映画「雨あがる」感想集映画「雨あがる」感想-4
また私が何言ってるのかわからないと思ってる人が多いだろうが、つまり私も実は困ってるのだ。私は映画の伊兵衛が、ものすごく好きだ。このバカが、アホが、とイライラする部分もふくめて、大好きだ。そして、これはきっと奥さんの愛情より、殿さまの愛情に近いと思う。それは多分、黒澤監督の愛情でもあるのだろう。黒澤監督は、もちろん原作の伊兵衛が好きだったろうが、いろいろと手を加えて、さらに最高に自分の好きな伊兵衛を作り上げている。もう、これは、まちがいない(笑)。
でもねー、ひょっとしたら黒澤監督は、そこまで好きじゃなかったかもしれない、原作の、周五郎の「雨あがる」の伊兵衛もねー、私ものすごく大好きなのよ。
ネットで見ても「原作をこわした」っていう批判はまったく見ないんだけど、まあ、それほど有名な作品でもないからそうなんだろうけど、もしも私が原作を読んで、あの伊兵衛に完璧にはまってほれて、ほれぼれと、しみじみと、大好きだったら、映画の「雨あがる」の伊兵衛は、そりゃ、あー、こんなにカッコよくしてくれてうれしいと思う一方で、私が好きな、あの伊兵衛はどこに消えたの、って、ものすごくきっと淋しい。
原作の伊兵衛って、映画と似てるけど、ずっと情けないし、子どもっぽい。剣の腕はすごいんだけど、それで照れて卑屈にぺこぺこする。人がいいから、他人を蹴落とせないし、不幸な人を見捨てられない。それは映画と同じようなんだけど、でも、どっかもう、決定的にちがう。
私としたことがね、そのちがいを、きちっと指摘できないんですよ。ことばで、ちゃんと。あー、もどかしいったらないな。
特に最後ね。仕官がかなわなかった彼は、しょげてるんだけど、慣れてもいるから、だんだん元気になってきて、でも奥さんに気をつかって大人しくしているんだけど、山の上かなんかから、次に行く町の景色を見たとき(映画では海ね)、もうがまんできずに、「あー、いいですねー、きっとまたいいことがありますよねー」と、立ち直ってしまう。小さい子どものように。それがほんとに、何かもう、ぎゅうっと抱きしめたいぐらい、かわいい。
でも、欠陥人間なんですよ、もうこの伊兵衛は完全に。私は見てないけど、「ゲゲゲの女房」のだんなさんとか、吉永小百合の出てた「おとうと」の鶴瓶とか、あんな感じの。
私は、こういう男性が、いつも、全部、好きというわけじゃないけど、この小説の伊兵衛の場合は、もう、奥さんの気持ちがすごくよくわかる。小説の伊兵衛に対する私の愛は、多分、奥さんと完全に一致する。
こっちの(小説の)伊兵衛は、その性格はもう絶対に治らないし、変わらない。映画の伊兵衛の場合、その人のよさ、変なへりくだり方は、彼の本質ではなくて、きっと殿さまのような人とつきあっていたら、改善される。もっとも、そこで、奥さんが彼を好きなままかどうかは微妙だけど。下手したら、奥さんが殿さまに嫉妬するという、ボーイズラブ的展開になりかねないけど。でも、それ言うなら、映画の奥さんも、小説の奥さんと、伊兵衛の愛し方は微妙にちがうかもしれないから、別に問題なく、うまくいくかもしれない。
そういえば、映画では私、あの奥さんはどこでどうして伊兵衛と結ばれたんだろうと、あれこれ想像をたくましくしてたが、原作ではやっぱり、次席家老の娘かなんかなんですね。
そして、これは映画を見直すたび、あらためて思うんだけど、あのラストはほんとに、うまいなー。黒澤監督とはちょっとちがうんじゃないかと思うけど、とてもおしゃれで、スマートな処理だと感心する。
私みたいな、伊兵衛があの藩にやとわれてほしい!と願ってる観客は、のんびり歩いて、幸福そうな二人に、あの殿さまがやがて追いつき、彼らを連れ戻す、幸福な場面があの後待ってると予想して、すごく幸せになれる。
でも、彼らは、もう未練を切り捨てて、貧しい人のために生きる道を選んでるし、それでいいと思ってる観客は、きっと殿さまは追いつけないだろうし、追いついても伊兵衛は戻らないもんねー、へへ、と、これも何だか余裕を持って幸福に、あのラストを見つめられる。
これだけ、まっさかさまの期待を、どちらもしっかり満足させるラストって、私はこれまで、どんな映画でも見たことがない。このスピーディーでスマートで軽やかなラストは、絶対に黒澤監督のものじゃない。映画全体はみごとに黒澤映画の精神をくみながら、あんなにそれからはなれきった、みごとなラストを作ったという点でも、この映画は奇跡に近い名作なんじゃないかと思ってしまう。
ええと、多分、もうあとちょっとだけ続くけど、寒すぎるから、ちょっとごはんでも食べてきます。