、そんな意識のままに立ち止まってはいないことだ。じわじわと、やがて、テロリストやアラブの人たちの立場や心を理解しようという動きがアメリカの中に生まれて来るのを、私は息をのんで見つめた。そして、映画「シリアナ」「ミュンヘン」が、はっきりと、アラブの過激派の人たちの心を等身大に登場人物の一人として描くまでの時間の短さに、強い驚きと尊敬と信頼を抱いた。

もちろん、日本でも、そのような発言をする人たちがいた。そういう人たちがたゆまずに、張り続け、広げ続けた根が、今、私が「昔よりましじゃん」と実感する状況を生んでいる。パレスチナやアラブを一方的に悪役として片づけてしまわない、まっとうで賢い精神が、そこにはきちんと維持されている。ささやかなことかもしれないが、大事なことだ。せめて、このくらいは喜んでおかないと身体に悪い。

今日は朝から、枯れかけている、下の前庭のラベンダーの茂みを思いきって切りまくりました。しかし案外手こずって、へとへとになった割には、まだ半分ぐらいしか刈りこめていません。

夕方は、小さいデパートのようにいろんなものを売りに来てくれる、移動販売車の業者さんが来ました。近所の奥様たちと、おかずやお菓子を買った後で、「いやー、昨日のCSのホークスの試合は笑うしかなかったですね」と言っていたら、お一人が「息子が現地に応援に行ってるのよ」とのこと。「わー、それはがっかりなさったでしょう。でも試合としちゃ、面白かったですよね」となぐさめると、「実はロッテのファンなのよ。私もさんざん、応援用の旗を縫って、ロゴも刺繍させられた」と言われるので、「それはまた、一生に一度ぐらいの、めったにない最高の試合を見られましたねー」と笑った。

そうしたら、これもたまたま、広島の友人から、新米が小包で届いた。さっそくお礼を書くついでに、彼女もたしかカープのファンだったから「そちらは明日が試合ですね。健闘を祈ります」と書いた。そろそろプロ野球も終わりに近づいているのだなと思うにつけても、自分の仕事が進まないのに、あせりまくる。

Twitter Facebook
カツジ猫