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クルイロフの寓話

以前、ロシア童話を宇野浩二が編した「もとのとおりになる話」を紹介すると言ったままになってたのですが、あらためて読むとこれ名著かもしれない。絶対無理なのはわかってるけど(笑)、復刊してほしいなあ。

普通に波乱万丈の成功談とか面白い短編もあるのだけど、さりげないのじゃ、たとえば「二わのはと」なんか、なかよくくらしていて二羽の鳩の一羽が冒険に出て苦労して帰ってくるって、どうでもいい筋なんだけど、出色なのは、訳者のせいか原作(クルイロフの寓話詩?)のせいか、この二羽が男女になっていないこと。やりとりの語句はどちらも男性である。何となく、今読むといろいろと、これって不思議だけど最高。何べん読んでも飽きないわ。

それから、金に対する執着を批判した話が多い。それも単純なド直球で、すごく納得するしわかりやすいし強烈な印象を残す。今の時代の日本の人に聞かせたい読ませたい話すぎる。

たとえば、貧乏人というか乞食が貧しさを嘆いていたら、出会った神様みたいなじいさんが、袋に金貨を入れてくれる。何枚も何枚も。そして、もうよかろう、これ以上入れたら袋が破れるし、この金貨は地面につくとチリになってしまうとか言う。でも乞食はあきらめきれずに、もっともっとと言って入れてもらってたら袋が破れて金貨は地面に落ちてゴミになってしまい、おじいさんも消えて、結局袋が破れただけ損をした、とか。

楽しげに歌を歌う隣家の靴屋の声にいらついた金持ちが、金をやるかわりに歌わないでくれとたのむが断られ、何が幸せなのかとか話したあげく、感心したのかあきらめたのかなんか、ただ金のつまった袋を靴屋にやる。そうしたら靴屋はその袋が盗まれないかとか気になって、眠れないし歌えないしで、とうとうそれを金持ちに返してしまう、とか。

貧乏人が、自分が金があったら、どんどん使うし人にもほどこすとつぶやいていると、またまた神様みたいなじいさんが入ってきて、ふしぎな財布をくれる。中には一枚の金貨が入っていて、取り出したらまた一枚出てくる。でも、その財布を川に捨てないと金貨は使えない。貧乏人は喜んで財布から金を取り出しつづけて、家中が金貨の山になるが、もうちょっとと思って、外に出たり川に行ったりしながらも、どうしても財布を捨てられず、とうとうそのままやつれはてて死んでしまう、とか。

いやー、ダイナミックにわかりやすく、ほんとにみょーに説得力があるし、日本や世界の富裕層の心理って、このまんまじゃないかと妙に実感してしまうのよ。

日本の民話「わらしべ長者」の逆バージョンで、馬二匹を売ろうと市場に行く途中で、車と取り替え、それをヤギと取り替え、ヤギを財布と取り替え、財布を渡し守りに代金に渡して無一文で帰るおじいさんが、博労の一行に会って笑いものにされる。親方がばあさんが激怒するだろうから帰らない方がいい、もしばあさんが怒らなかったら馬を百頭やると約束するので、連れ立って家に帰ると、おばあさんはにこにこ出迎えて、無事で帰ってくれてよかったと、表に待ってる親方のことは忘れて、二人は楽しくごはんを食べだす、とか。
無欲で、損になる取り引きばかりしながら、常に満足して前向きな老夫婦の幸福そうな姿がただもう、すばらしい。その満足する理屈のひとつひとつも、変にちゃんと納得行くから笑っちゃうけど、すばらしい。

ぎゃっ! クルイロフの寓話集、岩波文庫の古本であったんですけど! 即注文しちゃったよ(笑)。これらの短編、ちゃんと入ってるかなあ?
古本はまだあるようで、皆さんおすすめですよ。私の「水の王子」もおすすめですけどね(笑)。

貧乏な庶民たちが愛して、語り伝えたかのようなクルイロフの寓話に敬意を評して、先日熱っぽいベッドの中、深夜のラジオの川柳で聞いて好きだった、奈良の男性の一句を、乾杯がわりに。

われこそは労働者なりコップ酒

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カツジ猫