ロシアの徴兵 | 日本近世文学者「板坂耀子」
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ロシアの徴兵

エアコン入れ替えの工事は無事にすんで、今は前より少しでかい新しいエアコンが壁にくっついています。あと十年は保障がついてるそうで、そんなん、こっちが先にくたばりそう(笑)。

今朝、あたりを片づけたというか、積み上げていた荷物をクローゼットに押しこめました。すっきりして、別の家のように美しい風景が広がっています。あっちこっちに押し込んだ荷物を戻しながら、捨てるものは捨てて、きれいにして行かなければ。何しろ数年前の授業の資料を入れた袋とかがいくつも出て来て、うんざりするよりも先に、これをちゃっちゃと処分できたら、ずいぶん住みよくなるぞと、何だかわくわくしてしまう。

こちらは、送り出した古い方のエアコン。工事が始まる直前にスイッチを切って、お別れを言って、カバーも閉じた最後の姿を撮りました。あめ色に古びたカバーは、気がつくとカビでしみだらけになっていて、思わず危なっかしい足取りで椅子に上って、きれいに拭いてやりました。

とまれかくまれ、ひとつの時代がまた終わったなあという感じです。そして、「砂と手」シリーズの中の「双子がいた!」という小説もどきの中で自分が書いた、死に臨んだ人が考える述懐を、あらためて思い出しています。

もう戻れない。突然、それがわかる。これまで何度も、何十度も、泥のように疲れて、ぐっすり眠って回復した。ものを食べ、入浴して、身体に力がよみがえった。歯をくいしばるほどの痛みをともなう傷も、身体が焼けるような熱に意識がうすれる病気も、手当てをすれば、薬を飲めば、耐えて時間をかけさえすれば、傷口はふさがり、骨はつながり、熱は下がってもとに戻った。

だが、今私が感じているこの疲れと痛みはもう消えることはない。これより軽くなることはない。私の身体は修復せず、流れ出る血はとまらない。身体も、手足も、刻々と衰えながら未知の世界へ私を運んで行くだけだ。今まで私が体験したどんな場所にも、どんな時にも、私はもう戻れない。これから先の時間はすべて、それらのものにひとつひとつ永遠の別れを告げながら、身体の中で何かがひとつまたひとつとこわれ、とまりつづけるのを確かめながら、一度も体験したことのない道を歩いて行く時間だ。

死は黒い闇か。まぶしく白い灼熱の輝きか。まだわからない。いずれにせよ、それに向かって私は今、休みなく歩きつづけている。

かれこれ二十五年も前に書いた文章なんだけど、そうなんだよなあ、これなんだよなあと思う。以前だったら家電でも服でも家でも何でも、買い替えたり処分したり作り直したりするのなんか平気で、何の感傷もなかった。ただの入れ替えにすぎなかった。

最近そうでなく、手放すもののひとつひとつに、ついつい別れを惜しみたくなるのは、これがもう最後の入れ替え、もう戻ることはないと知っているからなんだろう。そうやって生まれる新しい環境が、通過地点ではなく、最後の居場所だと気づいてしまうからだろう。老後の快適な空間を作るのは、自分の墓を作るのにちょっと似ている。楽しいけれど、これが最後と思うから、何だか力が入ってしまう。よくないね。ほどほどにしておかないと。いつまでも死なない気分で生きていないと、かえって妙に長生きしちゃうぞ(笑)。

電気屋さんたちが、家の中を動き回って工事をしている間、猫のカツジはいやに落ち着いて、寝ていた椅子から逃げもせず、電気屋さんたちをながめていた。別れ際には近づいて行って愛想をふりまいていた。こいつも長生きした分、したたかになったものだなあ。猫のすることとは思えない。普通隠れて出て来ないだろ。
 それでも、あとでトイレを見たら、全然おしっこもしてなかったので、やっぱり緊張と警戒はしていたのだなと笑ってしまった。

ところでニュースでちらりと聞いたが、ロシアでは徴兵だと評判が悪く、志願兵も集まらないので、報酬として借金をチャラにしたり、囚人の刑を軽くしたりして、兵士を確保し戦場に送っているとか。なんかもう、ほとんどそれって、闇バイトと変わらないような気がするんだけど。汚くて、卑しくて、残酷で、醜い。

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