こりゃいかん
「断捨離狂騒曲」の続編?「断捨離乱れ箱」が6月に出ます。一足先に何冊か届いたので、知り合いに送っていたのですが、どこからも返事がない。私も本もらっても返事出さないことがしょっちゅうで、それはちっともかまわないんですが、時が時だけに、何人かはコロナでどうかなってるんじゃないかと、ひやひやしてました。
そうしたら、今日いっせいにお礼のメールが来て、昨日受け取りましたと皆書いている。連休で郵便が遅れたのだったらいいけれど、まさかコロナで遅れがちになってるのか? それじゃ残りの人にも早めに出した方がいいな、と、またあせる材料がひとつ増えた(笑)。
で、今日こそは、そういう仕事もしようと張り切っていたのに、朝ベッドの中で枕元にあった米澤穂信の文庫本「満願」をつい読み始めたら、やめられなくなって、半分ぐらい読んでしまい、もうこんな時間だよ、あーあ。
数日前に買ったのですが、買ったときから思ってたけど、前にも買って読んでるのよね。その記憶がおぼろにあるのだけど、なぜこう覚えていないのだろう。よっぽど忙しい時か心ここにあらずで読んだのか、肝心のことはあらかた忘れているのに、全体の雰囲気や骨組みははっきりと記憶にある。認知症の初期症状かもしれませんが、ちょっと珍しい体験で、これはこれで、なかなか楽しい(笑)。
短編集なのですが、中にはそれこそ今の時期だからこそ、ひぇっ、ひゃっ、と首をすくめたくなる恐さのものもあって、いやもう悪くありません。
勝手気ままを言わせてもらうと(まさかこれも、どうかして著者の目に触れたりしないよなあ。例の感想が牧原選手に続いて周東選手のハッシュタグにもリンクされてたし、本当に悪いことはできない。それでも、あれはまあ関係者に見られてもぎりぎりセーフのような気がするけど、こちらは作家の人には何がしかの影響を与えそうなのが超恐い)、私は米澤氏ご自身もファンもきっと大好きだろうと思うタイプの登場人物が、嫉妬かもしれないけど、なぜか皆、微妙に嫌いなんだよね。読むけど。で、そういうタイプの人たちが、この短編集にはちっとも登場しないのが、なぜかとっても気楽に読める。いいのかなあ。こういう心理って、私だけなんだろうか。
ノラ猫さんは、ヒアリの薬の粉末はいやだったらしくて数日、糞の被害はなかったけど、今朝は久しぶりに、すみっこの薬がないところに糞をしていました。まあそうあっさり、ぴたりと止むとも思ってなかったので、片づけた上にまた消石灰をどさどさまいておいたけど、どうなるかな。持久戦と言うより何かの実験をしてる気分になります。
さて、何とか十時台には、ごはんを食べられるだろうか。