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虹と光と(3)

私は日本全国で若い人も含めた、これまでにない新しい人々が多くのデモや集会に参加するだけでなく、企画し、主催し、小さいグループやただ一人でも、戦争反対憲法守れ現政権退陣といった運動を生み出しはじめたのは、意外ではなかった。戦後社会と戦後教育が培い育てて来たものの数々は、それと自然につながるもので、むしろ、それ以外の展開はあり得ようがなかった。

ただ、そうは言っても、これだけ急激に広がり続けるそれらの動きに、いろんな不安もないわけではなかった。黙殺だけでなく、攻撃や弾圧もあるだろう。運動に熱が入り人数が増えるとともに、内部での対立や分裂も起こるだろう。一部の人は目に見える効果が出ないのにあせって、尖鋭化し過激化し暴力的になるかもしれない。方針のちがいから対立や分裂が生まれるかもしれない。そういったことは、外部から運動をつぶそうとする人たちが潜入して作り出すことだってある。政府や警察が挑発して、わざと誘発させることもある。そして、そのような過激な面だけが注目され報道されて、次第に孤立化しさらに過激化する。同時にそれを口実に、逮捕や弾圧といった攻撃が加えられて、運動は弱体化する。

歴史でも外国でも、何より眼前に見も直接に体験もした事実から、そんな経緯は手に取るように目に見えるように予想できた。ガーデニングをしていてもわかるが、急激にのびてはびこる雑草ほど、抜けやすく、退治しやすい。この間の運動が、信じられないほどの速さで成長するのを見るにつけ、安堵とともに不安も増した。

だが、政府への抗議行動は、数と勢いを日々に増しながら、私が危惧していたような、過激化も分裂も生まなかった。右翼や警察による挑発めいた行動にも決して乗らずに対応した。
 多分さまざまな市民運動や、既成政党や団体の人たちの、知識や知恵が使われてもいたのだろう。しかし、そんなものだけではすまない、数万人の人たちの自制と良識を保ち続けた行動を見ている内、私には次第に理解できてきた。
 日本の市民と若者は、いつの間にか、そのような、少々のことではゆらがない、我慢強さと穏やかさを身につけて来ていたのだと。バブル崩壊後の、車も家も容易に買えない、結婚も出産もままならない、労働組合にも守ってもらえない職場しかない、安定した就職もできない、未来の計画も立てられない、その中で、小さな幸せしか願わず、つつましく、周囲に気を使って生きてきた日々の中で。スタジアムを埋め尽くすような、スポーツや音楽にうつつを抜かし、推しに熱狂する大群衆の一員として行動する中で、未知の人々とのマナーとルールを守って楽しく交流するすべを、当然のこととして、身につけてきた日々の中で。

それらが、右翼や保守層がしばしば言うように、江戸時代から続く日本人の美徳なのか、どうなのかはわからない。仮にそうでも、それは一方でしいたげられても声を上げられず、暴君の放縦を許すという方向にも作用した。その中で抵抗し戦った人たちも常に少なくはなかった。それにしても、そのような国民性がどの程度あるのかどうか、私にはまだわからない。

一方で、より実感できるのは、これらの慎重で人に気を使い、妥協し、穏やかで遠慮がちに、慎ましく、皆で幸福になろうとする傾向は、明らかに戦後八十年の平和と民主主義が生み育てたものだ。それは時に、政府に対立する野党よりは、穏健で穏やかな、首尾一貫しない、その時々で柔軟な選択をする中立野党を望むという流れをも生んだ。
 実際には、そんな中立野党は存在しなかった。彼らの多くは意図してであれしないであれ、常に政府の補完勢力にしかならず、何よりも「中立」という概念は、一方が過激になるだけ、そちらの方に近くなるという、幾何学的な図形もどきに明らかなように、政府が非常識で凶暴になるたびに、そちらに近くならざるを得なかった。
 人々が、若者が、戦後社会が、「中立」「穏健」「柔軟」を求めて託した政党は、彼らの望むものではなかった。だから今、人々は、若者は、戦後社会は、どこかの政党や組織や団体に全面的にまかせて、ゆだねるのではなく、自分たちでそのような目的をかかげ、方向をさがしている。それにふさわしい政党や組織を、そのときどきに選ぼうとしている。英雄も神も必要ではない。それぞれがささやかに、つつましい、英雄で神なのだ。

私はそれに安堵する。私は彼らを信頼する。戦後社会が生み出した、もっとも正当な嫡子たちと感じる彼らに、私は未来を託している。
 あと一つか二つ、とても重要なことを書く。(つづく)

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カツジ猫