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しょーもないリベンジ

例のイワシのぬいぐるみだが、作家さんに到着報告をかねて、作品の簡単な感想をメールしたら、ていねいにお返事があって、ひとつひとつのイワシの色への思い入れとかも伝わって来た。それに刺激されちゃって、思わず朝っぱらから、というより夜明け前から、ひとまとめにつるしていたのを、なるべく見えるようにレイアウトしてみた。まだ外から見ていないから、あんまり変わらないかもしれないが。
それに夢中になってたら、危うくラジオを聞きながら毎朝やってるラジオ体操に遅れてしまうところだった。最近は若いときにも子どものときにもやったことがなかった、第二体操まで挑戦している。最初は飛び上がるのが全然だめで、足がぴくりとも地面から離れなかったのだが、今は片足跳びまで、何とかやれるようになった。いひひ。

ゆうべは寝落ちして、不幸な恋人たちの文庫本は読み上げそこねた。その前に読んだ垣谷美雨の「40歳 未婚出産」も楽しめた。彼女の本があまりによく出るので(そして私がつい買うので)、そろそろマンネリにならないかと気になるのだが、そうなってないから助かる。ヒロインが思わぬ妊娠をしても、性格が変わらずちゃんとしっかりした40歳なのが、当然なのだが救われる。

最近本当に口に出さない頭の中だけでも、コメントに困る事件が多い。例の大学入試カンニング事件でも、言っちゃいけないかもしれないし、そもそもまちがいなのかもしれないが、私とっさにカンニングで外部に回答を依頼した問題が世界史というだけで、「はあ!?」と思ってしまうのだよね。物理とか数学とか文系でも古文ならまだしも、世界史なんて一番、それまで努力していれば何とかなる分野じゃないかと思うのは偏見かしらん。そんな知識まで他人の手を借りてるようじゃ、とてもそれまで必死で努力してたとか、何が何でも志望校に合格したかったとかいうのが、もう実感として伝わらんのですが。そもそも、その自己判断(がんばってるとか、合格できる望みがあるとか)が決定的に救いようなく、狂ってるんじゃないかとしか思えない。

大阪のクリニック放火事件も、東大前の刺殺未遂事件も、まあそう言えば皆そうだが、今回の埼玉の人質事件も、何から何までもう私の感覚と理性の手に余る。いやもう、タリバンが中村哲氏を殺したときと同様、何ともったいないことを、世の中や自分のために一番大切な人をよりによって消さなくてもよかろうに、バカにもほどがあるだろう、みたいな、どこか罰当たりな感想をとっさに抱くのも我ながら困るが、その後「母が死んでもういいことがないと思って」という、この絶望は何なんだろうな。私は猫でも家族でも、愛したら愛しつくして全身でつくすが、それだけにくたびれてつらくて、死んだりいなくなったりしたら、生きている間につくして愛した分だけ、ほっとして救われて、安らぐ。

もちろん、それだけではないけれど、前にいた愛猫キャラメルが死んだあとは、いつまでも淋しかったし苦しかったけど、でも、それでも、「私が先に死んで、キャラメルが残されるより、この方がどれだけましか」とは絶対に確信していた。それは救いで、安らぎだった。

そういう感情のもろもろが、この九十二歳の母親を狂気のように守って介護していた男性には、まったく生じなかったのか。もう本当に不思議で不思議でしょうがない。Yahooのニュースのコメント欄で、看護師さんたちが、「こういう家族は多い」と言っているのが、なおのこともう信じられない。言っちゃ何だが私なんぞは、愛する者が死んだとき、喜びや安らぎを全然感じない家族や恋人なんか、そもそも、その生きてたときの愛し方も、さぞかしいいかげんだったんだろうなとまで思ってしまう。まだしも、介護疲れして我が手にかけて殺してしまう人の方が、その愛の深さが理解できる。

だから私は、自分自身の死についても、身も世もなく嘆く人なんかいたら、さめまくる。私のことを何も理解してないし、悲しんでいるのは結局自分にとって都合のいい存在が消えたことを残念に思っているだけだろうがとしか思えない。それに周囲や私が気づかないと思っている、みっともなさと頭の悪さも、見ているだけで恥ずかしくて死にたくなる。あ、もう死んでるからいいのか。

話はがらっと変わるけど、最近ちょっといいことがあって、近所の少し上等のファミレスに行ってステーキを食べた。二度同じメニューを注文したが、微妙に冷めてて、いまいちだった。二度目にはにこやかに、「この前はちょっと冷えてたから、なるべく早くお願い」と伝えて、ウェイトレスさんもにこやかにお詫びしてくれたのだが、結果は同じこと。ステーキの上のバターがとけてもいないし、湯気のひとつも上がってないって、それ何よ。安くもないのに。
コロナその他で何か事情もあるのかとも思ったけど、近くの席の人のハンバーグだかステーキだかの皿から、ちゃんと湯気が上がっていたようだから、そういうことでもないような。

まあ、少しちがったメニューを注文するって手もあるが、そうそうお祝いしたいいいことも続くまいし、お金もないから、それもいつになることやら。
そこでつい、もうまったくしょうもないリベンジだが、以前行っていた、もうひとつのステーキ屋に行ってみたくなって困っている。とにかく、ソースをかけたら飛び散るような、熱々のステーキを思い出したい。
我ながら、不毛だな(笑)。

明るくなったので、さっき外に出て窓を見たら、こんな風になってました。もう、おどろおどろしいのか何なのか、感覚が鈍磨して自分でもようわからんっす。

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カツジ猫