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予定がないという幸福

お客さんの来訪をのばしてもらって余裕ができて、のほほんとしていたら、またあっと言う間に期日が迫ってきて、家も庭もちっとも片づいていない。どうなることやら。

昨日は朝から妙にやる気が出て、庭の柿の木の高いところになっていた実を、ずっと使っていなかった枝切りバサミを持ち出して、首尾よく全部収穫した。もうそれで大事業をかたづけたように満足して、ろくに仕事もしなかった。明日こそは!と思ってるけど、どうなんだろうね。

NHKの朝ドラは、最近出ないが加賀まりこさんの宇野千代もどきと、ヒロインはじめ役者さんたちのイメージがなかなかよく合ってるのが気に入って、そこそこ見てる。先週ラストは失恋したヒロインが、田舎道を「は~ながさ~く、は~ながさ~く」と歌いながらよろめきつつ帰るという、鬼気迫る場面が恐かったけど、凄みがあって素敵だった(笑)。

とは言うものの、彼女が新しく来た同僚の教師に好感を抱いて、一人暮らしの借家に風邪のお見舞いに行くところなどは、まあ知らんけど宇野千代さんがモデルならそりゃこうなのかとも思うし、当時の田舎の感覚を思えば、行きなさいとすすめるお母さんとの温度差も、まああれも娘がどういう性格かわかってるならしょうがないかと、そう不自然でもないと納得したけど、そういうこととは別に、ぎゃあ私ならこんな押しかけ突然訪問は死んでもいやだと、つくづく思った(笑)。

何しろ先日玄関に「近くまで来たのでちょっと寄ってみました。またお会いできたらと思います」とのメモが入っていただけで、私はパニックになり、この取り込み中兼のんびり中に来られたらどうしようと気が気ではなく、もう家にいるのがいやになって、さまよい歩きたくなってしまう。我ながら病気じゃなかろうかと思うぐらい拒否反応がひどい。

家がきれいに片づいてたら、人が来るのも気にならないかと思うけど、必ずしもそうじゃなさそうだなあ。きれいになったらなったで、読みたい本だの、食べたいものだの、見たいDVDだの、庭の手入れだの、ぼうっと空想にふけるなど、やりたいことがびっしりなのだもの。こっちが出かけて行くのならともかく、家での一人の時間を誰にも絶対じゃまされたくない。

実際のところ、老化や病気で、決して毎日が楽なわけでも快適なわけでもないが、それでも誰も訪れない、何の予定もない日々の輝かしさといったらもう、生まれて初めての幸福な日々、神さまのごほうびじゃないかと思うぐらいなのだ。
 一番何が嬉しくて楽しいのかって、料理や掃除や何かをしていて、ふいっと、ある本の一節が思い浮かんで、読みたくなり、仕事を中断して書庫に行って本を見つけて読みふける、あるいはまた、突然手紙を書きたくなって、はがきを見つけて書きはじめて、その途中で果物をかじりたくなって、冷蔵庫から出したキウイやりんごをむいて食べ、そうしている内にひょいとパソコンで見た記事を確認したくなり、チェックしてる内に画像で連想して思い出した秋の服を着てみたくなって、さがして引っ張り出す、と、もう一寸先は自分でも何をしてるかわからない、気まぐれで行き当たりばったりのことをして時間と空間を自由にさまよう、この幸福感と言ったら!

いつでも、誰にもじゃまされず、予定も計画も変更しまくりの、この自由な時間の流れの中を泳ぎ回ってさまよっているのが、もう楽しくてしかたがない。ほしいままに自分の時間を使えるぜいたくは、もう何ものにも代えがたい。

こんな時、いきなり人に来られようものなら、来るかもしれないと気になり始めようものなら、シャボン玉のように私のこの幸福は全部消えてなくなり、私は灰色と暗黒のドツボに落ちる。この贅沢を知ってしまったら、もう人間は元に戻れない。永遠の夏休み、永遠の日曜日。死ぬまで手放せそうにない。

いつかは消えてしまうだろう。いつかは終わってしまうだろう。だからこそ今はそれを少しも無駄にしたくない。

そんでもって今の私は、突然の来訪者があったとき、どうやって瞬時に帰ってもらおうかと考えるのに余念がない。ものすごいぼろぼろの服を着て髪も乱れたままで出て行こうか、それとも逆に真珠のネックレスなんかして外出直前の体制でお迎えしようか、などと我ながらあさましいことばかり考えている。

こんな私の毎日って、幸福なんだか不幸なんだか、まあどっちでもいいけれど(笑)。

下は私が幼児の時の絵のいくつか。今の私の毎日の幸福って、ちょっとこれを描いてた時期に似てるかな。

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カツジ猫