映画「雨あがる」感想集映画「雨あがる」感想-1

今朝テレビであったのを、ぼやっと見ていて、最初をかなり見のがしたんで、もう一回ちゃんとDVDで見てからでないといけないんだけど、正月に見るにはふさわしい、よくできた映画でした。黒澤明の遺稿らしいし、たしかに黒澤映画っぽいのですが、これだけ自然に黒澤映画っぽいのなら、もうそれは真似とかじゃなく本物だと思います。

私は自分がいわゆる腐女子かそうじゃないのか、しばしば迷うんですけどね、それを言うなら黒澤映画も山本周五郎の小説も年末からまだ感想書きそこねてる「アラビアのロレンス」も、皆どこかしっかり腐女子思考の文学だと思うんだよね、少なくとも私程度には。
何を言いたいかというと、もちろん「雨あがる」は夫婦愛の映画でもあるんだろうけど、基本的にはっていうか、それ以上の核は、ボーイ・ミーツ・ガールならぬ、それこそロレンスとアリもどきに、ひょっとしてそれ以上に、男が運命の男に出会ったという話だと思うんですよね、どう考えても。

おっと、以下はネタばれです。
あのラストのさわやかさのその後がどうなるかは、観客の想像にまかされてて、まかされすぎじゃないかと私は思うほどで、監督はじめスタッフは、ほんとにどっちでもいいと思っていたのかなーとじれったいぐらい、主人公の彼が、あの殿さまに仕官してほしい、絶対にあの藩に雇われてほしい、でなきゃ悲恋だよ(笑)これは、とほんとにミーハーなまでに思ってしまった。

「椿三十郎」の原作は、やっぱり山本周五郎の「日々平安」だけど、原作では主人公は、ほいほい呼び戻されて帰るのな。映画のラストはその反対で、あれはあれで、その方がカッコいいし、まとまってるんだけど。でも、だからこそ、今回は同じじゃ芸がないし、逆でもいいじゃんか、殿さまは呼び戻しに成功してほしいんだよなー、もう、私としては。

だって、あの映画で、あの二人の関係で、殿さまも主人公の彼を必要としてるだろうけど、それ以上に決定的に、彼が必要としてるんだよ、殿さまのような、ああいう人を。あえて主君とは言わないよ。主君だろうとなかろうと、友人でも知人でも、ああいう人が、あの彼には絶対にいるんだよなー。

あ、私、最初を見のがしてるから奥さんの存在が彼にとってどういうんだか、まだちょっとわかってないんだけど。でも多分奥さんは、彼を愛してるけど、だからこそ、わかってないと思うんだよね、彼の欠点を、人間としての弱点を。

私は、もちろんそういう演技をしてるし演出をしてるんだろうけど、もう見ていてずっと彼のことが、いい人と思えなくて、まあどっか外見の感じがかの戦場カメラマンの渡部陽一さんに似てることもあって、あ、渡部さんは別に全然嫌いじゃないんだけどさ、ずっと、こいつ、もう頭にくるなー、相手がムカついてイライラすんのわかってねーのかと思いつづけてた。
その彼の態度自体がイラつくのか、イラつかせることを彼が気づいてないのがイラつくのか、まーそのへんもびみょーだったんですが。

それを、その対極にあるような、あのせっかちでかんしゃく持ちの殿さまが、奥方との短い場面で、奥方の手助けもあって、みごとに、しっかり言い当てて、つかむわけですよ。「おー、さすが」というか、「そこや、言うたれ言うたれ」という気分に、こっちは見ててなるわけですよ(私だけか)。

主人公の彼も(ごめんね、名前をまだ覚えてないの)、気づかれたことは知らないけど、そういうことをわかってくれる人っていうことを何となく殿さまに感じていて、だから「ここならやっていけるかもしれないと思ったんだけど」とぽつっと、つぶやく。あれは、理解してくれるし自分の欠点を指摘してくれるかもしれない人を見つけたという彼の本能でしかない、そういう発言です。

ラストのあとで、彼はきっと仕官して、そうしたら、あの殿さまは彼をめちゃくちゃ批判すると思うの。何かにつけて、もう毎日。「そういう所がムカつく」「だからおまえ、人にきらわれる」「ほんとは相手を大事にしてない」「もっと怒れ」とか何とか。ベタだけど。でも、ベタで十分なんだってば、あの彼の場合、この場合。一回は言うとかんといかんことです、それは。
そうでなくても、あの殿さまの生き方は、見ていて彼にきっと何かを気づかせるし、学ばせる。もう、一生かかっても巡り合えない最強最上のカップルなんです、あの二人は。師匠も妻も指摘できず見破れなかったことを彼に告げることのできる、生きた教材なんですよ、あの殿は。
わ、いつのまにか、ひとりでに、ファンフィクションの領域に踏み込んでるじゃないか、正月早々、私ってば。

ちょっとやっぱり、早いとこDVDを借りて来ようっと。

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カツジ猫