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あららっ!

もう終わっちゃうの? 「しんぶん赤旗」連載の小説「お茶しようぜ」。
 他の連載小説と比べても、いやに早い気がするなあ。何もなかったのならいいけど。
 「燃える花の名前」も全然買えないし。いやんなる。

まあ「お茶しようぜ」は、たくさんのことを教えてくれたし、それは知識とかだけじゃなく、心の優しさとか強さとか、自分の中から見つけ出せたみたいな感じもあって、ありがたかったんだけど。
 何しろ最近、多分この小説のおかげなんだろうと思うが、私の中の愛情や惻隠の情は海のように豊かになりすぎて、高市首相の言うことすること見ていても、腹が立つとか恐くなるとかより先に、この人今も昔も幼いころからも青春時代も、こういう生き方や考え方以外のことを直接間接に教えて、伝えてくれる人が、ひとりでも回りにいなかったのかしらと、ひたすら不思議に気の毒に思ってしまう。

家族でも友人でも恩師でも知人でも、小説や映画の登場人物でも、誰かの生き方やことばを思い出すだけで、「これはやめとこう」「これはあの人ならしない」とかブレーキがかかる存在って、なかったんだろうか。

昔、恩師の中村幸彦先生に何かのお礼状を書いたとき、私はつい、「この間の職場の混乱の中で、自分の生き方を決めるとき、先生がこれまでなさって来たこと、あるいは決してなさらなかったことを思い出すことが、どれだけ助けになったかわかりません」と書いたものだった。そんな存在が私にはいくつかある。

昔、同人誌を作っていたときのメンバーの一人に指摘されたが、「文章を書くことって、あなたには神のような存在ね」と言われた。多分言った本人もよくまとめていたわけではなく、大きな印象として言ったのだと思うが、それも私は正確だと思う。世間や他人の評価や基準とは関係なく、自分で納得できず説明できないことをしてしまったら、私は多分、もう文章が書けなくなる。それは村八分や孤独よりずっと私には恐い。自分と切り離されてしまうのが。自分と向かい合えなくなるのが。

高市氏や梁氏には、そういうことがないのだろうか。「私の過去を知る人が皆死んでしまえばいい」と高市首相はかつて発言している。それは「自分が生まれていない時の自国の犯罪なんかに責任を感じないし、感じるべきだとも思わない」の発言と、首尾一貫している。人の生き方はさまざまとは言え、何となくこういうのは放送禁止用語を使えば「キチガイに刃物」みたいな感じで私はびびるが、本人だって楽じゃなかろう。

まあとにかく、「お茶しようぜ」はあと数回で終わる。
 私の大好きなコミックの一つ「メタモルフォーゼの縁側」に登場する老女が、たまたま読んで好きになったボーイズラブ漫画が、隔年にしか続編が出ないことにあわてて、死ぬまで何冊読めるかとあせる場面がある。私にもそういうことはときどきあって、ひぇ~死ぬまでに完結するのかよと思ったりもする。それよりはましかもしれんけどな。ラストを見届けられるのは。

今日は涼しい。わずかな風に、天井のモビールの黒いお魚がくるくる泳いでる。黒いのは淋しいかと思っていたけど、ごちゃつかないで、あたりがひきしまって、シャープな感じがとてもよい。これを見上げる猫たちのぬいぐるみとの一括画面が、どう工夫してもうまく写真に撮れないのは、周囲の片付け中のがらくたも画面に入ってしまうからなので、それを早く何とかしなければ。

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カツジ猫