あとまだ三日!
タイトルのような秒読み人生は、そろそろやめないと命取りだと、ずっと思ってるんですけどねえ…(笑)。
ゆうべの夜中に書き上げてアップした文章を、今朝さっきちょっと補充しました。
ありがたくも、はやばやと今朝までに読んで下さった方は、申し訳ありませんが、再度、最後のところだけ、読み直していただけるとありがたいです。
念のため、しつこくその部分を抜粋紹介すると、次のようなものです。
そして、くり返すが、このようなファンフィクションでの「絶対に強要しない、相手がわずかでも拒否したら、どんな進行状態でも即座に中止する」のが、どのくらい現実の性行為に関する常識になっているのかは、むろんわからないが、登場人物のこんな姿勢や発言が独立して唐突に出現するわけもなく、他の文学や現実の日常でも、ある程度は共有される感覚になっている可能性はそんなに低くないだろう。
だとしたら、そのような感覚を無意識に身につけた男女が、最初に述べたレイプ犯や裁判長のように、「拒否するのは媚態」「拒否され抵抗されるのは快感」「相手の居住空間に一人で入ったら性行為を了承したと同意義」などという、古色蒼然かつ異常な常識や感覚を予想できるわけもなく、その落差がどれほどの衝撃や苦悩や悲劇を生み、性格や人生を破壊されるかは、想像するにあまりある。
私は病的も異常も好きだから、「抵抗され拒否されるのは快感」「強要され蹂躙されるのは快感」という嗜好や性癖があっても別に悪いとは思わない。私にだってないわけではない。
しかし、それはあくまで個人的で、同好の士とともに楽しむものだ。煙草を嫌いな人の口に着火した葉巻を押しこめ、酒の飲めない人の口にじょうごでワインを注ぎ込み、ヘビの嫌いな人の首にニシキヘビを巻きつけるのと、まったく同じ、このような行動を、一般的な社会常識や司法判断の基準にすることは絶対に許してはならない。そこの区別がつかないような人間は裁判長や医師にはもちろんなるべきではないし、一般的な人間としての最低限の教育や矯正をまずは受けた方がよい。
年末直前のこの時期には、あまり面白い番組もない。一年をふり返った被災地の方が、生中継で「珠洲市に原発を作っていなくて本当によかった」と最初にはっきりおっしゃったのは心に残った。むろんアナウンサーたちは何のフォローもせずに、この発言を黙殺した。
ものすごい雪の映像を見るたびに、被災地の方々の毎日を思いやる。昨日は暗くなるまでかかって、どうやらこうやらしめなわやお鏡餅を飾り終えたのだが、戸外にいると凍りつくような寒さで、またつい野良猫や被災地のことを思い浮かべて苦しかった。
ともあれ、お飾りはすませたものの、仕事はまだ山積みだし、家はますます散らかっている。まあできることをするしかないか。