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思い出がほとばしる

スーパーに米が少し出ていた。この前5キロの袋を買って来てもらったから大丈夫なのだが、用心のために小さい袋をひとつ買って帰った。

『ハックルベリー・フィンの冒けん』、読もうとすると、子どものころの思い出が、ずるずる引き出されてよみがえってヤバい。昨日、ごく最初の方の、ハックが夜の窓辺で親友のトムの合図を聞いて窓から抜け出す場面とか読んだら、もう今は人手にわたった田舎の古い生家の二階の、窓もない暗い小さい自分の部屋で読んだときのことを思い出す。まだほんの子どもだった私。階段の手すりの向こうのガラス窓、その外の樫の木の枝、広がっていた夜の闇。まるで自分が合図を聞いて外に抜け出して行くような昂揚感と幸福感に満たされた、あの時の感じ。家のすぐ横に土手があって広い川があって、いつもずっと水音がしていた。空気にただよう水の香り、空に散らばる星の輝き、そのすべてが、現実のものか本の中で目にしたものか、もはや区別がつかないぐらい、ひとつに溶け合って、手でさわれるように、ありありまざまざよみがえる。

今の自分の家だって、散らかってるなりにそこそこ快適だけど、何だかこの本は、どこか明るい喫茶店かレストランで居座って、少し上等のパフェとか食べながら、午後いっぱい使って一気読みとかしたいなあ。
 それに最適な小さいお店があるのだけど、何と今日は定休日(笑)。他にも読む本や仕事はあるから、この楽しみは明日に回すか。

それで思い出したが、喫茶店に関するエッセイを集めたアンソロジーの文庫本。最後近くで枕の下にまぎれこんで読みかけのままだったが、また読み出してもうすぐ終わる。途中でやめるきっかけになった井上ひさしのエッセイをがまんして最後まで読んだが、やっぱりこの人嫌いだわあ(笑)。自分の見栄のために喫茶店を使って、その後仲間と私物化して雰囲気悪くして何軒もつぶした過程を、いけしゃあしゃあと書いている。その過程というか、自分らの果たした役割はわかってるのね、きちんと分析できるのね。でも開き直りか告白か照れかもしれんけど、罪の意識も恥ずかしさもまったくなく、むしろちょっと誇らしげに得得として書いてるようにも見える。
 どっちにしたって最低。私も田舎者だけど、ほんとにド田舎者!って感じしかしない。全国の「九条の会」の最初のメンバーでもあるし、政治的立場とか意見とかは私と一致してるのに、この生き方のセンスと来たら、どうしてこんなにみっともなくて最低なの。コーヒーや喫茶店がこんなに似合わない人間もめったにいないんじゃないだろか。知らんけど。

写真は、あまりにも遅れて植えた朝顔と、そのつるを、庭いっぱいにはわせようという、私の壮大な計画の片鱗(笑)。ご近所の奥さまから「台風対策ですか」と聞かれた、張り渡した白いひもに、ようやくつるのはしがからみついてくれた。この前最初に咲いた、青い一輪はしおれてしまって撮りそこねたが、今朝は二番手の赤紫の一輪が葉の陰で開いてた。つややかでなめらかで、みずみずしそうな花びらは見ているだけで、どきどきする。

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カツジ猫