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怠け者のいちゃもん

ロシアとウクライナについては、デマも多いからうかつに情報を拡散しないでほしいとの意見もツイッターで見るのだけど、それはもっともと思うけど、そういうかたちでの情報拡散抑制もあるのかもしれないと、つい疑心暗鬼になる私。

テレビは最近見ないからワイドショーの論調がどうだかは知らないけど、湾岸戦争の時みたいに炎の下の町や市民をまったく想像もせず、ゲームのように戦争を評論しまくっていた、あの頃の数々の番組より少しはましになってるんだろうか。

そして、ウクライナが侵略されたことで「憲法9条があっても、こんなときに役にたたない」とか言い出してる人がいる(また維新だよ)と聞いて、そのぶっとんだ発想だか連想だかに、あいた口がふさがらない。

私は新宗教の信者の人たちなどが、もちろん真剣なお気持ちでだが、勧誘によく用いる「こういうことは科学では解明できない。だから神を信じないと」とかいう論法を聞くたびに、何とまあこの人たちは科学を信じ頼り切り、それが万能でなくちゃならないと思ってるんだろうかと驚いてしまう。人間なんて科学なんて、宇宙の中ではゴミですよ。それでちょこっと何かがわかったり出来たりしたって、わからないこと、できないことの膨大さに比べれば、ミクロン以下の小ささでしょうに。

それと似たものを感じるのよね。そりゃ新宗教の人たちの方がずっと良心的で立派でしょうが、その「これだけ持っておけば、何でもできる」みたいなものがないと安心して暮らせない、生きていけないって、ぐうたらの私が言うのも何だけど、何てナマケモノなの、ととっさに感じる感覚が、どこかで似ている。

私は憲法9条に守られているなんて一度も思ったことも感じたこともない。常に必死で守っているという実感しかない。これがあるから他国に侵略されないとか、そんな甘いこと考えてるんですか、役に立たないとか文句言う人たちは。憲法を知ろうとも学ぼうとも守ろうとも多分まったくしないでいて、それに守ってもらえるとか、すべてが都合よく行くはずだとか期待するのって、どっかで買った水晶玉かツボか何かを日夜なぜてる方がまだましなレベルの楽天主義者の怠け者だろ。憲法に限らず、自衛隊でも政治家でもとにかく自分じゃない誰かにすべてをまかせておけば、専門家が何かどうかしてくれるから、ぼけっと暮らしておけばいいと思ってるんだろ。

いいよ、そういう生き方でも。でもそれなら死ぬまでちゃんと、ぼけっとしとけよ。自分が自分の人生や社会を人まかせにしていたからって、何か不都合があったときに、えらそうに利いた風なことを言うなよ。番犬にエサもやらず、防犯装置の電池も替えず、役に立たないと言っていちゃもんつける、こういうのって最低。ああ、もしかしたら大阪がいろいろとんでもない状況になってるのも、こういう、怠けまくったあげくに責任は皆自分以外に押しつけるのが骨身にしみついてる人たちがトップにいるからなんだろうか。

そういうアホはほっとくとして、ロシアというか旧ソ連は第二次大戦のときにヒトラーに攻め込まれて、ヨーロッパの各国と比較にならないぐらい軍人だけじゃなく市民も大勢死んだ国だ。だからこそ、平和を守ろうという意識や教育は他国と比べ物にならないほど強かったはずだ。その精神がどんな残滓のかたちでも、まだどこかに染みついて、残っているのを信じたい。国内で反戦デモが行われているというニュースを見ると、やせても枯れても腐っても、社会主義国として持っていた、人類としてのモラルを失わない人たちが、まだまだいると信じたい。

そんなことを考えながら家中を取っ散らかして、母や叔母や祖父母の古い手紙を整理している。昨日紹介した私自身の小さいころの絵の中には、応接間の棚にいつも飾ってあった、木製の小さい家を描いたものもあった。これは実物が今も残っていて、私も書庫の棚に飾っている。すっかり古びて、左側の赤い屋根は取れてなくなってしまっているが、こうやって健在なのが、あらためて、たのもしい。

それから、二階の窓辺においたロボットは見れば見るほど気に入って、誰もめったに行かないし、外からも見えにくい場所に置いておくのがもったいなくて、どこか道からも見える下の窓に置こうかと、またしても頭を悩ませている私も、ヒマなんだか何だか自分でもよくわからない。

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カツジ猫