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嫌いな男

わはは。ツイッターにもあげておきましたが、「女性セブン」が「嫌いな男」のアンケートを読者にとったら、ダントツ一位で安倍晋三でしたとさ。今日、クリーニングを取りに行かなくちゃいけないので、ついでに書店に寄って「女性セブン」買ってこようかな。通り道だから、灰色猫のグレイス用に、猫の草も買って来たいけど、あるかなあ。

「しんぶん赤旗」の連載小説「希望を紡ぐ教室」は、このところ、「注文の多い料理店」の授業についての場面が続いている。勉強になるし、面白いし、スリリングでもある。私は以前に、「文学は役に立ちますか?」という授業ノートで、この作品について教育実習で環境破壊への怒りを生徒に教えようと苦労していた実習生に、授業のあとで「山猫が環境破壊とか考えてるもんか。食いたいばっかしよ」と言っちゃったもので、それもまちがいではないと今も思うけど、いろいろ時間をかけて深く読みこんで生徒の意見も引き出すと、その実習生がめざしていたのに近い授業もできるのだなあと実感した。

でも、その上でまた思うが、文学教材でこうやって何を感じるか、どう思うか、生徒各自の体験や深層心理をさらけ出してしまう授業というのは、教師としても生徒としても、私自身は恐いしきついし、いやだなあ。自分で心ひそかに抱いていたいことや、自分でも気づかないでいる好悪や嫌悪、一人だけの部屋や、恋人とのベッドの中でしか明らかにできないような、誰かの胸に顔を埋めて震えながら話さなくてはならないような性癖や傾向を、作品の感想を述べるはずみについ、クラス全員や教師の前に見せてしまうことになるかもしれない授業なんて、私は恐いし、生徒だったら、そんなのにうっかり乗ってひっかけられるのなんか絶対いやだ。

国語の時間、私はいつも、他の時に増して心を固く閉ざして用心していた。それでもたまに、自分の好きな作品が教材になって、皆の前で読まれて感想や説明や分析がされるのは、好きな人が奴隷市場の台の上で裸にされて身体をなでまわされ、歯や性器をチェックされているのを見ているような苦痛で、無表情でいるのさえが必死だった。小学校のときからずっとそうだった。

今でも授業で文学作品をとりあつかう時、私は距離をおいてちょっと冷ややかに語る。知識を補充して、解釈をしやすくするだけにとどめる。解釈や分析をする場合はいつも、まちがってるかもしれないけれど、のように、ななめを向いた話し方しかしない。「知らんけど」というニュアンスをにじませる。
本やブログなどに書く場合は、多分もう少し大胆になれる。読む方が孤独で読めるだろうからだ。だいたい私は人前で誰かといっしょに文学を読む行為などというものは、皆でいっしょにオナニーや性行為を見せ合うのと大して変わらないといつも思っている。曽野綾子は別に好きでもないが、彼女が昔、何かのコラムで、子どもに母親が本を読み聞かせる運動に疑問を呈して「読書などというものは孤独な作業で、親といっしょにやるなどとはワイセツなものだ」(文章はこのままではない)というようなことを書いていたとき、叫びたいほど大共感した。

私は教師も同級生も皆好きで、いっしょにいると楽しかったが、それでも自分をちゃんと理解して発言や反応をしてくれるなどと、ぜいたくな期待はしていなかった。だから、とても大切なことや、危険を冒し苦痛に耐えながら本音を吐いたら、それにまったく理解できない相手からの反応がかえった時に、深く傷ついて立ち直れなくなるかもしれないと思って、相手を憎んで許せなくなるかもしれない、そんなことはしないようにしようと思っていた。

以前、研究室の雑記帳にしていた連絡ノートに、忙しくて自分の勉強もできない状況にぶちきれて私がバカヤローくたばっちまえ的な独り言を書き散らしたとき、それを読んだ学生たちは一人も私の状況を心配せず、面白がって笑い転げていた。私は本当にこの連中は私の強さと明るさを盲目的に信頼しているのだなと、あきれかえったり、いや、私にそのように、強くてタフで元気であってほしいから、そうでなくて壊れかけているのかもしれないと直視するのが恐くて、こうやって冗談にしてしまおうとしているのかもしれないと同情したりした。

その一方で、しかし、どっちにしても、こいつらが将来教師になるとしたら、それは絶対に困るなと思った。いじめられている生徒の笑顔も、自殺する直前の生徒の冗談も、こうやってごまかして正視しないか、そもそもまったく目に入らずに見逃してしまうか、どっちにしてもろくな教師にはならないだろうと思った。

私がもう数年も若かったら、きっと、そのことを学生たちにぶちまけて、彼らを攻撃して傷つけて、自分も傷ついて、でも何かは伝えただろう。そのくらいの教師としての良心はあっただろう。
だが、その時期は、もう私も疲れていた。そこまでする親切心も愛情も職業意識ももう枯渇していた。私の書いた文章を見て笑い転げる学生たちに、私はいっしょに笑って、それきりにした。今だったらどうだろう。わからない。人の書く文章、人の語ることばの陰に、どんな苦悩や絶望が隠れているか、読み取る力ぐらいは養えよ。どんなによく知っている生徒のことも、知っているつもりになって、たかをくくって甘えるなよ。そのくらいは言えるだろうか。

文学作品も、文章も、人間も、わかったつもりになってしまうのが一番危ない。私は今でも、自分に一番親しい人を理解できていると思っていないし、毎晩ひしと抱いて寝てやっている猫の気持ちさえわからない。闇の中を歩み、光のまぶしさの中で生きている。そのことだけはせめて忘れないでいたい。

…予測する。このような私の文章に「わかりますう」と簡単に同調する人を私は多分、一番遠くに感じるだろう。
そして、前にも書いたことだが、もう明日には、今夜には、私がこれと同じことを考えているかも、保障の限りではない。

古い写真の一枚から。右は多分叔母。左は母かもしれないけれど、叔母の友人のようです。左の畑にあるのは、昔よく見た「としゃく」という、稲束の山ですね。

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カツジ猫