江戸の人はわりと理屈好き
やれやれ。「江戸紀行備忘録」で、あっさり片づけたれと思っていた「寄生木草紙」が、何だか妙に面白くて、中身をいろいろ紹介したくなる。
商家の店先に巣をかけたツバメの話なんて、今読んでもよくわかって、変わらないなあと思う一方、鳥刺しなる職業の存在も、具体的にわかって、これはこれで江戸の息吹が伝わるし。
まだ途中までしか紹介してないけど(何しろ話が長い)、明日にはしあげます。もっと他にも面白い話があるので、お楽しみに。
しあげられなかった理由は、途中で私が脱線しちゃったからで、それは「江戸時代の人たちの文章は、妙に理路整然としてる」という、前からぼんやり感じていた実感について、つい熱く語っちゃったからです。自分で言うのも何だけど、けっこう読んでて楽しいと思うし、皆さんの考えも知りたいので(いや実際にお話する機会はないでしょうが)、ぜひのぞいて下さいな。
私はこういう資料の下読みを一気にするとき、上の古い家の方で、テレビを見ながらやることが多く、最近はワイドショーやバラエティやドラマを見てると腹の立つことが多くて仕事の気が散るので(私、実は話題の「鬼滅の刃」も見てないのですよね。「アナと雪の女王」のときもそうでしたが、あれだけ誰もが一致してほめそやすものだと、私はきっとめちゃくちゃ攻撃モードのスイッチが入って、また三十回ぐらい連続で悪口書きそうなのが、すごく恐い。今そんなヒマはないし、無駄に敵作ってる余裕もない)、プロ野球の試合を録画したものを適当に見流すことにしています。
最近は時間がなくて上の家に行ってなかったので、録画がたまってしまい、古いのを消去しようと思いながら、つい一昨日の録画を見たら、ソフトバンクの試合だったのですが、ちょっと見ない間に、俊足の周東選手がものすごいスター扱いされるようになってて、腰が抜けました。
彼はその試合二回盗塁して、二回目は失敗だったのですが、アウトの瞬間実況アナは「あー、リクエストしてほしい!」と絶叫し、リプレイでわりと明らかにアウトだったのを見ながら言い訳に「今リクエストしてほしいという視聴者の皆さんの声が耳に聞こえたような気がしたものですから」だって。あんまりでしょうが(笑)。
私が周東選手を好きなのは、本人にもファンにも絶対に聞かせられない理由からで、それはファインプレーとエラーを交互にやってくれるから、ファンも記者も、手放しでほめたり、逆に口をきわめて罵ったり、心をこめて慰めたりすると、数日後にそのコメントがまるで的外れなものになっていて、ものすごくみっともない羽目になるのが、見ていて楽しくてしかたないからです。我ながら何とまあ邪悪なんでしょうね。
軽率に人をほめそやしたりバカにしたりすると、後で恥をかくのは世の中にはありがちですが、人の成長や没落はふだんは時間がかかるから、それほどはっきりわかりません。周東選手の場合、きっと本人が死ぬほど苦労して努力してるからでしょうが、その有為転変があまりにも高速なので(ミスが出るのは、その分高いステージに行ってるということでもある)、他者のいいかげんな評価や不用意な発言が、気の毒なほどはっきり、あぶり出される。こういうことがもっと続けば、少しはよく調べも考えもしないで言ったり書いたりすることを、ひかえる人が増えるのではないかと、ちょっと期待したくもなるのですが、それはさすがに無理だろうか。
とにかく、そのアナウンサーの傾倒ぶりを聞いてると、知らんぞそんな調子で持ち上げていたら、きっと明日(つまり今日、いやもう昨日か)の試合でとんでもないエラーをするかもしれないのにと不吉なことを考えてしまいました。そうしたら何と代わりに守備の名手の牧原選手がエラーして、これはきっと「寄生木草紙」がいうところの「禍の転遷」というやつか、と妙に納得しました。何はさておき、彼らの活躍もあってホークスはリーグ優勝したようで、めでたいことです。「禍の転遷」の話は明日説明いたします(笑)。
こんなしょうもないことを考えながら仕事をしていると、命日も近いせいか、母がまだいるような気がして、こういう話を電話してしゃべらなければならないような錯覚にふととらわれます。足を切断した人が、ないはずの足の痛みや感触を感じるように、母の存在を普通に感じます。特に淋しくも悲しくもなく、あたりまえのように。
母がパートの片手間に自分用に編んだ毛糸のセーターやカーディガンがたくさん残っていて、今年はこれを次々に全部着てみようと計画しているのですが、まずは数枚着てみた中では、この緑と白のベストが着心地も暖かさも最高で、なかなか重宝しそうです。