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ぞーっ!

ちなみに以下は(不幸にも)エイプリルフールじゃないのよね♪

私がかかりつけの医師か、世話焼きな娘だったら、心臓にも血圧にもよくないからと身を呈してでもとめるのだろうけど、田舎の書庫から持ってきた、捨てられるはずだった資料の入った紙袋を今朝いくつか開いてチェックした。ははは。私の大学院の卒論の一部が原資料とともにぐっしゃり突っ込んでありましたとさ。

大昔の卒論だから、もちろん手書きで、多分コピーもとってない。
教師として卒論指導を初めてした学生たちの卒論も、ごていねいにファイルをこわして中身を抜いてもう捨てられてしまっていたから、私の卒論も、この分だと消えたかな。
研究者としてのスタート地点と、教育者のそれと両方が消えて、私は過去のない無宿者になった。まあいいけどさ。のらアリに同情してる立場じゃないわさ。

他に中村幸彦、今井源衛などの大先生の批評や書きこみが入っているレポートも捨てられる中に入っていた。前に他の大先生からいただいたハガキが細かく破って丸めてあったのを見ていたから、こんなものではもう驚かないが、しかしですね、貝原益軒研究の第一人者だった福大の井上忠先生からの大型封筒の表紙にご直筆で「貴重な資料をお預かりして」云々と書いてあるのが中身ごと捨てる中に入っていたのを見たときは、思わず声に出してつぶやいたね。「…恐くないのかね」と。
井上先生のお名前は知らなくてもいいが、他人の持ち物の封筒の表に「貴重な資料」という字が見えたら、私などコロナウィルスの黴菌みたいに(いい例えじゃないが)、電気に打たれたように手を引っ込めて、二度と近づきませんがね。

昔、今井先生が何かの席で話されたことがある。ある文庫で貴重な資料を閲覧していたら、大昔の大先生の書いた紙切れが入っていて、「ここに紙がはさんであるとあるけれど、自分が見た時にはもうありませんでした」という意味のことが書いてあったとか。

ものすごい大先生でも(だからこそ)、資料や本を読むときは、絶対に自分が見る前と同じ状態で戻さなくてはいけないというモラルとマナーを、それこそ死ぬ気で守っています。だから、本にはさんであった紙切れがなくなっていたとしたら、それは自分が見る前であったと、わざわざ書き残すのです。誤解を受けたりしないように。

だから、貴重な資料などという文字を見た時点でもう地平線まで遠ざかるけどね私なら。でもそうじゃない人もいるわけで、だから原発の廃棄物は未来の人類に残してはいかんのだって。どんなに注意して工夫していたって、開けるやつは開けるんだから。

そんな貴重な資料をおまえはどう保管していたんだと言いたくなる人もいるだろうし、正直私も最初のころは、たいがい私が雑多な紙の山を作っていたから、いらないものに見えたんだろうなとか、思っていたこともありました。まあそれだって、勝手に処分していい理由は一ミクロンもないけれど。
でも、こうやって見ていくと、それはちがうね。こんな資料、いくら私でもいいかげんに重ねたりはしません。それなりに大切なものの保管のかたちはとっていたはず。もうそれは確信しました。

まあ、ファイルして、背表紙にきちんとタイトル書いてあるものを分解して捨ててる段階で、そんなの気づけって話よね。
一応本にはまとめて出版していたのが、せめてものなぐさめだけど、蝦夷関係の資料もかなりがっさりやられてる。「未曾有記」の一番いい原本が岩瀬文庫にあるのをコピーして大事にしていたファイルが、数冊の中の一冊だけ残ってた。たしか蝦夷関係の資料は私はまとめて箱に入れていたはず。それを全部開けて、ばらばらにして捨てられたのでしょうね。

それでもう頭に来て、朝から食事もしてないし、血圧の薬も飲んでない。これじゃコロナにとっつかれるから、とにかく今から何か食べて気分転換に別の仕事にかかります。
まだこんな、捨てられるはずだった資料の袋や箱がけっこういくつもあるのよね。片づけ終わるころにはきっと、私の頭からはメデューサみたいに髪の代わりに、のたうつ蛇が生えてるわ。がるるるる。じゃなかった、しゅるしゅるしゅる。

それでも桜はきれいです。これはホテルの窓から撮った。霧が深い朝でした。

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カツジ猫