ずるいんだから、もう
暖かすぎて、ついだらだらと過ごしてしまう。部屋のすみに突っこんでいた、実家から運んで来た祖父母や母たちの古い手紙を整理していたら、長崎の活水の寄宿舎にいた姉に、大阪の医専にいた叔母が出した手紙が山ほど出て来た。祖母もまた二人の娘にまめに手紙を書いていて、これも相当な数である。親戚に送ろうかと思って面白そうなのを探していたら、一日過去をさまよったように、ぼうっとしてしまった。
叔母と母は、まったく気が合わず性格も真反対と当人どうしがいつも言っていたし、私たちもそう信じていたのだが、何の何の叔母の母への手紙など、ラブレターのように甘くでれでれしているし、多分母もさぞかし楽しい手紙を書いていたのだろう。親切心から田舎の家を片づけてくれた隣人が、大量に廃棄した文書の中に母の手紙もあったかと思うと(叔母は「母からの手紙」「姉からの手紙」と白いボール箱にきれいに表書きして保管していた。親切な隣人は、中身を全部捨て、その箱も解体して、たたんでゴミに出そうとしていた)三年経った今も、身体に痛みが走る。引き裂かれ破られた手紙と、消え去った母のことば。読みたかったと、つくづく思う。
「アンネの日記」は有名だが、お姉さんのマルゴットも日記をつけていて、これは紛失している。彼女の日記の方が面白かったのではという人たちもいる。そんなことも思い出す。ことばや文字は、その価値を理解しない人たちによって、何とあっさり、この世から消えてしまうのだろう。
母も叔母も欠点や弱点の多い人ではあったけれど、その精神は基本的に剛毅で高潔だった。その人たちが書いたことばもまたそうだろうから、無残にこの世から消されたとしても、恨んだりたたったりすることは決してないだろう。そんなことは、彼女らと、そのことばの誇りが許さないだろう。だから私も嘆きすぎたり、こだわり過ぎたりはしないことにしている。
それにしても、母と叔母の関係がその後そう変わったとも思えないから、二人は結局、たがいの悪口を言い合っていても、実際には信頼し愛しあってもいたのだとよくわかって、私はまたしても、やられたと苦笑している。
「私には友だちが多い」とか「仲のいい家族だ」とかいうことを、口にする人の気持ちが私はよくわからない。母や叔母は、特に母は、その反対に仲の良さや信頼関係を口にしないで、むしろ隠していたような気がする。それだけ相手への信頼と尊敬があったのだろうし、心は豊かで落ちついていたのだろう。まったくもう、ずるいんだから、もう。思わずそうつぶやいている私だ。とっくに死んだ二人に向かって。
まだ読んでいないが、爆撃で破壊された図書館を、瓦礫のなかから拾った本で再建した記録の「戦場の希望の図書館」という文庫本があって、今もウクライナでそういうことが起こっているのだろうかと、ふと考えてしまう。
今朝ぼけっとラジオを聞いていたら、そのウクライナ情勢について討論会があっていて、ロシアというかプーチンへの制裁について語られていた。たしか林外相だったと思うが(ちがったらごめん)「他国と足並みをそろえて、おまえのところはやってないじゃないかと言われないように」対応を考える、と発言していて、もうそう思うまではしょうがないということにしてやるから、堂々と口に出すなよーと、がっくりした。
林大臣って、たしかアベが嫌っている人で、だからもうそれだけでも本当は支持したくなるのだが、それにしてもなあ…率先して周囲に影響与えて世界を変えて行くという気概や覇気や展望や省察は、この人たちの頭の中にはないんかい。
まあそう言ってる私だって、ウクライナに対して何をしているわけではないし、子どものころ読んだ「隊長ブーリバ」を読んで、あらためて、あの地域に思いを馳せているだけなんだけど。
原久一郎の名訳は、コサックたちが馬で進んで行く草原を、次のように描写している。
先へ進めば進むほど、広野はますます美しくなった。黒土の地面は黄と緑がまじりあって、海のようにひろびろと開け、さまざまな花が数かぎりなくさきみだれていた。たけの高い細い茎をおしわけて、空色や、黄色や、ピンク色や、紫色や、血のような赤い色をした花が、いたるところにさきにおっていた。えにしだが金色のピラミッドのような形をした頭を、ぐいと空にむけてさしのべていた。クローバがまるく白い花をからかさのような形にぱっぱっとひろげて、そこにもここにもさいていた。どこからどういうふうにして運ばれてきたのかわからないが、ふしぎなことに、こんな広野の奥深い草原に、むぎの穂が一かたまりになって実をむすんでいた。と見ると、その細っこい根の下の方へ、しゃこが一つ、首をのばしてもぐりこんだ。空では種々さまざまの小鳥が声高くコーラスをやっている。大きなたかが一羽、ぱっとつばさを張りひろげて、大空の一つところをくるくる舞い飛びながら、じっとするどい目で地面の草の間を見つめている。横の方へ飛び移っていく野がもの群れのさけび声が、どこか遠くの水面にこだました。ふと気がつくと、一羽のかもめが、ゆるやかに羽ばたきして、ぱっと飛びたち、青々とした空気の波のようにうねっている中を、たくみに泳いだ。かもめはみるみるうちに高く飛びあがり、ああ、もう黒い点のように、ぽっちりと空に姿をとどめているだけになった。おお、見よ、かもめはつばさをひるがえした。そして太陽の前をかすめて飛び過ぎた……ああ、じつになんともいわれない、ウクライナ広野よ、おまえはまあなんという美しいながめだろう……!
こんな美しい土地が今、爆撃され破壊されているのか。そして、その前に人間はこのような美しい土地にチェルノブイリを建設したのか。
「隊長ブーリバ」は勇壮な物語でもあるから、ウクライナのコサックたちの勇猛な戦いぶりも語られている。ロシア軍が最初の予定のようにキエフを制圧できてないという話を聞くと、そりゃ、あのコサックの血を引く国民だものと、つい考えてしまう。
それでまたつい、私の小さいころの絵から、「のはら」と題が書いてあるのを紹介しておこうかな。こんな時に見るせいか、どこやら原さんの翻訳してくれたウクライナの草原をちょっと思い浮かべてしまう。うちの近所にこんな風景はなかったから、多分私の空想の中の野原や森って、こうだったんだろう。