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準備運動

最近パソコンの前に座ると、書きたかった、書く予定だったことを書く前に、ついいくつかどーでもいい、しょーもないことを、いくつか書き散らしたくなって困る。準備運動ってやつだろうか。

たとえば…

その1 クマはもう冬眠したのかと思っていたが(さっぱりニュースに出ないので)、冬眠のために栄養をためこむのは、今がたけなわとのことで、やっぱりあちこちに出没しているらしく、戸外の飼い犬や飼い猫を襲って食べたりしているらしい。ニュースで見たら住民も「家族だから」と子猫を守る親猫を守って包丁でクマを刺して撃退したり(それでも子猫は二匹食べられてしまって、残ったうちの一ぴきに「ミライ」と名前をつけたって。母猫は平凡な赤きじさんだったが、その子猫は灰色のふわふわ猫で、やたらかわいかった。別の二軒では飼い犬が襲われ、ここでも飼い主が斧やなんかで応戦して撃退したが、一ぴきの犬は怪我をしていて病院に連れて行ったが死んだそうだ。
 どちらにしても決死の覚悟だったろうが、ペットのことだと、さすがにクマとでも戦う飼い主もそろそろ出て来ているのだな。クマだって生き延びるためには必死だろうから、気の毒だが、応戦する飼い主たちの心境は、わかりすぎるほどわかる。

その2 例の「私のヤナちゃん」と高市首相が愛蔵する梁大臣のいろんな発言やいきさつは、資料が出て来るほどヤバさが増す。弁護の余地がないというのはこのことで、萩生田氏までが、「政治家としてまちがってる」みたいな発言をしてるのは、ネットで言う「おまゆう(おまえがゆうのか)」もいいとこだが、明日からの国会で高市首相自身が「あなたも梁氏と同じ価値観、政治意識なのか」と聞かれるのはわかりきってるから返事が見ものだ。

ワイドショーでどなたかが、「自民党を選ばなければ金が来ない」というのは沖縄知事選挙でももはや常識になっていて、実際保守系の知事になったとたん予算が増えたが、こういうことでいいのか考え直す必要がある、と強調していたのは、まったくもって、その通りだ。

それにしても「私のヤナちゃん」(選挙の応援演説で宣伝カーの上から言ってた)首相の発言は、これももう今さらだが、私と感覚が逆過ぎて笑ってしまう。私がもしも目をかけていて好きな候補がいたら、わざとでも距離をとって、ひときわ冷静にその人物の長所や能力を述べるだろう。自分がその人を好きだなんてことは、多分おくびにも出さない。たとえ見る人からはミエミエだっても、意地でもそんなの口にしない。

まあ、大学の勤務時代、研究室の教え子たちに、「言うとくが、あんたたちがカンニングやら万引きやらその他で大学の会議で処分を検討されるときには、私はかばいも弁明もしないで、まっさきに退学や厳しい処分を要求するから、そのつもりでいてくれ。その前に私は大学で反抗して言いたいこと言って、皆に嫌われてて敵が多いんだから、私の学生というだけで、厳しい処分になるかもしれないから、くれぐれも用心しといた方がいい」と、いつも脅かしていた私だからな、この感覚もあんまり普通じゃないとは思うが。

もっと言うなら、たしかいつか田辺聖子さんも同じことを言ってたが、私は「私はこの人が、この党が好き」とか言ったら、その人や党にとってマイナスになりはしないかと心配で、大っぴらに支持するのをためらっていた。もっと言うなら、私が好きだから、その人や党を好きになるような好きになり方は、誰にもしてほしくなかった。たとえ私がキライでも、その人や党のことは好きになってほしかった。

高市首相の好みや評価基準を信じるわけじゃないけれど、梁氏もはじめはそれなりに熱心で仕事もできる人だったのかもしれない。でも、高市首相のような人にかわいがられて愛されて育てられて行ったんじゃ、それはあんなにとんちんかんな、石原良純氏でも(って、コメンテーターは皆そうだが)「昔はともかく、今の時代に、そんな発想や発言はあり得ない」と明言するほどの、ずれた感覚の政治家にできあがってしまうのもしょうがないのかもしれない。広島カープの羽月選手じゃないが、最近トシで若い人と見れば同情するクセがついてて、何となく気の毒にももったいなくも思えてしまう。

その3 あいかわらず体調がぱっとせず、仕事をする気になれない。ぼけっと書類を整理して古い日記を見ていたら、昔もあまり体調がよかったわけじゃなく、コーヒーや紅茶を飲んで覚醒していたことを発見、それならと、試しに久しぶりにコーヒーを飲んでみたら、効果はてきめん、目が冴えて、夜中過ぎても寝る気がしない。どうしようか。

その4 ベッド脇の小テーブルに、カツジの本命日にいただいた青い花がドライフラワーになっているのが、華やかでよい。せっかくだから、少しそのへんを片づけて、青いものを集めてみた。いい感じだ。特に下に敷いた緑と青の布は若い時に友人とソ連旅行をしたときに買った、あちらの人がよくかぶっていて、小説にも出てくるプラトークという布で、でも今ひとつ使い方が決まらないで何十年もあちこちにしまっていたが、初めてばっちり場所が決まったという感じで、満足だ。

うーん、準備運動も終わったから、そろそろ今日のメインを書くか。

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カツジ猫