時計の木
何かもう、こういう話が多いなあ。
というわけで、「お茶しようぜ」の紹介を続けます。
主人公三人の二人目に行く前に、ちょっとだけ一人目の若い社員について。
自分でも気づかずに電車に身を投げようとしていた彼は、職場の上司たちに決して嫌われていたわけじゃない。いじめられてたのでもありません。
むしろ評価され、目をかけられ、かわいがられてたのだと思います。彼が自殺したと聞いたら上司たちはきっと驚き、きょとんとし、理由がまったくわからないでしょう。「いいやつで、目をかけて、かわいがってやってたのに」「本人も満足して、元気に仕事にはげんでたのに」「信じられない。事故じゃないのか」とか、本心から言うでしょう。
上司たちからだけじゃなく、周囲が見てもそう思うでしょう。何が原因だったのか、きっとわからないでしょう。多分、本人もそうでしょう。
でも作者の書き方がうまかったのか、私の方にそういう要素があったのか、私は読んですぐ、一も二もなく、これは地獄だと思いました。
殴られるわけじゃない。罵られるわけじゃない。無視されるわけじゃない。でも、相手のいうことにちょっとでも逆らったり対応が不十分だったりしたら、そうなることが目に見えている。だから必死で全力で、相手を快くしよう、相手の望みを最大限かなえようと、夢中で言われたことをする。それができる能力もあるから、上司たちはますます気に入って彼を手放さないで使い倒す。
それは仕事のことじゃない。会社や顧客のためじゃない。ひたすら上司たちの仕事以外の宴会やら飲み会やら楽しみやらに関することです。女性の紹介ももちろん入る。死ぬほど酒を飲まされ、ものを食べさせられ、笑って陽気でにこにこして座を盛り上げることが求められる。自分のプライバシーもいじられる。ただの知り合いの女性を(上司たちは名も顔も知らないのにただの面白半分で)恋人として卑猥な冗談の材料にされ、挙句の果てには、ごほうびとして、風俗に行かされて童貞を喪失する。
そのどれもを、彼は自分がいやがっているのに気づかない。必死で仕事をしていて、それを評価される充実感もある。風俗に行かされたことさえも、まああれはあれでよかったしと、上司と自分を肯定している。健康で、前向きで、まじめで、明るい、けなげな若者。
唐突すぎるけど、多分ちがうと思うけど、私は最近話題の梁ちゃんとやらも、何だかここに重なっちゃうんですよね。高市首相のような価値観と哲学と美意識の持ち主のもとで、一生懸命与えた仕事に邁進してたら、相手を快くさせようとしてたら、誰だってああなっちゃうんじゃないかって。
自殺は絶対いかんけど、それができるのはまだ幸福だとさえ思います。こんな環境でアメとムチのもとで、価値観や人間性をかたちづくられゆがめられこわされて、自分自身がとりかえしのつかないほどの化け物になるよりは、まだ死ぬ方がましかもしれない。そんなことすら思います。
何しろ新聞の連載小説ですからね。読んだらすぐにゴミに出すから、全部記憶で書くしかない。だから忘れてることもまちがってることもあるかもしれないけど、とにかく、若い社員のことをある程度読者に理解させたあと、話はずるっと(つまり自然に)助けてくれた内の一人の中堅社員に移ります。
彼は独身で、見た目も弱そうで、実際胃腸はひどく弱い。だから職場の飲み会でも、もちろん若手に何も無理強いしないし、鍋の肉とかも若い者たちに譲ってやる。しょうもない自慢話や昔話も全然しないで、温厚で穏やかだから若い社員たちに慕われ、皆は上司の悪口を言いながら彼になついている。
そういう点では幸福で、何の問題もない人に見える。でもそれは彼自身が自分の身体の弱さから、もう種として不完全で生かしてもらっているだけの存在と自分のことをあきらめて何の欲望も希望も持っていないからです。
そんな風だからか、結果としてそうなったのか、人柄はいいし優しいから恋人もいたんですが、何しろ彼は胃腸が弱く、おいしそうだ食べたいと思って肉やケーキを食べても、ちょっと多いと(というか普通に食べると)、即座にお腹をこわして長くトイレにこもるしかない。恋人は自分がむしろ健啖家で、そんな彼に食べていても申し訳ない気がして楽しくないし、デイト中にトイレに十五分もこもられたりしたら、やっぱりちょっとということで別れてしまう。
私もここ数年、大病で手術したあと、わりとこれに近い状態で、トイレの位置を確認しないと街も歩けず食事もできない状況が続いてたので(どーせ手術して無事生還したのだから、このくらいの後遺症はしゃあないと、あんまり苦にもしてなかったけど、最近はそれもわりと治って来た。どうやら新体制の位置や通路に慣れたらしい私の内蔵たちがかわいくてしかたがないが、ほうびのやり方がわからない。笑)、この中年会社員の心理や立場には共感も同情もした。
そうしながらも、つい笑ったのは、若い会社員が身体ばりばり健康なのに、精神がぼろぼろに食い荒らされてる状況と対象的に、あまりにも即物的で現実的な、胃腸の弱さが、この人の人生観も人間性も、選択の余地なく決めてしまっていたことだった。
彼は死ぬほどの病気ではない。障害者でもない。だが実際には社会生活がやっとという程度の欠陥人間、不合格品、落伍者で、明確に基準を外れているのでもないから、保護もしてもらえないし特典もない。彼自身がそれを熟知し、あらゆる欲望をあきらめて、静かに生きている様子は、自他ともに幸福に見えるが、だからといって、これもまた幸福と言っていいものかどうか。
彼は人間性を失ってはいないし、むしろ優しさや落ち着きを人より豊かに持っている。多分読者は見ていて救われるだろうし、彼を好きにもなるだろう。しかし、こうなりたい、こう生きたい、一歩進めてともに生きたいと願う人は、どのくらいいるのか、私にはわからない。どこかで理想のような気がするが、これはこれで大変なことで、私にはできそうもない気もかなりする。
「お茶しようぜ」という、この小説のテーマや設定は、彼のような人の状況を描くには最も適しているかもしれない。職場や街では目に見えないし伝わらない、彼の弱点や核心が、明らかになるのは、こうやって「ものを食う」場でしかないからだ。若い会社員やパワフルで強面の年配の社員に比べると、彼の食べられる量は異様なほどに少なく、それも用心しいしいだ。一人前にケーキやお茶や軽食を口にしてさえ、彼の健康状態は崩れる。それは彼が、特殊で異様で落伍者だということを、瞬時も読者に忘れさせない。
とは言え、読み直して見ないとわからないが、このお茶会を定期にすることを提案し、それを継続しているのは、結局彼だったような気もする。その点で目立ちもしないし派手さもないが、彼には人をまとめたり、相手を見る力やコミュニケーション能力はかなりあるのかもしれない。これも読み直さないとわからないが、職場やその他で彼が生き残り不幸にもならず被害者にもならずにすんで来たのは、そういう能力だったのだろうか。
さて三人目のタフなベテラン社員はこれまた、どこにでもいそうな、ありふれた古参社員っぽいのだが、それもまたやはり日本の会社組織や社会組織の姿をささやかながら適格にえぐり出す。
ここ数回はさらに四人目が加わった。いったいこの先どうなるだろうか。気になる方は、どうか「しんぶん赤旗」の日刊を購読してごらんになって下さい。できればファンクラブを作って感想を交換したい…いやいやいや、今の私にそんなヒマがどこにあろうかってんだ。
家を片づけていたら、昔買ったままにしておいた、そこそこ立派な腕時計がいくつも見つかりました。お金をかけて、近くの店でメンテナンスしてもらったけど、かっこよく保管して、毎日つけかえるためのしかけに、頭をひねった結果、よく行くお店にあった、アンティーク調の小鳥の置き物を買って来ました。引っかけるところがいっぱいついてて、目的にばっちりです。
時計はまだもう少しあるので、全部かけたら多分もっとかっこいいはず。ひとつ文句があるとすれば、すごく素敵に周囲ととけこみ一体化しすぎて、目で見るといいのですが、写真になるとちょっと魅力が伝わりにくいかしれないですねー。

