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悲しい話

いいお天気が続いている。おかげで猫たちも元気がいい。灰色猫のグレイスはいつもながら上機嫌で、しま猫カツジは留守番が多いのが不満そうだが、元気はいい。おまえなんかいなくてもいいんだよアピールを最近はし始めて、エサをもらって食べてしまうとものかげの椅子の上で丸まっている。

「虎とバット」があまりにも重厚?なので、ついホワイティングの「菊とバット」を読み始めたら、やっぱり書き方がうまいというか、いい意味でチャラチャラしてるので、どんどん進んで、もう読み終わりそうだ。
彼の書いてる日本のプロ野球の特質は、これはもうずいぶん前の話なので、少なくとも私がファンサイトで仄聞する限りのソフトバンクホークスの選手管理や選手の上下関係とは、かなりちがって見える。その内誰かが「鷹とバット」でも書かないかな。たしかに新しいかたちでの指導や人間関係が作られつつあると思うのだが。年俸の額の多さだけをとっても、「菊とバット」が比較している米国の野球の方に近い。
それと私は森投手がルーキーの甲斐野に悪さをしているのを、あれは昔の上下関係の名残だろうかと思ったりしていたが、「菊とバット」などを読むと、むしろ大リーグの選手たちのいたずら(多分サファテ仕込みの)の方に性格が近いのかな。それと、こうして読んでいると、王ってめちゃくちゃ完璧に人格者なんだな。本当に。
そして、日本式の管理野球に抵抗し、結果として日本野球の発展や成長に貢献した有名選手たちの多くが金田正一をはじめ、外国人の血を引いていたことも印象が深い。

由布院のホテルの部屋で、空にそびえる美しい由布岳の青い姿をながめながら、福田ますみの文庫本「モンスターマザー」を一気読み。前に同じ作者の「でっちあげ」も読んで、いろいろふうむと思ったのだが、今回はそれに加えてとても悲しい話だと思った。何がかわいそうって、自殺してしまう少年がひたすらいたましいし、その原因とされた学校の教師や校長や級友たちもいたましい。いたましいだの、かわいそうだのではすまないというのはわかっているが、それでも何よりそう思うし、後味の悪さはない代わりに、切なさだけがいつまでも尾を引く。

書かれてあることが全部事実として(事実だろうが)、これだけの人を不幸に陥れる、少年の母親である女性の、ものすごいモンスターぶりもけたはずれすぎる分、すごすぎて哀れに思うか尊敬していいのかわからなくなる。これだけの力で周囲を席巻できる強さっていったい何なのだ。しかも三回も結婚して夫をぼろぼろにできるというのは、どこから生まれるパワーだろう。

一番許せない役割を果たす、人権派弁護士やジャーナリスト、報道機関の多くなどについても作者はきっちり書いてはいても、過度な攻撃はしていない。むしろ最大限に弁護しようとしてさえいるかのようで、それがかえって説得力がある。そして、そういう書きぶりのせいか、このインドかどっかの古い宗教の女神のような恐ろしい女性のことを、作者はどこかで尊敬し愛しているのかもしれないとさえ感じるぐらいだ。

「週間金曜日」も鎌田慧氏も私は信頼し尊敬するし評価しているのだが、それにしても、こういう雑な仕事をして、母親の側に立ってしまうのはもう本当に何でだろう。忙しいのがいけないのか、弱者と強者という枠組みにとらわれすぎてしまうのか。実際には本当に級友のいじめに苦しむ子どもも、それを隠蔽して被害者と家族を追い詰める学校も絶対にあるわけで、それとこのようなケースとを区別できる力というのを、常に養っておかないといけないのだと痛感する。

読んで数日してもまだ、どうかするとかすかによみがえる痛みは、どす黒いというよりは、どこか甘い。ひどすぎる悲しい話なのに、たとえば広島の原爆で壊滅した演劇集団「さくら隊」の本や映画にふれた時と似た、青春の華やかさのようなものさえ、どこかで感じる。死んだ少年も含めて、傷ついた同級生の子どもたちや、それをとりまく大人たちの姿もまた、これが学校時代だ、青春だと感じる。それは決して美しいものではない。危険で残酷で醜くて虚しくて、それでも輝いている。湊かなえの小説が描き出そうとするものも、それと似ているのかもしれない。

それにしても、この話で、悲劇の素が原爆や戦争ではなく、人権や弱者というのも、現代的っちゃあ、そうだ。
たまたま若い人から、このホームページの「さかなよ、さかな」がすごく好きだという感想をいただいて、思わず自分で読み直した(笑)。そして、あらためて、ため息つきつつ納得した。「人間はどこまでも、つけあがる」という私の実感。童話の漁師のおかみさんに、どこか似ているモンスターマザー。私たちが向き合わなくてはならない問題のひとつは、たしかにここにある。

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カツジ猫