六年生の夏(16)
8月15日 金曜 天候◎ 起床7時30分 就寝11時10分
図画 色をぬる
手紙 内田先生
朝、起きると、伊佐子ちゃんが今日、映画に行こうかとさそいをかけた。私は、出校日に学校で、男子に、映画に行って何が悪いかと、どなった以上、どうしても休み中に映画に行かなければならない。「私は行かないけれど、行ったって別に―」と、言うのと、「ええ、私しゃ、行きましたよ。それがどうかしましたかね。」とでは、大きなちがいがある。私はすぐに、「行こう。」と同意した。ところが、幸か不幸か、その時、おばが入って来て、言った。「さあ、今日は二日市の、おじいさんの所に行きますからね。したくしてちょうだい。」
汽車は満員だったので、私達は、とても、すわる事が出来ず、水道の所に居た。それで、かえってよかったのだ。私たちの車は、一番後だったので、トンネルに入ると、入り口がきれいに見えて、それは面白かった。だんだん、白い半円が遠ざかって、豆つぶ位になった時、急に、明かるくなって、レールやれんがが見え出した。そして、汽車はトンネルを出た。
小学校六年生の時の私の日記。今から六十五年ぐらい前の夏休み。叔母の家に私一人で行って滞在中。
当時の汽車は、こんな風に最後尾に立つと、後ろが見渡せたんですね。よく古い洋画なんかで、追われた人が飛び降りたりなんかするけど。
写真はどちらも、多分この時期のものと思います。上は何の車だったかわからない。下は田舎の家の近くの土手で、この背後の風景は今もほぼ同じです。叔母と従姉(伊佐子ちゃん)と私です。従姉の美少女っぷりと、私のふてぶてしさを得とごらん下さい。そして私がこのガキっぽい顔で、日記に書いてるえらそうな文章のしたたかさを見ると、われながらちょっと恐いわ。
二日市のおじいさんというのは、叔父のご両親で、私立の病院を経営しておられました。のちに叔父がお兄さんと共同でそこを引き継ぎます。おばあさんもおられて、いつも歓待してもらいました。