やめとけって
天井の照明を新しくする工事が終わるまでは、テーブルの上に何もおかないことにして、叔母が持ってたきれいなポプリ入れ二つだけをのせていた。なかなかいい感じで、これは断捨離で誰かにあげようかと思っていたのに、手放すのが惜しくなりはじめた(笑)。
それでも、しばらくでもこれだけたっぷり飾ったら、見納めということでいいかと思い始めていたら、たまたまうっかり忘れていた、緑のふちの白いやわらかいレースの小さいテーブルセンターが出てきた。
これも叔母のだったか、私が自分で買ったのか覚えてない。ちょうど二枚あって、かわいいから敷いてみたら、ますます素敵で、やっぱり置いとこうかと思い始める。
たださ、今までテーブルの上にごちゃごちゃいろんなものがのってたので、用心深く歩いていた猫のカツジは、このごろ何もない状態に、じわっと気がついてきたのか、全速力でテーブルの上を突っ切って、すっとんで行くことが多くなり、その内にポプリポットをけとばして落として割るんじゃないかと、何となく心配。
「江戸紀行備忘録」の中村幸彦先生からいただいた紀行をせっせと更新している。先生の翻刻原稿も参照していて、大いに助けられているのだが、何をかくそう先生の字は、中村文書と皆に呼ばれていたぐらい、癖があって読みにくい。原本の変体仮名とどちらが読みにくいかというぐらいの時がある。それもまあ楽しい。
そう言えば中村先生は、科研費の制度が始まったころ、そんな紐付きみたいな資金で論文書かせることに怒っておられた。「この論文は科研費の補助を受けて書いた」と末尾に記さなくてはならないことに特に違和感を持たれていて、「わしは、これからは論文の最後に、『どんな援助も受けていません』と毎回書いたろかと思うてんねん」と笑いながら言っておられた。
杉本なんちゃら議員が、学者が科研費をむさぼってみたいな言い方をしていたのを聞いて私がずっこけたのは、もともとあの制度が始まったときの研究者の感覚ってそういうものだったのを思い出したからだ。思い出すも何も私の中での感覚は今もそれだ。まともな予算も研究環境も充分に保障しないで、恩着せて選別して書類書きや手続き山ほどさせて、言っちゃ何だが大した額でもない金をくれて、日本の学問水準が保てるもんかと思っていた。もらってやるだけでも、ありがたく思ってほしいぐらい、情けない制度だよ。
それを、学者のぜいたくと言う議員がいるとはね。それに少しでも納得する人がいるとはね。それも、そんな実態も歴史も知らないで適当な発言して報酬もらってる議員に言われるとはね。てめえの頭のハエを追えってことばは、こういう時にあるんだろう。
ついでに思い出したから言うが、スガ首相のことをスターリンにひっかけた呼び名で揶揄するのはやめとけや。スターリンのことを好きなわけでもないけれど、彼が何したかもそもそも誰かも知らない人が多いんだろうに、こんな愛称とも蔑称ともつかない中途半端な呼び名を定着させても、ろくなことはひとつもない。私は先の首相の変な経済政策を何とかミクスと呼ぶのも大嫌いで、多分一度も使ったことない。
国文学史など教えてると特に思うが、中身や実態をはっきり知らない、理解もできてない対象に、適当な名前なんかつけるのは危険だ。わかったつもりになって、無知と誤解の上塗りをするのがオチだ。
イメージは実態からひとりでににじみ出て、生まれる。それを早々とでっちあげなくては落ちつかない感覚や精神状態は、もうすでに、どこか狂っているんだと思え。