ぼくの、はれすがた(カツジ猫)
みなさん、おはようございます
まえにもかいたけど、ぼくがいきていたころに、かいぬしは、
ぼくのしゃしんをとりまくっていて、
しょうもないのもいっぱいあって、
「どうやって、しょぶんしようか」と、かいぬしは、
ぼくが、いきているときから、あたまをいためていました。
それが、あるときに、「おまえがしんでも、ぶろぐには
とうじょうさせるかもしれないから、
しゃしんは、いくらあっても、いいわけだ」といって、
すてようかまよっていた、ぼくのしゃしんを、
またぜんぶ、しまいこみました。
そのとき、かいぬしは、ぼくがまだまだ、とうぶんは
いきるものとおもっていて、じぶんがさきにしんだらどうしようと、
そっちのしんぱいをしていました。
「おまえが、まっとうなねこなら、あんしんして、
だれにでも、せわをたのんで、わたしもしねるけど、
おまえも、そうとう、へんなやつだからなあ。
とても、ほかのひとが、かえるようなきがしない」
と、しんぱいしていました。
でも、おるすばんにきてくれたひとたちとも、
ぼくはけっこううまくやってて、
かいぬしがいなくなっても、
なんとか、やれるようなきはしてたんだけどね。
「かってみたいと、おもいます」と、いってくれていたひとも、
ちゃんといたんだよ。
しんぱいしないでも、そういうことは、しぜんに
なんとかなるもんだったら。
ねこの、てきおうりょくを、なめちゃいけないよ。
かいぬしが、あのよから、やきもきしながら、みていても、
ぼくは、ちゃんと、あたらしいかいぬしとうまくやって、
あんしんしたり、がっかりしたりさせようとおもっていたのに、
なつのおわりに、ぼくはきゅうに、ぐあいがわるくなって、
あっというまに、しんでしまいました。
かいぬしは、かなしむよりも、びっくりして、
ひょうしぬけして、ぼくを、にわにうめたあとも、
「ぜんぜん、いなくなったきがしない」と、ぼやいていました。
けっきょく、ぼくをまた、ぶろぐにとうじょうさせて、
しゃしんをぜんぶつかうまでは、つづけるとかいってるけど、
しゃしんは、ものすごいかずだから、だいじょうぶなのかな。
「ときには、かっこいい、はれすがたのしゃしんも、みなさんに
おみせしないとね」と、かいぬしはいって、
このしゃしんを、だしてきました。
げんかんをはいった、しょうめんのつくえのうえで、
ぼくがよく、おでむかえをしていたときの、しゃしんです。
たまたま、つくえのうえも、かたづいていて、
ちょっと、かっこよく、とれています。

そして、かいぬしは、ぶろぐの、ふるいきじで、
こんなのをみつけて、
「あまりにも、いまこのとおりになってしまって、
なんだか、かなしいな。
こんなに、そのとおりになるなんて、かんがえてもなかったのに」
と、なんだか、しんみりしています。
ほんともう、へんなときに、いきなり、おちこむんだからなあ。