宝の山で圧死しそう
長年の中途半端に放り出した研究資料が書庫にうずたかく積もっている。私はどういう点から見ても立派な学者や研究者ではないけれど、この「自分が死んだりぼけたりした後では、誰の目から見てもゴミにしかなならない貴重な研究資料」をためこんで放置している点にかけては、全国どころか全世界ひょっとしたら全宇宙でも、トップを争えるのではないかと思う。
それをちびちび引きずり出しては「江戸紀行備忘録」に他人が読める(かもしれない)かたちにして、アップして行ってるわけだが、そりゃもう、発展途上国のゴミの山で金になりそうなものを探している貧しい子どもみたいに、喜びもないわけじゃないが、もう先が見えなくて、折れる心なんかもともとないけど、笑ってしまうしかない。宝の山にはちがいない。でもその中に埋もれて死にそうだ。
こうなったら、小説とか空想とか映画とかその他もろもろのミーハー趣味を、味わうのも作るのもあきらめなくてはいけないのかもしれないとか、料理や家事やインテリアやファッションや、生きてる楽しみ全般をなくしてしまわなくてはやって行けないんじゃないかとかだんだん思い始めている。昔はわりとそうだった時期もあるので、できないわけじゃないのは自分で知っているけどね、いまいち決断できないのよね。修道院に入るような決心が必要なんだもの。
とか言いつつも、あれこれいろんなことに目が行くし、気が散る。
大阪市をどうするかの住民投票は反対多数で維新の案が否決されたようだ。この問題に特に詳しいわけではないが、推進している人たちのやり方がいろいろ変だったし、たしか一度否決されたものを、この短期間で再度やるというのもおかしい気がしていたので、この結果にはほっとした。「しんぶん赤旗」に少し前に連載されていた「希望を紡ぐ教室」という小説で、この問題に取り組んでがんばっていた先生たちのことが描かれていたのを思い出し、ああいった人たちの活動が、この結果に結びついたのだろうと思いやっている。
あら、この小説出版されてるんだ。記念に買っとこうかしら。
ショーン・コネリーが亡くなったのか。大学生になって福岡の大きな映画館で最初に一人で見た映画がたしか「007 ゴールドフィンガー」だったよなあ。オープニングの歌と映像がめっちゃくちゃカッコよかった。女性をお色気いっぱいに描く活劇がなんだかとまどいもあった一方、イアン・フレミングの原作の露骨な反共描写(まあ、英国のスパイものはだいたいそうなんだけど)がみごとにどっかにすっとんで、ソ連が消えて謎の国際組織に変えられてたのが、これまたちょっと混乱した。そんな記憶もなつかしい。
その後、大学で出会った友人と、コネリーのボンド映画はいつもいっしょに見た。私たちは「冬のライオン」でフランス王を演じてピーター・オトゥールさえも食ったフランス王役のティモシー・ダルトンの妖しい魅力にはまったので、彼がその後ボンドをやると知ったときは二人で興奮した。でも映画館で見たとき、友人は終盤で私に「この人はやっぱりちょっと、まじめすぎる感じでだめよ。コネリーのボンドの方が合ってる」とささやいたものだ。もうその友人とも電話やメールのやりとりはあるが、一年以上会ってない。
しょうもない話題つながりで言うと、先日ここでホークスの周東選手のことを書いたが、盗塁新記録がいろいろ達成されたとかでネットと実況アナは更に加熱しているようだ。昨日か一昨日連続記録が中断したので少しおさまったようだが、新しくファンになった人も多いのか、「子どもの頃に小腹が空いたら裏山でウサギをとって食べたというエピソードが好き」と書いていた人がいたのにはさすがに目が点になった。脚が速いのは子どもの時に近くの山でウサギを追いかけたからだという伝説は、たしか本人が否定していたはずなのだが(とは言え、そんな話がまったく無から生まれるということもないだろうから、いくらかは本人も責任があるのかもしれない)野球中継の時の紹介字幕にも「ウサギ追いの俊足」とか書かれているし、いやはや本当に中途半端な情報社会というのは恐い。