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おいしい風

二日間、エアコンを入れてない。それほど涼しくなって来た。ずっと締め切りだった窓やガラス戸を開けたら、いつ以来かというようなさわやかな風が通り抜けて行く。ベッドに転がってそれに吹かれていると、まるでおいしいものでも食べているように快い。ひとつ非常にまずいのは、それがもう外出や読書や食事や、その他の何よりも楽しくて贅沢で、ついいつまでも、そこに横たわって風に吹かれてしまうこと。アルプスの高原やハワイの浜辺に行ったって(行ったことないけどさ)、これほど幸せとは思えない。

このまま暑さがおさまるといいけどなあ。
 そして、へやがきれいに片づいていたら、もっといいのになあ。

高市内閣の支持率が、また上がったという話と、福岡県議会のめんめんが、またしても公費を使った旅行先で、どんちゃん騒ぎをして、舞台の上でタイタニックごっこ(例の船のへさきのシーンで、男性が女性の腰を後ろから抱いて支えているポーズ)をしてた写真が公開されて、批判が高まっているという話と、どっちも負けずにうっとうしいが、時間がないから、一つずつ行く。支持率の話は明日に回して、タイタニックごっこの話から。

福岡県議会のたたけばほこりが出るどころじゃない醜態の数々は、現地のメディアや県民の恥でもあることは承知の上だが、私はその県民の一人として恥も責任も自覚するけど、一方で誇りのようなものも、ちょろっと感じている。
 ほかでもない、全国のマスメディアは、ほぼ赤旗と文春と女性週刊誌以外は皆、高市内閣の数しれない疑惑や選挙違反やその他の犯罪行為について、まったく追求も報道もしなかった。どう考えても、よっぽどの圧力や金銭が動いて報道を規制してるとしか思えなかった。

だが、今回の福岡県議会の醜態は、高市首相や自民党が「自分たちには関係ない。自分たちは潔白だ」との態度で、公認拒否などの姿勢を示して、トカゲの尻尾切りで逃げ延びようとしているのが幸いして、国全体のさまざまな問題には箝口令がしかれていたとしか思えない、メディアが、遠慮なくその実態を告発し非難している。アナウンサーもコメンテーターも市民も、あんたらそういうことが言えたのかいと驚くほど、まっとうな正しい見解を述べている。

はーあ、なぜそれを、国の政治に対しては言えなかったのかい、現内閣や自民党や首相や大臣たちと、福岡県議会のやってることは、まるで同じじゃないかいなと、あきれかえる毎日ではあるが、とにかく主語がちがうだけで、まともな正しい批判がメディアで流れるだけでも、まともな神経がまだ残ってたのか、まともな神経とはこうあるべきだったかと、確認できてほっとする。「福岡県議会」という主語で、これをそのまま言い続け広め続ければ、その内に主語は「高市内閣」「自民党本部」でも立派に通用することに、皆が慣れてくるのじゃないかと思うのは甘すぎるだろうか。

とにかくそうやって、今のところ恐れ気もなく、全ワイドショーや新聞が福岡県議会をちらとも擁護せず、いつか忘れたほどの遠い昔のメディアのように、正しい批判をたれ流しているのが、私には救いである。みっともないことはわかっているが、こんなめぐりあわせで役割を果たしたわが県議会に、私は一縷の希望と救いを見て、この県議会とそっくりの政府や内閣の実態を浮かび上がらせてくれたことに感謝するのだけど、これってやっぱり、ヤケかしらね。

さはさりながら、タイタニックごっこの話には、それとは別の意味でがっくりした。
 たまたま、金曜日のテレビであの映画の再放送があって、ついつい見ていたら、映画館でもしっかり見て、感想も書いたつもりだったけど、私の記憶以上に、あの映画、オーソドックスの正統派の作り方で、あのころしばらく下火になってた、まっとうな正義感や良識を露骨なぐらいはっきりと主張していた。特に、富裕層の悪と貧困層の正義とを、これでもかというほど描いていて、同時代の「プリティ・ウーマン」をはじめとして、「金持ちは別に悪じゃない」をうたった映画が一般的になりかけてた時期に、弱者によりそい、強者をたしなめる昔ながらの文学や映画の伝統を堂々と回帰させた大作として、私はうれしい驚きに満たされたのを忘れない。

福岡県議会のめんめんは、あんなアホな遊びをするぐらいなら、当然「タイタニック」の映画は知ってるだろう。ひょっとしたら見たかもしれない。
 どっちにしても、彼らはあの映画の訴えたことを、まったく理解しなかった。正義感も愛も勇敢な心も、美しい生き方も、誇りある行動も、自己犠牲も、弱者へのいたわりも、強者が果たすべき義務と責任も。あの映画が最も唾棄すべきものとして描いた、うぬぼれ、傲慢、不道徳、金への執着、だらしなさ、その他すべての醜さをだだ漏れにした遊興の中に、あの映画をひきずりこんで、汚い心と無知な頭で、凌辱し、泥にまみれさせたのだ。そのことに私は何より腹が立つ。仏像やマリア像で自慰やレイプをするのにも等しい行為と言っても言い過ぎではない。

まったく同じ怒りを、自分の人間らしさを宣伝するのに、手塚治虫の「火の鳥」を引き合いに出した首相にも感じる。これらの人々にとって、ことばや映像や芸術は、その表現や内容を楽しみ受け止め理解し感動するものではなく、ただもう、自分が利用できるものかどうかの価値しかない。道に落ちているものでも何でも、拾ってかじる汚さ、いやしさ、そして愚かさ。

私は、こういう自民党政治と、それに追随させられるメディアを作った張本人として、安倍元首相を決して許さないし、高市首相以上に大嫌いだ。
 しかし、少なくとも、上にあげたような点では、安倍氏は彼なりの感受性は有していた。彼の首相時代、たしか世界的にも日本でも「レ・ミゼラブル」が大ヒットしていて、この映画も原作も、「タイタニック」と同様の、人類の正義と愛、弱者への共感と強者への戒めを訴えた骨太の正統派の作品として、私はとても安心できたし、好きだった。

で、安倍首相はこの映画を見て「そんなに感動しなかった」と言い、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(くっだらない邦題! 原題はただ「鉄の女」)の方がよかったとか言ったんだよね、たしか。
 私は大いに笑ったが、その時だけはちょっと安倍さんが好きになったというか、感心したというか、信頼した。そりゃ、あれだけ弱者をしいたげ、強者に尾を振る政治をしまくっていて、「レ・ミゼラブル」に感動なんかしたら、どう考えても精神に異常をきたしてるとしか思えなかったから、少なくともこの人の感性はまともだわと思ったものだ。だからこそなおのこと、絶対に指導者や支配者にしちゃいけないとは思ったけど、まあそれはそれとして(笑)。

ということで、今夜はここまで。支持率の話は明日また。今日は先日いただいた立派な梨がおいしいのと、地域の方との読書会に協力して下さる方が見つかりそうなのとで、少々浮かれているところです。

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カツジ猫