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かちんこちん

数日前の古い写真を見たひとつ年上の従姉から、なつかしかった!というメールが来た。あの横に、川に降りて行く道があったねということばに、その風景を知っているのは、もう私たち以外にはほとんどいないと、あらためて思った。知ってる人のほとんどが、もう死んじゃってるんだもん。

淋しいとか言うよりも、何だかあせる。私たちがいなくなれば完全に消えてしまう風景や時間や事実を、かけらでも幻でも、少しは伝えておかないといけないんじゃないかと。

母も祖父母も過去のことをあまり話さなかったから、私にも伝わっていることは少ない。それはまあ、しょうがないとして、戦争がいかに悲惨だったか、原爆投下の瞬間がどうだったか、沖縄の戦争がどうだったか、さまざまの人たちが、本当に苦しみや虚しさに耐えて耐えて、語って語って語りまくってくれたからこそ、私たちはそういうことをかなり見てきたように知ることができたのだと、あらためて気づいて、感謝する。

そういう記憶の数々は、聞いた私たちも伝え続けて行かなくてはいけないけど、それと同時に私たちにしか伝えられない、時代と時期の記憶もあるはずで、それは何だろうと、ふと考える。

最近、罪のないライトノベルを読み飛ばしている私だが、自分も含めて、こういう世界と時代の記憶も伝えておくことが必要かなと、とっさに、いきなり考えもする。平和な時代。豊かな時代。幸福な時代。でも、その中にある危険や悲惨。それと向かい合って戦った日々。守りたいもの、残すべきもの。進めなくてはいけないもの。

かつて平成が終わったとき、私の心に自然に浮かんだのは、「平成は守った」ということだった。この年号の期間、日本を戦争できる国にしなかった。平和憲法を守った。昭和という年号が持つ傷や汚れを、平成にはつけないですんだ。それは、ささやかな、恥ずかしいほどの、私の自己満足だった。そして、令和はどうなるのだろう。その年号が終わるまで私は生きて、平和な日本を守りきれるか。とても自信はないが、目標としてはありなのかも。

そう言ってたら、戦争が起こっちゃったじゃないか。ウクライナで。
湾岸戦争が始まったときの絶望を思い出す。小林エリカの「空爆の日に会いましょう」を思い出す。マスメディアですら、身近な友人たちですら、あの戦争をろくに見もせず考えもしなかったあの時期、まともに戦争を受けとめて、考えて行動して書いてくれた本は、本当に、あれしかなかった。砂漠で水を飲むように、私は目を閉じて、それをむさぼった。

ただの印象で、感想だが、アメリカのやりたい放題の国力にやっと陰りが見えてきたと思ったら、ロシアとプーチンがそれに代わって登場するのか。失礼でよくない例えとはわかっているが、ガンが再発とか転移したときの気分って、こんなものなのかもしれない。

んなことを考えながら、今日は久々に早く起きてラジオ体操をすませ、生ゴミを庭のコンポストに捨てに行ったら、ふたがかちんこちんに凍りついて開けられない。もう一箇所のあまり使わないコンポストを試したが、同じこと。庭のバケツの水には氷がはっていないから、最強の寒さではないはずなのに、それで、これだよ。当然、庭の水まきもホースの水が凍りついているだろうからできないだろうとあきらめて、二度寝した。

その後で、昨日見つけた、上の家の荷物の中の、私の小さいときの絵や日記帳の写真を撮った。いろいろ、びっくりすることもあったが、それはまた。ひとつ笑ったのは、私の絵って、花とかお人形とかもないわけじゃないが、妙に乗り物とか動物が多い。ちょっと上手すぎる気がするから、実物じゃなくて何かの本を写しているのかもしれないが、それにしても好みは汽車や電車だよね。

それと、これは多分自分で空想して描いてると思うが、「おうち」とかいう絵の様子が何やら今の私の家の雰囲気にかなり似てるのも、ちょっと笑った。先祖返りだか三つ子の魂だか、結局私は自分の好みに向かって歩いて来たのかもしれない。

あはは、突然ですが、関係ないけど、これ、けっこう面白いかも。

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カツジ猫