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黒猫ジュンガの近況

と言ってもずいぶん前にいただいてたものなんですけどねー。集中講義や何かで、とりまぎれてて、つい遅くなってしまいました。

ジュンガ君はわが家の庭に、ノラ猫のお母さんがおいて行った子猫です。別に育児放棄したわけじゃなく、そこで育てるつもりだったらしいのを、私が取り上げて物置で育てたのです。今年の六月だったのよね。うちでの名前は水無月にちなんで、みなきちだったから。手のひらに入るほどの子猫だったのが、今じゃこんなに立派になっちゃって。自然に囲まれ、ご近所からも「クロちゃん」とかわいがられて、誘拐されないか心配なぐらいだそうです。

ジュンガというのは、先住猫のカンチェンお姉さんと合わせて、カンチェンジュンガというネパールの山の名前から、もらった呼び名です。お姉さんも一つぐらいしか年上じゃないから若いのですが、まだかなりジュンガ君より大きいです。でも、ずいぶん追いついて来たようです。仲良しらしくて、ありがたいことです。

ジュンガ君のおうちは大分で、地元出身のホークスの今宮選手とはお知り合いの人もおられるようです。CSの観戦に行くつもりなので、お会いできるかな?というメールをいただいていました。それもいいなと心は動いていたのですが、あっと言う間にCSも日本シリーズも終わってしまって、私はもちろんジュンガ君のご家族もお行きになれたのかしらん。

昨日、ホークスと「平家物語」の話を書いたのですが、そのついでに以前は源氏方にいて今は平家にいる(別に裏切ったとかじゃなく、それこそ野球の球団移動のように、こういう移動はわりとあって、むしろそんな人が実盛ぐらいしかこの時にいないほど、一門だけで固めていた平家の方が珍しい)実盛に、総大将の若い維盛(平家きっての美しい若武者で、この時初陣。思えば無茶よね。源頼朝が鎌倉で旗揚げして東海道を京都に向かってくるというので、平家は彼を指揮官にして大軍をさしむけ、両軍は富士川をはさんで対峙します)が、明日は決戦という夜に、「源氏ってどうなの?」みたいに聞く。

したらば実盛が大笑いして(あざ笑う、というのは、当時はバカにして笑う意味はなく、ただの大笑い)「そらあなたもう、めちゃくちゃ強くて手がつけられません」と言うので、聞いていた皆がびびってしまい、翌朝は開戦前に富士川の水鳥が岸辺の軍のざわめきに異常を感じたのか、いっせいに飛び立った、その羽音で源氏の来襲と仰天し、全軍大混乱で逃亡退散してしまい、源氏が渡河して押し寄せたら、敵陣には誰もいなかったというとんでもない展開。

これで調子にのらないで、神仏に感謝してそのまま鎌倉に引き返し、地歩を固める頼朝もいい意味でいやらしいけど、平家のリーダー清盛は、この顛末に激怒して、かわいい孫の維盛を島流しにしろとわめいたそうで、まあそれも誰がとめたのか沙汰止みになって、しばらく源平間は膠着状態が続くのですが。

その実盛の説明ですけど、何だか日本シリーズの結果で皆が「迫力がちがいすぎる」「敵を知らなすぎた」みたいにネットで言ってるのを思い出してしまうが、しかし、前もって強さを知っていたって、それはそれで、いい結果になるとも限らないのかもですね。この例を見る限りでは。
簡単な現代語訳をつけておきます。

又大将軍権亮少将維盛、東国の案内者とて、長井の斎藤別当実盛をめして、「やや実盛、なんぢ程のつよ弓勢兵、八ケ国にいか程あるぞ」と問ひ給へば、斎藤別当あざ笑つて申しけるは、「さ候へば、君は実盛を大矢と思召し候歟。わづかに十三束こそ仕候へ。実盛程射候物は、八ケ国にいくらも候。大矢と申す定の物の、十五束におとッて引くは候はず。弓のつよさもしたたかなる物五六人して張り候。かかる精兵どもが射候へば、鎧の二三両をもかさねて、たやすう射通し候也。大名一人と申すは、勢のすくない定、五百騎におとるは候はず。馬乗つつれば落つる道をしらず、悪所を馳すれども馬を倒さず。いくさは又親もうたれよ、子もうたれよ、死ぬれば乗越へ乗越へ戦ふ候。西国のいくさと申すは、親う討たれぬれば孝養し、忌あけてよせ、子うたれぬれば、その思ひ歎きに寄せ候はず。兵粮米つきぬれば、田つくり、刈り収めてよせ、夏は暑しといひ、冬はさむしと嫌ひ候。東国にはすべて其儀候はず。甲斐・信濃の源氏ども、案内は知つて候。富士の腰より搦手にや廻り候らん。かう申せば君を臆せさせ参らせんとて申すには候はず。いくさは勢にはよらず、はかり事によるとこそ申しつたへて候へ。実盛今度のいくさに、命生きてふたたび都へ参るべしとも覚候はず」と申しければ、平家の兵共これ聞いて、みな震ひわななきあへり。

 

※以下は現代語訳。

平家の大将の維盛は関東に詳しい実盛を呼んで、「これ実盛、おまえほどの強い弓を引く者は関東には何人ぐらいいるのか」とお聞きになった。すると実盛は声を上げて笑い、「私などを強弓と思っておいでですか。たった手でにぎって行って十三回の長さ(当時の弓の強さは、飛ばせる矢の長さで測ります。十三回にぎれる長さなら十三束。三伏、みつぶせ、というと、指のはばです。十三束三伏と言う風に使う単位)の矢を飛ばすぐらいですよ。そのくらいの者は関東にはいくらでもいます。普通に強い弓と言ったら十五束以下ということはありません。弓を曲げて弦を張るのも、屈強な男が五六人で弓を曲げて張ります(これは弓の強さの単位。五人張りとか三人張りとかで表す)。こういうすごい連中が射るのですから、鎧の二三枚を重ねていても、矢はあっさり突き通って来るから防げません。(150キロ級のピッチャーが控えに何人もいてですね、みたいな感じ。)

各隊の指揮官と言うと、少なくても五百人程度の部下は持っています。騎馬は巧みで乗ったら最後、落馬などあり得ません。危険な道を馬で疾走しても平気です。戦闘になると、そばで親が死んでも子が死んでも死骸を乗り越え踏み越えて戦い続けます。関西の平家の皆さんは親や子が戦死したら、葬式をして嘆いて戦闘は中断するし、食料が不足したら田を作って米を収穫してから戦いを再開し、夏は暑い、冬は寒いと言って休戦します。関東ではそういうことは絶対にありません。地元出身の者も多いから、このへんの情報は押さえていて、側面攻撃もしかけてくるでしょう。(層が厚い、全力疾走する、常に先の塁をねらう、采配は非情、勝つためだけに全力をつくす、データ研究も十分、とか?)

別にあなたを脅かそうとして言っているのではありません。いろいろ不利な状況でも工夫次第で勝てると言われています。私は今回の戦いで生きて帰れるとは思っていません」と答えたので、平家の一同はこれを聞いて皆、震え上がってしまったのであった。

「平家物語」は事実の正確な記録ではないですから、脚色はあるでしょうが、事実以上に真実を伝える虚構というのもあるわけで、実際に源氏と平家の戦い方はこういうちがいがあったのでしょうね。

 

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