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いちかばちか

朝から曇って雨が今にも降りそうだから、どうかなと思いつつも、水まきをやめていた。雨が降らなきゃ夕方に水をまけばいいかと、いちかばちかと待っていたが、やっぱり結局降らなかった。この展開が一番キライだ。
 まあ、気温はそこそこ低く、風もあったので、家の片付けや、伸び放題のリュウキュウアサガオをぶったぎって、一日を過ごした。夕方、あきらめて、たっぷり水をまいてやった。先日植えたイチジクは、どうやら無事に生き延びている。肥料をやりたくてしかたがないが、きっとやりすぎると、またよくないんだろうから、我慢して見守っている。毎日一個ずつ実が熟れて、水まきの間にちぎって食べていたが、もうそろそろおしまいになるかな。

ここまでが、昨日の話(笑)。

月の中旬に来る予定のお客様が、月末においでになることになり、やったー、それまでには家を片づけられるかもと、ガッツポーズをしていたところが、別のお客様が中旬においでになることになり、わあ!と、うれしがりながら、あわてている。もう、こうなったら悪あがきしないで、せいぜい散らかったままの部屋でお迎えするしかないかな。無理して働いて、お会いしたとき、へたれて元気がなかったら、何のことだかわからないし。

幸い、あいかわらず少しは涼しいし、ぼちぼち仕事はできそうだ。

とりあえず、前回に予告した、高市内閣の支持率持ちなおしについて。支持率だけでかっこうつけてる内閣だから、どうせ、金とコネを使いまくったスマホ農場とやらで、支持率も操作してるんだろうとしか、もはや思えないし、連日街頭やネットで広がりつづける戦争反対、首相退陣を訴えるデモや集会を、まだらぼけならぬ、まだら意識障害みたいに黙殺して報道しないメディアは支持率よりも、そういう抗議行動を紹介したらどうなんだとも思う。でもまあ、そうやって無視してるのも大人げないから、ちょっと支持率の話をまともに受け入れてやって、感想を書くことにする。

物価も外交も災害対策も、何一つ支持率が上がる要素なんかないと思うが、しいて考えれば、どんなにろくでもない政権でも、そのズタボロぶりが腰巾着みたいなメディアのおかげで、まだ明らかになっていない現状では、とにかく国が回っているのだから、いいんじゃないかと思ってしまうのに加えて、現内閣が引っ込んだとして、そのあとを担う野党の中心が、何だかまったく頼りにならない感じがするというのも多分大きいんだろう。

私個人としては、いかに不満や文句や未知の不安があるにしろ、共産党と社民党とれいわしか未来を託せる勢力はないと決めてるから、迷いも不安もまったくないが、そうでない人たちにとっては、参政党や維新は問題外としても、公明党や立憲民主党、その他何だかよくわからないあいまいな諸政党の動きは、一向にまとまらないし、方向は見えないし、そのくらいなら、わかってるだけ今の悪の方が安心できるという心境になってしまうんだろうか。

それでも、立憲や公明は、今の自民党と維新の政権に比べたら、まだ昔ながらのちゃんとした政治のモラルや常識は守っているだけでも、はるかにましだし、支持できるし、少々手際が悪くてもドタバタしても、ずっと信頼できるし未来を託せる。ぜいたくを言わなければ、自民党内部のまともな部分でも、現在の高市政権、特に麻生氏の息のかかった勢力以外なら、まだ何とか我慢できるかもしれない。何しろ今の政権、今の首相は、放っておいたら、クマや台風や津波以上に、日本を破壊しかねない。

第一、悲観主義の私でなくても予想できるのは、高市政権が崩壊したら、次に出てきそうなのは、小泉進次郎氏になりかねない。そして私は、どっちがましかというような不毛な選択はしたくないし、しないが、小泉氏の人柄というか生き方は、根本的に好まないし、認められない。ぶっちゃけ、高市早苗氏の言うことすることは、何から何まで予想できないほど、毎回とことんアホらしすぎるが、あまりのしょうもないぐちゃぐちゃぶりが、いっそもう、退屈しないだけ、やけな退廃的気分を刺激されて、心のマッサージにならないもんでもない。その点、小泉氏は、バカというかアホというか何でもいいが、そのスケールがあくまでも無難で、ちっぽけすぎて、いじましい。こっちがとことん不景気な気分にさせられる。

そんな人があとをついで、とって代わるかもしれないと思いながら、それでもなお、その危険をおかしても、高市さんに辞めてほしいと願ってるんですよ私は。この犠牲的精神というか、覚悟のほどを知ってほしいわ。それに比べりゃ公明党や立憲民主の頼りなさや危うさなんて、よっぽど安心できるんだから、そのくらいの冒険はしてみてほしい。

むかーし、私の叔母がさ、ゴルフ場でキャディーさんが忙しそうだったから、常日頃のおせっかいな親切心で、自分でカートを押して移動してたらしいのね。そうしたら坂道でカートがとまらなくなって、ひっぱられて自分も落っこちて、足折るかどうかして入院したのですよ。私が見舞いに病院に行ったら、ホテルみたくぜいたくな個室で、居心地よさそうに過ごしていたから、あんまりかわいそうにも思わなかったけど。

身内に冷たくよそさまに親切なのが特徴のわが家では、母も祖父母も叔母のその負傷について、「何でカートが制御できなくなったときに、手を離さないんだ。そうしたらカートだけ落っこちてって、何てことなかったはずなのに」と、バカにしてたのです。そうしたら、近所のお百姓さんが遊びに来て、その話を聞いて、笑いもしないで同情して、「それはよくある事故だ。農機具の車が暴走したとき、押していた人はまず手をはなせない。必ずいっしょにしがみついたまま、引っ張られて行って大けがをする」と言ったんですよ。

「へー」と一家は感心しましたが、それで叔母への同情が深まるわけでもなかったようです(笑)。でも、その時、子どもごころに私が思ったのは、たしかに、そういうものなんだろうけど、私の母は少なくとも、絶対そういう時にカートでも農機具でも、手を離して、勝手に暴走させて、自分はそこに残るだろうなということでした。
 なぜそう思ったのかはわからない。でも母はなぜか絶対に、そういう時には人とちがって、本能に逆らい、生き残れる意志と感覚を持っているだろうなと、私は知っていた気がします。

まあそれは、どうでもいいんですが、もちろん私は叔母と同様、手が離せなくてひきずられてしまう人間でしょうが、つまりですね、高市政権に限らず、暴走し始めて奈落に向かって行くものに、それでもしがみついてしまうぐらい、手を離して、一人で坂の途中や山の上にぽつんと取り残されるのは、心もとなく、恐いものだと思います。でも、それでも、手を離さなきゃいけないんじゃないでしょうか。手を離せずにひっぱられて奈落に向かうことは、決して現状維持でも保守でもない。それはものすごい勢いでの移動だし変化だし墜落なんですよ。じっとしているように感じていても、実はまっさかさまに落っこちて行ってるんです。

あ、小泉進次郎氏への不信については、長くなるからまた次に書きます(笑)。

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