1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 泣くぐらいなら脱ぐ!

泣くぐらいなら脱ぐ!

せっかくだから、こうなったらもう、書けるところまで書くわいな。

日中米のこの間の会見前後で、高市首相(とそのとりまき?)が、へましまくっていることで、一番ムカつき腹が立ち、そのくせどこかで、それ見たことかと自分の予想があたりすぎ、要するに、しょうもない筋書き通りにことが進んで行き過ぎるのに、喜んでいいのか悲しんでいいのか、心が千々に乱れるのが、いちばんしゃくにさわるんですよ。

池上彰風に(って、よく知らんけど)、ここで確認しておくと、根本的基本的な事実として押さえておいてほしいことは、高市首相が日本のアジアでの戦争犯罪について、「私はそのころ生まれてもなかったんだから、反省する必要はないし、反省する気もありません」って言った、あの有名な発言ですよ。

もちろんこの発言自体とんでもないし許せないけど、まあ高市さんという人は、ある意味守備一貫して原因と結果がちゃんと結びついて行くひとではあるんですね。ほめてるわけじゃないけれど。そういう人を首相にしちゃったんですから、そこの責任というか危機管理は与党のめんめん、しいて言うなら野党も国民(=私たち)も、しておくしかないわけですよ。

私はパンダ外交を持ち上げる気はないし、日中会談のあと、中国が、もう何頭もいて、合わせりゃ六匹にもなるパンダをアメリカにプレゼントするなんて、まーそれもそれで、大人げないっちゅうか品がないというかこれみよがしというかガキっぽいというか、笑ってしまうんですけど、実際日本があんなに大切に育てて皆が好きだったパンダが、今は日本には一ぴきもいないって、現地の上野の人たちにとっては、本当に笑い事じゃない切ない悲しみだと思うんです。その原因になったのは、言うまでもなく高市首相の「台湾有事」発言が中国の人心を逆撫でしたからで、パンダもですけど、他の業種でも、観光業でもそれによって追い込まれた人は多いし、とんでもない損害を与えたことは否めない。

確信犯なら、まだいいんですよ。それだけ中国を刺激して、日本に損失もたらして、代わりに何か得たものがあれば。有形無形その他何でも。
 どう考えても、ありゃしません。起こった結果を予測していたとも覚悟していたとも思えない。ただの無知で、不勉強です。高市首相はもちろんですが、それを予測できなかった日本国民のすべてが甘すぎる。もちろんとめられなかった側近が一番罪が重いし、それをちゃんと検証して指摘せず、国民に何がいけなかったのかを考えさせなかったメディアも負けずに罪が重いけど。

あの時点で少なくとも、高市首相の「台湾有事」発言は、彼女の「生まれてなかったんだから責任はないし、反省もする気はない」という歴史認識、人生観につながり、それはそのへんのおばさんおじさんが言ってる分には別にいいけど、首相や支配者としては国も国民も危険に晒す、ということを、国民は皆、認識しとけばよかったんです。

台湾についても中国についても、星の数ほど諸説はあるでしょう。でも、それはそれとして、それだからこそ、それは「ここ当分は、その界隈や、その付近は、そっとしとかなければいけない」問題だったのですよ。アジアにとっても米国にとっても、その間でバランスをとって行くしかない日本にとっても。

こんな時でもどんな時でも、タラレバなんて言ってもしかたがないことですし、私だってほとんど可能性を信じてはいないけど、しかしですね、あのパンダがいなくなった時点で、メディアがきっちり騒いであげて、国民や、ひいては高市首相が、まあせめて十九世紀になってから(ほんとは、古代からですが、おおまけにまけて)ぐらいの歴史の流れやそれにひきつづく現状と、今のところの世界の常識と確認事項ぐらいは、自分の趣味は趣味として、最低のことは知っとかないとえらいことになる、パンダは消えるし旅館はがらあきになるしその他もろもろのことが起こるぞ、ぐらいの意識が漠然とでも生まれていたら、今回の日中会談で、日本の過去の戦争犯罪はそろそろ水に流しましょうみたいなことは、なんぼなんでも言わなかったかもしれないと思うのです。

そういうのは、被害を受けた立場の相手が、もう水に流しましょうと言って来るまで、死んでも口にしちゃいけないことでしょうが。どう考えても。日常でも。殺人犯を許せるのは被害者だけで、加害者の方から、もういいんではないですかと言うのは無茶です。たとえ、被害者に非があると思っていても、それは自分で思っているだけ、最低限、文学として書くことでしょうよ。日記でもネット小説でも。それは文学だけに許される特権で、社会的に公然と承認されることはあり得ない。実力戦力経済力そういう力を圧倒的にそなえて、世界に言う事聞かせるなら別ですが。まあ、ほめられたこっちゃないですけど。もしその手をねらうなら、それこそ、国力を豊かにし教育と医療を充実させ、食料自給を確立し、何より世界の歴史と動きに目をくばって、常にチャンスをうかがって行く必要があるのは、もちろんというか、イロハのイでしかありますまいに。

そんな力も予定も覚悟もないくせに、またしても、いかにも軽々しく、何を自分が言ったかしたか知らないままで口にした、首相もしょうがなさすぎますが、そんなことを言わせてしまった、ことばを選ばず言ってしまうとバカなまんまで世界の舞台に送り出した、メディアや国民も責任があります。だから私は何よりも自分自身にイラツクんですわ。

中国が日本首相のあの発言を見逃すわけがない。してやったというよりも、絶対に釘をさしておかなくてはならない発言です。それがトランプ大統領と「我々はかつての戦友だった。その絆は今も固い」ということを確認する結果となった。トランプさんにとっては、これはアメリカを正義の伝統の流れにつながる自分と自国の名誉になって、全然損になる話じゃない。むしろ大いに株を上げる話です。

「我々は同じ敵と戦った味方だった」という枠組みは西欧諸国の中では、今もまだ充分に生きている。そして彼らが戦った敵とは何か。ナチスドイツとイタリア・ファシズムと天皇制の日本ですよ。

世界の各国がさまざまな利害の対立を忘れて、「我々はかつて正義のために力を合わせたんだ」と確認して幸せになるとき、日本は、その戦って滅ぼした敵でしかない。言い分がいろいろあるのはわかります。だけど、世界の記憶はまだそうなのだし、まあ当分は変わらないでしょう。日本は、その立場を百回でも千回でも一万回でも、くりかえして確認しておいてもまだ、しすぎということはない。卑屈になる必要はない。それこそ生まれてもいない時代のことに萎縮したり卑下したりする必要はない。でも、知っておかなくちゃいけない。それも、被害を与えた相手や、世界全体の解釈がどうなっているかを、ちゃんと理解しておかなくてはいけない。

私は高市首相が多分あこがれているような、米国と中国のべたべたぶりは、笑うかグロテスクとしか思えないけど、あのそれぞれに危険な権力者が、一応は思想の対立をさておいて、民主主義のためにというスローガンで、ナチスやファシズムや天皇制と戦った日々のこと、そのとき彼らを結びつけていた精神を思い出すのは、まあ悪いこっちゃないだろうとは思います。でも、日本がしれっとして、その仲間に加わったり、ひいては両者の間を裂こうととするのは、可能性がなさすぎる。どう考えても、今とるべき戦法じゃない。

忘れてもらうのを待つしかないんですよ。昔したことの数々を。そして、平和憲法やら唯一の被爆国やら、使えるものは皆使って、日本は危険ではないこと、立派な判断ができること、人を大切にする近代的で現代的な価値観で国を運営していること、その他もろもろで、尊敬や信頼をかち取っていくしかないんですよ。

それがまあ。メディアときたら、あいもかわらず、中国と米国がなぜそうまで親密になるのかとか両者の利害関係とか聞いた風な分析ばっかに時間を費やしてる。そりゃどんな外交にも会談にも利害関係やかけひきはあるでしょうよ。それがあるから外交なんで、ネクタイ頭にまきつけて踊ってる福岡県議会の外交の方が珍しいというか、あり得ない。

そんなくだらん分析して米中の関係が、そんなにいいわけじゃないと勝手な幻想を広めるのもいいけど、それじゃ高市首相とトランプ大統領はもっと心からの親密な関係にあるとでも印象づけたいわけですか。そんなことばっかり言ってると、自分らの頭もおかしくなるぞ。

トランプさんも習近平さんも、そりゃ駆け引きも利害関係もあろうけれど、だからと言って両国の、ひいては世界の「我々はともにドイツとイタリアと日本と戦い勝利した」という連帯感と歴史認識を軽視するのは本当に危ない。年寄りがくり返す昔話って、それぞれの民族の血肉にしみて継承されて行くことを知らんのか。シェイクスピアの「ヘンリー五世」だっけの聖クリスピンの演説みたいなもんでさ。日本には前大戦後、そういう伝統がないから、実感ないかもしれんけど。世界が作って、その上に構築された現代世界がいかにきしんでいるとは言え、首相と統一教会でそれ全部ひっくり返すのは、無理か可能か、ジャーナリストなら判断しろや。

これだけ現政権に腹が立って何とかしなきゃと思いつつ、今ひとつやる気と力がわかないのは、何を隠そう沖縄で玉城デニー知事が敗北したとき、共産党の田村委員長が号泣したというニュースを見てからなんですよね、実は。

これも趣味の領域で皆がそうだとは思いませんが、私は男性が泣くのは、そんなにいやでもないんですよ。多分「男のくせに泣くな」という人が男女を問わず、皆私の気に食わない人が多いので、それに反発するのも一因だと思いますけど。

だけど、女が泣くのは絶対に白けるし許せない。私は自分が何かあったときは泣くどころじゃなく「さてどうする?」が先に来るので、まず泣くことはあり得ないんですが、私と違って涙もろい女性たちでも、どんなにがまんして人前では涙を見せないようにしていたかを知っているし、そもそもだいたい結果として女が泣くと得をする世の中が、あらゆる意味で気に食わない。

沖縄県知事の話に戻すと私みたいな部外者でも、いろんな意味で苦戦や敗戦は予感してたし覚悟もしてた。むしろ、それからが正念場だろうと思ってもいた。共産党のトップでありながら、それを予想もしなかったんだろうか。不吉な予感が的中したから泣けたんだろうか。どっちにしても、そんなことしてるヒマなんかそれこそなかろうに。

ネトウヨっぽい皆さま、早まって喜ばないで下さいね。私は共産党はこれまでと変わらず頼りにしてるし信じてるし、田村委員長も好きだし、心から支持します。でもねえ、ただもう、何となく最高に信じる政党のトップがこんな時に、泣く人と思っただけで、どういうか、お腹に力が入らないんだよ。

何しろかつて大学で、立派なしっかりした事務方のトップの女性(私は彼女といっしょに仕事もしたし、好きだったし、仲も良かったつもりなんだけど)が、自分の力を入れた案が教授会で廃案になったとき、よよとか、さめざめとか、そこは知らんけど教授会の場で泣いたと聞いたとき、私は激怒して、同情した若い男性の先生を、別の若い女性の先生といっしょになってぼこぼこにして(もちろん口頭でですよ)、「私だったら、そんな時に泣くぐらいなら脱ぐ!」と言ってまわってた人間ですからね。そのくらい考えられない、みっともない、あり得ない、恥ずかしいことだという意味で。だからもう、割り引いて聞いてほしいんだけど、そのくらい私にとっては、いやなんですよ、泣く女って。一番好きな党の、誰より信頼できる党首が、そんな人の一人と思うのは、つらいわあ。

いっそもう、泣くぐらいなら、福岡県議会のドンの何とかさんの太ったカエルの面に水をかけたような、ふてぶてしい笑顔やら、どんどんひどくなって行く(皆がこぞって、そういう写真をあげるせいもあるにしても)首相の薄気味悪い笑顔の方がましだ、と言ってしまえれば、どんなにいいかと思うんだけど、実際に見ると、どっちもさすがにそれは言えないほどひどくて、「泣き顔の方がまだまし」とは、これまた全神経が抵抗して、のたうってもそれだけは言えないのが、なお悩ましい。

あ、いいニュースも、いろいろあるんですけどね。それは明日のお楽しみに(笑)。

写真はカツジ猫?も言及していた、庭の彼岸花の一部分です。

Twitter Facebook
カツジ猫