ぼくたちと、さいばんえいが(カツジ猫)
ぼくのかいぬしは、なんねんかまえに、がんになって、
おおきなしゅじゅつをしました。
ぼくはそのあいだ、おるすばんをして、
ひとりで、このいえを、まもりました。
せんぱいの、きゃらめるさんたちが、しんでも、ここにいて、
いっしょにくらしているのは、いきもののめにはみえないから、
ぼくはずっとひとりでいるとおもっていました。
かいぬしは、さんにんのひとに、ぼくのせわをたのんでいって、
みんな、かわるがわるにきて、かわいがってくれて、
ぼくは、たのしくすごしました。
かいぬしは、かえってくるだろうとおもっていたけど、
そのまましんでも、なんとかなるとおもっていました。
かいぬしは、しばらくすると、ぶじにかえってきて、
ふつうに、ぼくとのせいかつを、つづけました。
「しょうもない、おみまいや、おせっかいがうるさい。
そんなものに、いちいち、じかんをさいてるひまがあるものか。
いつしぬかもしれないのに」といって、
「いそがしい、いそがしい」と、まいにちいっていました。
「いまおもえば、あんなにあわてないでも、よかったな。
もうすこし、おまえをかわいがっとけばよかった。
なにしろ、さきがよめなかったからね。
おまえも、はやくしにすぎるよ」と、
いまもときどき、ぼくのしゃしんに、もんくをいいます。
ぼくだって、じゅうろくねんも、いきてやったんだぞ。
ながさに、ふそくはないと、おもうんだが。
かいぬしは、いまのところ、げんきなようで、
まいにち、くすりをのんで、ときどき、びょういんに、けんさにいきます。
「おまえも、もうしんだし、あとはのんびり、できることをするしかない」と、
きらくなかおをしています。
きのうは、ひさしぶりに、びょういんにいくひでした。
てんきもよかったし、ぼくたちは、くるまにのって、ついていきました。
きゃらめるさんと、あにゃんさんと、みるくさんと、みけねこのしなもんさんです。
かいぬしが、おいしゃさんとはなしているあいだ、
ぼくたちは、びょういんのろうかや、そとのにわで、
おいかけっこをしていました。
くるまいすや、べっどにのって、いどうしているひとたちもおおくて、
ぼくたちと、おなじような、ねこたちや、おおきないぬが、
しずかに、そばにいるのも、たくさんみました。
いっしょに、ねむって、のどをならしているねこや、
かいぬしのひざで、まるくなっているいぬもいました。
かいぬしがしんだら、いっしょにきえて、ついていくつもりか、
わりとみんな、あかるいかおをしていました。
かいぬしが、げんきそうなねこやいぬや、ことりは、
ときどきちょっと、ぼくらとにわであそんだりしたけど、
はなしはあまり、しませんでした。
けんさのけっかは、いちおうぶじだったようで、
かいぬしは、ちかくの「いおん」にいって、
いろんなおみせをのぞいては、「あのふくはいいなあ」とか、
「ぼうしもほしいなあ」とか、「はだぎも、かいたいな」とか、
こころのなかで、ぶつぶついっていました。
ぼくたちは、おもしろかったので、かいぬしの、
すこしさきをあるいて、「あのみせには、きっとはいるぞ」
「あのぼうしは、めをつけるぞ」と、
よそうしあっては、よろこんでいました。
「なにもかも、あまってるからなあ」と、かいぬしは、
ためいきをついて、なにもかわずに、そのかわり、
きょう、ふうぎりの、あたらしいえいがをみました。
みんな、よろこんだけど、このえいがは、
かいじゅうも、せんそうもなくて、おんなのひとたちが、いっぱいでて、
いろいろ、はなしあうばめんばかりのえいがで、
ぼくたちは、たいくつして、いすのうえで、ほとんどねていました。
おんなのひとたちのなかには、かいぬしのるすのあいだ、
えさをやりにきてくれて、あそんでくれた、
おねえさんや、おんなのひとに、にたひともなんにんかいて、
それをみてると、なつかしかったけどな。
とくに、こえとかがにてるとな。
みんな、いま、どうしているんだろう。
みけねこの、しなもんさんだけは、えいががとても、きにいったようでした。
「こうやって、よのなかは、すすんでいくのよ。
おとこのつごうのいい、しゃかいとたたかった、あのおんなのひとたちは、
みんな、かっこよくて、すてきだったわ」と、こうふんして、
いすのうえを、つめで、ばすばす、ひっかいていました。
ぼくたちは、みなしんでるから、ひっかいてもなにしても、
あとはのこらないから、べつにいいんだけどさ。
ひきょうで、うそつきなおとこを、おんなのひとが、
さいばんしょのろうかで、ひっぱたくばめんでは、
しなもんさんも、とびおりていって、おとこのかおを、ひっかいて、いました。
そして、はしってもどってきて、
「ああ、すっとした」といってかおをなめていて、
きゃらめるさんたちは、びびっていました。
「でも、おじいさんのさいばんかんとか、わかいおとこのどうりょうとか、
おんなのべんごしさんのだんなさんとか、
りっぱなおとこも、おおかったじゃないか」と、ぼくがいうと、
しなもんさんはしぶしぶ、「まあね」とさんせいしました。
「おまえ、どきょうがあるな」と、きゃらめるさんは、
あとで、ぼくに、かんしんしました。
「なんでさ」ときくと、「あんなときの、しなもんに、はんたいするのは、
とらと、たちむかうより、ゆうきがいる」だって。
あにゃんさんは、「いまいち、なにに、そんなにおこってるのか、
わからないときがおおいから、こわい」といっていました。
これが、しなもんさんです。
このしゃしんは、まだこどものころで、ぼくがきたころは、
もう、おばさんでした。
きゃらめるさんとは、またちがった、はくりょくがあります。

したは、いつもの、ぼくがでてくるむかしのぶろぐです。
いきているしなもんさんと、わりとながくくらしたのはぼくだけだから、
すこしは、きごころがわかるのかもしれない。