庭も私も大忙し
暖かくなって庭が一面活気づいている。何があきれたって、ずっと以前に家の前の道に落ちてるのを拾ってきて、てきとーに鉢に挿し、そのまま育って大きくなってたサボテンを、どうするあてもなく、窓の下においていて、ついでに、腐って落ちかけてた部分も切ってそのわきに挿しておいたら、何とそれぞれに小さな芽をあちこちに出していた。
おまえまでもかーい、と言いたくなる。
あとはもう、楓も若葉をつけ、バラもついに咲き出し、グラジオラスもつぼみが出て、猫も満開(あ、いらんのがまじったか)、庭はもうどこもかしこも満艦飾のせめぎあい、枯れた花や傷んだ葉を取ったり、水まいたり、草とったりするだけで、まー、いい運動になることったら(ヤケ)。
隣の庭で生まれた子猫は、その後姿が見えません。この前の夜明け、いっしょに寝ていた猫のカツジが、いきなりがばと起き上がって、金網の中の庭に出て行ったので、お母さん猫が連れてきたのかなと気になって見に行ったけど、そうでもなかったようです。どこかよそに育てる場所を見つけたのかな。
ペットとして飼われていた蛇が脱走して、どうなったかと思っていたら無事見つかったようで安心しました。Yahooのコメント欄やワイドショーでも、蛇への敵意や悪口をあおるものはなかったようで、これもほっとしました。
こういうニュースを見聞きするたび思うんですが、野良猫への餌やりを認めて下さいということは、やはり猫好きな人だけでなく、猫嫌いな人たちの協力や理解、最低でも黙認をいただかなくては、よい方向の解決は望めないし、そのためには、猫嫌いな人たちの心境を知っておきたくなる。
仮に、お隣の庭に大小さまざまのヘビがいつもうねってたむろしていて、そこの家の人がかわいいねえと言いながら、毎日エサをやっている。生き餌かもしれないけど、まあ細かいことは省くとして。
ときどきヘビは、こちらの庭にもやってきて、とぐろをまいたり、くつろいで長く伸びたり、ひなたぼっこをしたりしている。こちらがかわいがって餌付けしていた小鳥をつかまえて呑んだり、巣の中の卵を食べたりすることもあるかもしれない。
お隣にそのことをお伝えすると、「ヘビに罪はない。それは習性ですから何ともしようがない。人間だけの地球ではないから、もっとおおらかな気持ちで見守って下さい」とか言われてしまう。
猫嫌いの人に対して、野良猫への餌やりを認めて下さいとお願いするのは、これとまったく同じことをお願いしているのだと思うんですが。
それでも私はお願いするつもりでいます。ただそれは、私が猫が好きだし、かわいそうだし、何とかしてやりたいと思うからで、人類の罪や地球規模の正義のためと思うなら、そこはもうちょっと考えてからにしたい。
自分の好きなもの、快いことを大事にするのは大切ですが、それをそのまま人類一般や地球環境の正義と結びつけるのは、慎重でありたい。そこを簡単に一致させるのじゃ、それこそプーチンとあまり変わらないのじゃないか。
少なくとも、猫の権利や幸せを願うなら、蜘蛛や蛇やドブネズミやゴキブリの権利や幸せについても、一応は考えておきたい。彼らの苦痛や不幸について無関心でいられない人間たちの存在や心境についても。