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末期症状の初期症状

地域の方が作って下さった俳書の本の原稿が、思ったよりもずっときちんと出来ているので、これなら死ぬ気でがんばったら、月末までに校正を雑ながら仕上げられるかもしれないなあ。やってみようかしらん。

と思って、仕事をしながら見るのにちょうどいいと思って、プロ野球のホークスと日ハムの試合を例によって横目でテレビで見ていた。そうしたら、今日は王監督のレガシーデーだとかで、ホークスの選手は全部王監督の背番号のユニホームを着てプレイし、ゲームの中継はそっちのけで、アナウンサーと解説がOBをゲストに王監督の思い出話で盛り上がるという、何だか変な構成で、これは選手もやりにくかろうと思ったら、案外ちゃんと試合をしていて、えらいもんだと感心していた。

しかし中盤のかなり緊張した局面でも、放送席は思い出話でウハウハ笑っていて、試合の話はまったくしない。私は王監督も、その後の監督も、彼らが築いたチームの精神も、皆とても好きだし、評価してるが、それはこういう姿勢なのかしら。すごく違和感があって、とうとうテレビを消してしまった。

誰の発案か知らないが、こんなのは、プレーしている選手にも失礼だし、相手の日ハムにも失礼だとしか思えない。その後しばらくしてまた見たら、リードを追いつかれて同点になっていた。結果がどうなるかは知らないが、こういう番組の構成は、王監督の精神とはかけはなれたもののように思えてならない。

と思いつつ仕事をしてたら、昨日一昨日と大差でボロ負けした日ハムがさすがに今日はかなりねばって、最後は一点差でホークスがきわどく勝った。これでシーズンはじめから日ハムはホークスに八連敗だとかで、ネットではその話で盛り上がってるが、今日に関しては、追いつ追われつのいい試合だった。それだけに、あの変な番組構成がもったいない。

くり返すが王さんもホークスも城島氏その他のOBも好きなので、試合と別立てで、ちゃんと歴史や過去を振り返る特別番組にしてくれたら、私はきっと熱心に見て、多分ますます王さんもホークスも好きになっただろう。
 でも、何であれ試合はそれ自体を真剣に楽しむもので、それを変な予定調和のお祭り番組とごっちゃにしてほしくはない。まあもともと私は、選手個人の経歴や裏話は知らないで、プレー時の姿だけを楽しむのが好きではあるのだが。

同じ番号のユニフォームも、「勝たなきゃいけない試合」のプレッシャーも、敵味方ともに選手をおもちゃにしてるようで、とても気持ちが悪かった。

勝ったホークスのヒーローインタビューに呼ばれたホークスの二人の選手も、どっちも天真爛漫、天衣無縫に見えて、非常に賢い人たちだから、若い選手や無邪気な選手とはちがって、期待された必要なことしか言わず、おかしな発言はまったくしなかったが、それだけに、というか、それでもなお、というか、試合や勝利の楽しさよりも、勝たねばならない責任感や重圧がまざまざと伝わって来て、何だか少し痛ましかった。気のせいか観客も、爆発するような浮かれた喜びがなかったようでならなかった。「ほっとした」とか「疲れた」とか、明らかに試合以外の原因で選手にこんなことを言わせるなんて、私が首脳陣なら恥ずかしい。

くりかえすが、こんな個人崇拝みたいな状況を作るのが王さんの望みなのだろうか。昨日、200勝のウィニングボールを勝利投手から渡されて「(記録のことを)忘れていたよ」と言いながら、投球について辛口の注意なんかしてたらしい小久保監督のあり方の方が、よっぽど幸せでカッコいい気がしてならない。

どうせ私のこったから、またとんでもないことを思い出してしまうのよね。多分大学生のころ当時のソ連(今のロシア)が国力を総動員して作ったという「ヨーロッパの解放」という大長編映画があった。第二次大戦のときに、ソ連がナチス・ドイツと戦う記録映画みたいな劇映画で、当時はアメリカがろくなことをしていなかったし、ナチスと戦う映画だし、私も友人もソ連には好意を持ってたから、観に行った。ちゃんと大きな映画館で公開されていた。

検索したら、今もけっこう映像が残っていて驚いた。何だかモノクロだったような記憶があるが、カラーだったのにも驚いた。いろんな人が批評していて、「とにかく退屈」とも言われてるように、何しろ物量がすごくて、人間ドラマは印象が薄い。まあ迫力だけはあったし、歴史の勉強みたいな感じで見た。赤十字が、きわめて政治的で資本主義的な悪の組織みたいな位置づけで描かれたたのも、そういう見方もあるかと新鮮だったのを覚えている。

戦闘場面とともに、そういう演説の場面も多くて、何となく見ていたのだが、後になって何かの批評で、その指導者か指揮官かの演説の中に、「何月何日までに、これこれの成果をあげよう(あげるように、だったかも)」と兵士たちに訴える文言があって、それは当時のソ連の指導者のスターリンの誕生日だったことが指摘されていた。私はその場面を見ていて、そのことに気づかなかったことが、ちょっとショックだった。

その映画が作られたときに、ソ連国内でのスターリンの評価がどれだけ否定的になっていたかは知らない。だから、その文言がどの程度意図的だったのかもわからない。まあ私が気づかなかったぐらいだから、それほどに批判的に描かれてはなかったかもしれない。

何を言いたいかと言いますとね、そうやって、戦況にかかわりなく、指導者のお誕生日までにかくかくの戦果を上げなさい、などと、現場の兵士たちに対して強制するなんて、国も指導者も、末期症状の始まる初期症状じゃないかって、今の私は思うわけです。

北朝鮮こと朝鮮民主主義人民共和国の金日成にしても、中国の毛沢東にしても最初はそれなりに立派な指導者でした。個人崇拝が嵩じて神格化されるあたりから、何だかろくなことにはならない。

今日のテレビで、アナウンサーや解説者は、王さんのように一つのチームにずっと関わって地域に根付かせるような偉大な存在になった人は世界にも例がないみたいに、くりかえしていました。それは立派なことかもしれないけど、ひとつまちがえば、ヤバいことでもあるんじゃなかろうか。どのように、それを次の世代に引き継ぎ、受け継いで行くかの方向を、よくよくしっかり考えなくてはいけないのだという点で。

少なくとも、今日の試合のイベントとしての利用のしかたは、私には選手も観客も無視した個人崇拝につながりかねないものに見えてしかたがない。はっきり言って、今後はこんなかたちでの催しは、もっと慎重に配慮してほしい。

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カツジ猫