母と、母の母(11)
この便箋は、祖父の医院のものだが、いつもの青い罫線のと異なり緑色で様式も微妙にちがうから、時期が異なるのかもしれない。封筒の日付の「三月」も上部が欠けていて定かではない。
ただ伯父の鐘紡への入社が決まったとあるから、調べたら時期はわかるかもしれない。封筒の宛名の母の住所も活水の寄宿舎ではなく「筑後町八番地白山様方」となっているから、そこからも推定できるかもしれない。
母は何度か下宿を移っている。長崎の原爆でご家族が亡くなった家もあったと聞いている。ここもその一つなのだろうかと、ふと気になる。
「興亜院」は、近衛文麿内閣が作った対中国政策のための政府直属機関らしいが、伯父や祖父がどんなかたちで関わることができるものなのかはわからない。いやはや何だか謎めいてるなあ。祖母はさらさら書いているけど。こう書いて母にはわかるのだろうから、当時は誰でも知ってたのだろうが。
少し寒くなりましたが別にかわったこともないでしょね 内でも三人共至って達者です
今 元ちやんが試験の眞最中ですが平常とかわりなくすこぶる落付いてますので私共も心丈夫で居ます
そして兄さんもいよいよ望み通り鐘紡の方に入社するやう決定しましたので御父さんのおよろこびってないのよ 事実この鐘紡には仲々誰も彼も入社する事は出来ませんからね 兄さんはどこ迄も好運児ですね
先日も一寸話したやうに興亜院にも入り度いのですがそれよりやはり鐘紡の方がよくはないでしょか 神戸につとめますのでしょから南生子がよろこぶでしょとお母さんも嬉しく又安心しました この次は御父さんの興亜院入りです
この問題は兄さんのとのやうに急にはまゐりませんでしょが きっと居らっしゃるのですから又楽しんで待ってます處です
澪ちやんは何日にかへりますか
御父さんが今月は卅 円はいるまいと仰言るし今日来る筈のがきませんから廿五円丈送りますが旅費が足りないやうでしたら電報打って頂だい 電報為替で送りますから もしよさそうでしたら工合よくくり合って頂だい
母ゟ
澪子様
(三月廿日)