ぼくは、れきしに、なりたくない(カツジ猫)
みなさん、こんばんわ
かいぬしは、やくそくをまもって、ひるからずっと、
うえのおもやで、かたづけしごとをしてくれました。
かいぬしが、となりのへやや、ちかくで、うごきまわっているのは、
とても、たのしかったです。
ぼくが、しぬすこしまえからも、かいぬしは、
ぼくが、べっどにねたり、ゆかにねたりするのを、みながら、
ずっと、いえのなかで、しごとをしていました。
ぼくは、そのときは、まだ、ぜんぜん、しぬつもりはなかったけど、
ただ、つかれて、ねむくて、かいぬしが、そばにいるのがわかって、
とても、あんしんしていました。

いよいよ、ねむくなったとき、いちどだけ、ぼくは、
にゃっとなきました。
かいぬしは、「なあに、かつじ」といいながら、ぼくをみたけど、
そのまま、ちかくには、きませんでした。
そのあと、ぼくが、いきをしなくなっているのにきづいて、
「あれが、さいごのこえだったのか。
どうして、だいてやらなかったかなあ」と、なげいていました。
これまで、かいぬしのうでのなかで、しんだのは、
きゃらめるさんと、しなもんさんだけです。
でも、さいごに、かいぬしが、きてくれなかったのは、
ぼくは、そんなに、ざんねんじゃありません。
ちかくにこなくても、かいぬしが、そばにいて、
ぼくのことだけ、かんがえているのは、わかっていました。
そのほうが、ちょくせつだいてもらうより、
いえのなかの、くうきごと、いっしょに、つつまれているみたいでした。
「じいさまや、ばあさまや、おばや、ははや、
いちばんたいせつなひとたちの、しにめに、
わたしは、いちども、あったことがないのよね。
そのせいか、しんだあとも、
ちっともいなくなったきがしないのよ」と、
かいぬしは、よくいっていました。
いまも、いつも、かいぬしが、ぼくのことをかんがえて、
まいにちくらしているのがわかります。
「あのね、ほんとうは、こういうの、わたしはきらいなの。
しんでいなくなった、ひとも、どうぶつも、ちっともきえてしまわないで、
いつもどっかで、きにして、くらすのは、いそがしすぎるわ。
わたしが、しんだあとは、どんなともだちも、しりあいも、
おもいだしたり、なつかしがったり、さびしがったりしないで、
ぜったいに、しんだわたしのきもちなんか、きにしないで、
かんぜんにわすれはてて、まいにち、いきてほしいのよね」と、
ときどき、ぼやいています。
そして、きょうは、「やっぱり、ぶつまから、かたづけるか」といって、
ぼくのしゃしんをかざった、つくえのうえに、
まえに、はなれの、ぼくのしゃしんのそばにあった、
いろんな、おきものや、かーどけーすを、ならべてくれました。
それだけでも、なんだかぼくは、おちついて、
いままでのいえに、いるようなきぶんになりました。


おもやでくらしている、しんだ、ねこや、いぬたちも、
つくえのそばによってきて、「かっこいい、うつわだな」
「これは、なんにつかうの」とか、きいてきます。
しょだいねこの、おゆきさんは、まるい、うつわをみて、
「これは、むかし、かいぬしの、いなかのいえで、つかっていたものなのよ」と、
ぼくに、おしえてくれました。
こんなふうに、まいにち、きてくれるなら、
どちらのいえにいても、ぼくは、さびしくありません。
まだ、かいぬしの「かこのれきし」のいちぶぶんに、なりたくないとおもうけど、
かいぬしにも、ぼくにも、ほかのどうぶつにも、
「かこ」や「れきし」は、ないんじゃないかというきがしています。
うまくいえないけど、ぼくたちは、いまも、むかしも、これからも、
ぜんぶ、ひとかたまりで、ころがっていって、
さいごに、ぱっとみんなで、きえればいいんじゃないかとおもいます。
きょうは、そのあと、よるにも、たのしいことがあったけど、またあとで、かきます。