ヒトラーは正しい?
昨日、「授業やってて、最近の学生はどんなですか」と聞かれたので、
「いやー、昔だったら、私たちの時代でもそうでしたけど、授業の感想とか聞かれると、『ここがわからん』『説明が下手』とか平気でアンケートに書いてたけど、今の学生は、絶対にそんなこと書かない。『ここがわからなかったけど、自分の不勉強と思うから、もっと調べてみたい』とか『どうしてこうなるかわからなかったけど、ちゃんともう一度考えてみる』とか、すごく気をつかって、こっちを傷つけないようにフォローする。一人二人じゃなくて皆がそうだから、きっと世の中がそうなってて、そういう風に育って生きて来たんだろう。おかげでこっちは甘やかされて、ありがたいような、申し訳ないような」と言ったついでに、「どっかの知事さんにまねしてほしいわ」とつけ加えてしまった。
そうしたら、相手の人は「あれはひどかったですねえ。あんな人が当選するなんて、どうなってるんだろうと、妻がもうあきれてました」と言うので、「でも、反対票を集めたら同じか、それよりギリ上になりかねないんじゃないかな。なので私も、共産党が別の候補立てるからいかんと思ったりもしてたけど、後で聞いたら、どうやら対抗馬の人も共産党から見るとけっこう問題あったようで、とても支持できなかったみたいだから、まあ、ここまで元知事さんが伸びるとは予想できなかったろうし、しょうがなかったんですかね」と言うと、「それにしても、なぜそこまで伸びたのかがふしぎ」と言われるので、「統一教会も応援していたらしいし、他にも脅迫や暴力もひどかったようで」と話すと、「統一教会が関わってたんですか。それでようやくわかりました」と納得されていた。
ちなみに、これまで政治的な話などまったくしたことない人で、まあ尊敬できる立派で愉快な方ではあったけれど、いろいろ思いがけなかった。選挙の結果に、あきれて理由がわからなくている人は、相当多いような気がする。
まあ、昔から選挙と言えば、金で買収されたり、組織や縁故でまとめられたりして投票率も高かったんだから(ここや、ここや、ここで書いたように)、今さら驚きも失望も怒りも私はしない。けれど、昨日も書いたように、少なくとも統一教会とヒトラーのどこがいけないのか、なぜ否定するのかは、ちゃんと考えてまとめておかないとならないとは思う。
映画監督スピルバーグは最初の「インディ・ジョーンズ」のような娯楽作の中でも、その当時すでに若干風化しはじめていた、ナチスドイツへの否定と拒否をはっきり示していたのが私には印象的だった。その一方で彼は「シンドラーのリスト」でナチスの悪を徹底的に糾弾しつつ、映画のどこにもカギ十字のハーケンクロイツのマークを出さなかった(私の知る限り、これを指摘した人はいなかった)のに私は深い感銘を受けた。安易な記号でなれあって「悪」を人々に示すことを彼はしなかったのだ。その後の「ミュンヘン」でも彼はイスラエルとアラブの双方をきちんと描き、両者の融和する未来への希望を捨てなかった。自身がユダヤ人でもある彼の、この一貫した姿勢の聡明さと強靭さを私は今も支持し、信じ続けている。
その反対に、前にも書いたが、私がネタニヤフやプーチンを許せないし軽蔑するのは、彼らが今現にしていることだけではなく、ナチスドイツに最も傷つけられ多くの被害を出したソ連とユダヤの国の歴史を彼らが汚し踏みにじり、結果としてナチスドイツとヒトラーを免罪し評価する道を開いて、その道筋を日々に固めて行ってることだ。
私の母は、戦時中は軍国少女だったが戦後は徹底的に共産党と社会党を支持しつづけて活動していた。しかしときどき突然とんでもないことを言い出し、一度「あんた、やっぱりヒトラーは正しかったと思うよ」と言って私の腰を抜かさせた。多分何かのことでイスラエルに腹を立てていたのだと思う。そういう気分にさせるのだよ、ネタニヤフの今していることは。そういう点でも彼の行為は、イスラエルやアラブを超えて、人類の首をしめているのだよ。
それからこれはまだ書いていないが、少し前にここで触れたNHKの「映像の世紀」が語っていた、戦後のドイツ人へのイスラエルの報復と残虐行為の数々。それもまた、ヒトラーの罪を相対化する。そういう憂鬱と絶望に耐えてなお、私たちはヒトラーのしたことを許してはならない。ということを確認し続けなければならない。
写真の右は自分へのクリスマスプレゼントにネットで買ったトナカイ。左のが数年前に買って気に入ってたので、新しく同僚を買った。外国製かなんからしく、変なかたちをしているが、ふわふわでかわいい。大きさも心配してたがちょうどよかった。そろそろ、サンタとツリーも飾らないとなあ。