みなきち情報
初めての方にご説明しますと、みなきちというのは、少し前に私が育てて、人にさしあげた二匹の子猫のうちの一匹です。詳しくは、こちらでどうぞ。
ごらんの通りのかわいい黒猫で、もらって下さった方が、時々近況報告をして下さったのですが、少し間が空いたので、どうしてるかなとちょっと思っていました。
そうしたら、今日いただいた写真を見たら、まあもう、ちょっとの間に、どこのボス猫かというほどの精悍な面構えになっていて、先住猫さんの一歳年上のお姉さん猫に、前は黒豆のようにちょこちょこくっついて遊んでもらっていて、マジで五分の一ぐらいの大きさだったのに、そのお姉さん猫よりでかくなっていやがるんですよ!
もう一匹のじゅんぺいも、たいがい大きくなっているのは写真をいただいて知っていたのですが、見た感じは、黒猫だけにこちらの方が迫力でした。
子猫って、こんなにあっという間に大きくなるんだったっけ。ちょっと速すぎるような気がするんですけどねえ。あいつら本当に猫かしら。
みなきちは、インド好きな飼い主の方から、ネパールかどこかの山の名前を新しくもらっているのですが、緑の野原に囲まれたおうちで、自由に外を走り回って、ご近所さんからもかわいがられて、皆さん名前を覚えられないので、黒ちゃんと呼ばれているとか。
はああ。いいけどねもう。私の知ったこっちゃないし。まことに、めでたいことでもあるし。
そのショックというわけではありませんが、古いDVDの予告編で見た「マイ・ボーイ・ジャック」という映画のレンタル落ちのDVDを400円ぐらいの安値で注文してしまいました。いったいちゃんと見られるのかしらん。他にもいっぱいレンタル落ちの同じ作品が200円や300円で売られていたけど、「ハリー・ポッター」のダニエル・ラドクリフ主演だからと、たくさん購入したのかな、レンタルショップが。でも地味でまじめな映画だから、あまり評判にならなかったとか? 知らんけど。
私はむしろ、主人公の母親役のキム・キャトラルが「セックス・アンド・ザ・シティー」のサマンサとはあまりにもかけはなれた、しっとりとした黒髪の新劇女優のようなたたずまいで演技しているのに驚愕して、ぜひ全部見てみたいと思っただけなんですけどね(笑)。
レンタル落ちというのじゃないが、昔、田舎の書庫でシロアリに食われて半分ほどしか残っていなかった「日本庶民生活史料集成」の索引編、どうしても欲しくて、いっそ十万出して新しく全巻セットでそろえるべきかしらとまで思いつめていたのだが、数日前にひょいと見たら、単品で7000円だの8000円だので、いくつも古本が出ている。夢かとうち震えつつ、さっそく注文して購入した。昨日だったか手元に届いた。
むちゃくちゃ嬉しいのだけど、ちょっと複雑なのは、その古本のどれもが説明書きに「正規の手続きを経て購入した、図書館からの除籍本です」と、あることなんよ。ということは、この二十数巻から成る貴重な書籍が、軒並み各地の図書館から廃棄処分にされてるってこと? 自分がその恩恵にあずかっていて言うのも何だが、日本の知性はほんとにどうなってるんだろう。
この全集は、かつて中村幸彦先生が、「ああいう内容のものを、あんな大部の書籍にするのは」センスが悪い、みたいなことを笑いつつ批判されていたことがあって、まあそういう美学はそれはそれとして、とにかく上から落ちてきたら死にそうな巨大な本だ(特に旧版はね。新装本はもうちょっと小ぶりかもしれない)。辻邦生か誰かが名画をネタにして書いた短編集(「風の琴」だったっけ)の中の、エラスムスか誰かの家に来た、どんどん重くなる化け物みたいな本の話をちょっと思い出してしまったりする。
でもさ、そういう本だから、逆に言うと、個人で所有するのはかなわんのだよ。絶対に図書館に備えておいてほしい本なわけよ。そこのところも気に食わないのよねえ、なんかもう、いろいろと。
明日は、むなかた九条の会の定例会と、九大のオンライン研究会がみごとに重なってしまって悩ましい。どちらも出たいんだけど、片方を蹴ってまではどちらにも出たくない。なんかもう最悪の気分。そもそも、私自身の生活や仕事の予定が、双方のどちらにも、どれだけ優先するのか、それもよくわからない。考えるほど頭がぐるぐるして来る。何を自分が悩んでいるのかもよくわからなくなって来る。ああいやだいやだ。こんなことでは、結局私は、どっちもさぼって街に遊びに出かけるか、家でふて寝してしまいそうな気がしてならない。そうなったらほんとに最悪だよね。
写真はかわいい、ちっちゃな、みなきち。ああ、君はもういないんだねえ。