友との電話
ゆうべ夜ふかしして、今朝はばてばて、ラジオ体操もさぼって朝寝していた。暑くなる前に水まきをしなければと、しぶしぶ起きて外に出たら、庭も木の葉もぬれていて、また明け方に雨が降ったらしい。やったねと雨にぬれた朝顔の写真だけ撮って二度寝して、そのままテレビの原爆忌の広島での慰霊祭の中継を見た。

猛暑の中、数々のまともなことばが聞けて、耳と心が洗われる気分がした。被爆者の方はもちろん、広島市長や県知事のあいさつが、どちらも型通りのものではなく、血の通ったものであると同時に、お父さんが被爆者のことを研究しておられたとかの知事のあいさつは、出席している各国の代表、もちろん日本政府にも、核抑止論がいかに役に立たないものかを、歴史や現実を無駄なくまとめて、きっちりと理路整然と説得したもので、パンフレットにして全国民にくばりたいぐらいだった。わかりやすくて、短くて。
ぜひ、ごらん下さい。
石田首相のあいさつも、核禁条約にはふれない限界もあったけど、心のこもった借り物ではないことばで、ああ、この人が首相で今回の慰霊祭はよかったなあと、あらためてつくづく思った。空疎なことばの羅列を聞かされて、胸が煮えくり返る思いをし、苦々しさをかみじめたアベ氏以下の歴代の首相あいさつとちがって、穏やかに死者の冥福を祈ることができた。
被爆者やそれを支える方々の「決してあきらめない」「微力でも無力ではない」活動の数々は力強く実を結んでいて、外国や世界でも核廃絶の動きは生まれ高まり、絶望的な指導者たちの争いに抵抗しつづけている。その手応えもあちこちに感じた。
数年前に書いた私の文章(むなかた九条の会のチラシに載せたもの)は、それらに比べてヘタレすぎるが、一応、再録しておきたい。
ところで数日前に、友人と久しぶりに電話でしゃべった。彼女も私同様、庭と家を抱える一人暮らしだ。水まきとかどうしてる?と聞いたら、もうこの暑さであきらめて、庭は放置し荒れ地になるにまかせているとのこと。それもいさぎよいなあ、何より楽だろうなあと、ちょっと感心した。
「あのな、人間、歳をとったら本当にどうなるかわからんぞ。ゆうべ、風呂でこけて、頭から浴槽につっこんで、水の中で目を開けて、一瞬どうなってるか自分でわからなかった。蛇口で頭を打って、さわったら血が流れていた。まあそれ以後、何ごともなかったからそのままにしてるが、四十年も毎晩どってことなく入ってた風呂で、そういうことになるからなあ」と彼女は話した。「巻き爪でこの前病院に行ったとき、抗生剤をもらってずっと飲んでるからまあいいかと」などと言い、私も「まあ頭を打ったら、血が出た方がいいって言うからねえ」と答えたが、大丈夫だったんだろうか。
参政党のがらくたぶりはもう笑い話にしかならないが、それに投票した人たちの多さには、中学校の社会科の教員だった彼女も嘆いて「そんなこと教えては来なかったのになあ」と言っていた。それに対して私は、「生徒も学生も、あんたや私の授業や、憲法や社会の授業はちゃんと聞いて、理解も納得も記憶もしてるんだよ。ただ、別の人の違う話を聞いてもやっぱり理解も納得も記憶もしてるだけで、どっちがいいか、どうちがうか、比べたり選んだりができないんじゃないの」と言った。
彼女の知り合いかテレビに出てた人かが、「参政党の憲法草案をちゃんと読んで、いいと思ったから投票した」と言ってたらしい。彼女はそれで嘆いてたのだ。
参政党のその案は、草案と言うより怪文書と専門家が言ったほど、しょうもない草案のようだが、私はそれを認めて支持する人のことも、そう不思議とは思わない。
参政党やその他の人がよく教育勅語は立派だとか言うけど、それは教育勅語だろうとナチスの綱領だろうと、ヤクザの家訓だろうと、最初から最後まででたらめで意味不明なわけはなく、どんなひどい内容でもボロな形式でも、読めばどこかにいいことや学ぶべきことは必ず書いてある。他のものを何も読まず、チェックポイントを持たずに読めば、パチンコ屋の注意書きだって、守るべき正しい内容は書いてある。だからって、それを座右の銘にはしないだろ普通。「きれいに使ってもらってありがとうございます」ってトイレの貼り紙だって、別に文句つける内容じゃないんだし、したけりゃ家訓にしたっていいし。
でも、公園使用の規則にしてもマンションの利用規約にしても、ちゃんと目的があり、どういう人を対象に規制するか禁止するか、具体的に考えなければ意味がない。憲法ってのは基本的には支配者が勝手気ままをしないために縛りをかけるものなのだから、まずはそこを確認した上で、役に立つかどうか見ないとしょうがない。「それは悪いことじゃないなあ」というようなことばがいくら並んでたって、それで認めちゃだめなんですよ。一致するとこがあるから落とし所で妥協しようなんてのとは別の話で、これは刑法なんですよ。憲法とか人権とかいうのは、悪いやつをとりしまるための。そういう目で見ないと意味がない。
そりゃ、どんな刑法や憲法作ってたって、アホが悪く使おうと思えば悪用されるけどね。たしかローマかどっかの法律では処女は死刑にしちゃいけないことになってて、だから処女は死刑になる前にレイプされなきゃならなかったとか、英国かどっかでは、水に放りこんで溺死したら潔白が証明されるとか、しょうもない解釈や適用はいくらでもできて、だから、法律は人間がいつも監視し補強してなくちゃいけないものでもある。
まあ、いろいろとおたがい皆さん忙しいけど、ボーッと生きてちゃいけないんですよ。自分と、自分の大切なものを守ろうと思ったら。