小さすぎたり大きすぎたり
断捨離で最も悩ましいのは個人の遺した日記かもしれません。先日水やりの合間に近所の奥さまと立ち話をしたら、少し前に亡くなった(優しそうでカツジ猫は好きだったらしく金網の中からお姿をうっとり見てたっけ)ご主人の日記がたくさん残っていて、法事のときなど子どもさんたちに見せると、少し読んで「重い」と言って敬遠されたとのことで、自分もときどき読むけれど、どうしたものか迷っているとのこと、私も似たような状況なので、「どうしたらいいんだろ」と二人で話がはずみました。
私など、山のような母と祖母の日記で、祖母はとにかく母は私の悪口などが満載で、私自身の日記も他人の悪口ばっかで、いっそ読むと笑って力がわくぐらいだし、でもまあ生前の故人を知ってる奥さまやお子さんたちは、よかれあしかれ、重いしナマナマしいかもしれないけど、数世代後の人たちは「へーえ、先祖にこんな人いたんだ」感覚で気軽に楽しんでくれるかもしれないし、テレビで見たけど最近見も知らない故人の日記を古本屋で買って読んで楽しむ人もいるようだし、などと話がはずみ、私が「それにしても、カツジ猫が日記を書けなくて、実によかった」と言うと奥さまが「おさしみがおいしかった、とか書くんでしょうか」と大笑いして下さって、私も「ぜったい、『きょうも、おさしみがなかった。えさがまずかった。僕は、愛されてない』とか、毎日もんくと、いじけばっかりだと思う」と盛り上がりました。
本当ですよ。絶対にもう、そうなんだから(笑)。
それにしても、板坂家の女性たちって、ものを書かないと生きてられない体質があったのかな。母や祖母の日記帳はいつからか毎年私が買ってやっていたんですが、それ以前は、たとえば日記帳がない時は、祖母は、そのへんのメモ帳にでも、毎日のことを走り書きしています。これが草仮名で普通には読めないのもあって、処分されそうで気が気でなく、つい、入れておく袋を買おうとして、ネットやお店で適当に注文したら、微妙に大きすぎたり小さかったりして、失敗し、やっと近くのスーパーの雑貨コーナーで、ぴったりのイメージと大きさのものを手に入れて悦に入ってる私も何だかなあ。
前にも書きましたが祖母の日記は、毎日そりゃもう朝ドラのタマさんのお母さん以上に忙しいのに、まったく人の悪口が出て来ません。私の大学時代の帰省のことなど書いてあると、さすがにちょっとどきっとしますが、淡々と事実を書いているだけで、批判もないけど、特に愛情みたいな感情もない。抑制してる風でもないし、まったくすごいと言うしかない。
たまに怒涛のように罵っているのは夫である祖父のこと。めちゃくちゃな悪口の羅列で、ひええ~、こんな感情もあったのかと、氷河が噴火したような驚愕を味わいます。もしかしたら、これはそれなりに祖父への愛情表現じゃなかろうか。すくなくとも、祖母の人間らしさがこれでもかというほど浮かび上がる貴重でありがたい記述です。多分祖母は私に読ませて、そう不愉快でもないんじゃないかなと、妙に確信できる私も図々しいのかしらん。
その悪口とか紹介したいのですけど、時間がないので、これはまた。


