わらしべ長者
今日は田舎に帰って墓参りをするついでに、由布院の猫のいるお店に行って、亡くなったおばあさん猫のグレイスが使っていた毛布や敷布をもらっていただこうと予定していたのだが、昨日の夕食にスーパーで買ったおかずの何かが悪かったらしく、夜中に二三度派手に吐いて、これはもう明日のドライブは無理だとあきらめた。
しかし、朝起きたら、何とか無事そうだったので、思い切って車を出し、用事をすべて、めでたく片づけた。
先日の人間ドックで、あっちゃこっちゃ文句がついた割には、胃カメラだけが完璧で「何もいうことはない、きれいです」とほめられていたので、胃は問題ないはずだが、用心のため、水とパンを少しずつ食べて一日乗り切った。吐き気はなくなったが、しかし、まだ何となく、完璧ではない。
幸い、他はすべてうまく行った。お天気はよくて、田舎の家の物置にかけた額を、大工さんにきちんととめてもらう打ち合わせもすませた。私の家を買ってくださった方に、人からいただいたチョコレートをお土産にさしあげたら、隣の畑の人からもらったという八朔をかわりにどっさりいただいた。その一部を由布院の猫のお店におすそわけした。何だか、わらしべ長者の変型バージョンをやってる気がしないでもない。
明日の朝は朝食のデザートに八朔を食べたいが、胃は大丈夫だろうか。一応帰りにスーパーでおかゆとスープのレトルトを山ほど買って来たから、明日はこれで巣ごもりができそうだけど。
由布院は明日が休日で、今日はお休みの店も多いせいか知らないが、とても静かで人も少なかった。夕方、金鱗湖に行ったら、木立の中にひっそりと「天井桟敷」の灯りがついていて、何事もないように店が営業されていて、うれしかった。夕日がきらきら木立を輝かせているのを見ながら、ホットミルクとトーストを満喫した。お客もけっこういた。
でも、私が前に紹介した「あーでん」は閉店してしまったそうだ。コロナの影響があるのかな。それとは関係ないのかな。どちらにしても、ものすごく残念だ。親しみやすくて風変わりで、品もある、他のどこにもなさそうな、かけがえのない空間だったのに。
まあ、世の中こうして、移り変わって行くのだろうけどな。消えてしまうものを、たまたま味わえて記憶に残せただけでも幸福と思うしかない。
帰ったら、猫のカツジが庭に出て、金網の中で待っていた。昨日のおさしみの残りをごきげんで食べて、私の横の椅子に今は丸くなって寝ている。ゆうべもずっと私の枕元で丸くなっていて、私は気分が悪いのをまぎらわそうと、彼のしっぽをつかんで眠っていた。こいつは、足をつかまれると怒るか喜ぶかどっちかしらないが、すぐかみついてじゃれるくせに、しっぽをにぎりしめられるのは、わりとどうでもいいらしい。
森元首相への風当たりが、ここに来て強くなって来たようだ。あたりまえではあるけれど、世界や世論の反発が予想以上だったので、それに対応して右往左往する人たちが、苦々しくて単純に喜べない。
そう言えば、いわゆるネトウヨの人たちが、「森元」首相を擁護するコメントをしたりしてるそうで、これもまた、ばかばかしすぎて、情けなくて、素直に笑えない。
うむ、屈折してるな、私。もっと素直にならないと。