映画「雨あがる」感想集映画「雨あがる」感想-2
ちょっと、映画を見てない人に、ネタばれもあるけど、説明を。ていうか、この映画、すじとかほとんどもう、どうでもいいんだよなー。全部すべて、予想もつくし、見せ見せに見せて、それでもわからない人にはきっと何も見えないだろう(私が見えすぎ、見すぎって話は、いつものことだが、あるかもしんない)。
主役の浪人(寺尾聰)は、とにかくやたらめったら強い剣客で、大抵の相手には刀も抜かずに勝ってしまう。でも、そもそも野心や向上心があってそうなったわけではなく、まあ才能はあったんだろうけど、必要にせまられたりして自然にそうなった人だから、天才肌でもないし変人でもないし、もう恐ろしく普通に、ただめっぽう、いい人。おだやかで、やさしくて、がまんづよい。つい全部ひらがなで書いてしまうほど、さりげなく、めだたない。
そういう人間を演じるのは、むろん難しいんですが、まあ寺尾聰はうまいし、それなりにこういう人間の型みたいなものはあるから、そこはちゃんと観客に伝わってくる。もちろん彼はバカでも聖人でもないから、普通に怒るし腐るし、いらいらもするけど、剣術の鍛錬を通して、それをきちんと抑えるバランスもまた持っている。
彼には「七人の侍」の久蔵ほどのすごみや、熱さはない(私は久蔵は、ものすごくエロチックなまでのいい意味で脂ぎったものを、彼の一見枯淡な外見からいつも感じてました)。「グラディエーター」の主役の感じにちょっと近いかもしれないなあ。もうちょっと、飄々の度が強いけど。
尾羽うちからした浪人でも、だから普通に品格があるし、庶民にも抵抗なくなじんで、とけこめる。ただ、彼は何しろやたら強くて、しかもそれを発揮しないでかくしておくには優しすぎて、ついよき市民として社会人として、社会参加をしてしまう。まあ平たく言えば、人を助けてしまう。
彼は、それまでの職場での体験から、いいことをしたり自分の強さを発揮したりしたら、いつもろくなことにならないのを知っているから、そういう時、ものすごく腰が低くて卑屈になる。勝てば勝つほど、相手にわびるし、気をつかう。それって、彼のトラウマなんですよね。すぐれた人間はひどい目にあうっていう体験を、いやというほど、してきてるから。
彼の態度って、勝ってるくせに負け犬のいじましさで、そのアンバランスが、もうこっちを混乱させて、気が狂うほど腹が立つの(だから、それって私だけかしらん)。勝負のときは、まぎれもなく堂々と、純粋に強いから、なおのこと。
で、一方の殿さまは、彼の強さを見こんで、雇おうとするのですが、この殿の若々しい聡明さと、恐いもの知らずのせっかちさのさわやかさは、もう、そんなトラウマとはまるで無縁のまっすぐな気持ちよさです。演じているのは三船敏郎の息子? そう悪い演技ではない、どころかよく似あっていたと思うけど、もしその演技をカバーするというか盛り上げてるものがあるとすれば、この藩全体、殿さまと家来たちの描写です。殿さまにあだ名をつけられ、悪口を言われながらも、皆が殿さまをそれなりに愛して、信頼して、批判もして、とてもいい関係にある、この主従関係の全体が、とてもよく描き出されている。だから、この殿さまも、こういう関係を作れている名君なんだっていうのがわかる。いろいろ問題はあるにしても、基本的に立派な主君なんだっていうのが、ちゃんと十二分に伝わる。
剣客の彼が、これまでどこの藩でもうまく行かなかったこと、それで、いたましくいじけて多分どんどん萎縮していることを、多分、この殿さまなら、この藩なら、わかって、うけいれて、うまくいい方へ導いてくれるはず。そんな夢が見えてくるのです。この映画からは。
ところで、ゆうべだったか、芸能人のランクづけとかいうしょーもない番組で、一流の食べ物や音楽や映像やなんかと初心者や三流のそれとを区別できるかって、いろんなテストをしてたんですが、他はともかく、映像やダンスの振り付けは、私はばっちり正解で、特に映像では、漠然とした印象じゃなく、「あれー、あの女の人の動きが意味ないし、どう動かすか始末に困って投げてんじゃん」とか、いちいち指摘できたんだぞー。であるからして、この映画の感想も、そんなに考えすぎでもまちがいでもないって自信はあるんだけどなー、何しろ昨日の今日だもんで(笑)。