大学入試物語13-最終章 理想の大学
1 まとめて見ると
思いつくまま、だらだらと書いてきたので、最後に少し全体をまとめておきたい。
- 本来、公平であり得ない大学入試が絶対に公平であり得るかのような幻想のもとに、細かいミスを指摘する報道姿勢には一考を要されたい。
- 大学入試は機密保持が大原則であるため、それがどれだけ過重な負担を現場に強いているかの調査や検証があまりなされていない。そのことをまずは充分に認識していただきたい。
- 大学入試は大学の多忙化の大きな原因のひとつだが、入試以外でもこの何十年かで大学は予算も人員も削られ、良心的で精力的な教職員から順番に倒れて行くという危機的な状況にあることを理解されたい。
- これまでに行なわれてきた大学改革の大きな問題点は、大学の教職員の意見を、大学全体の意志というかたちであれ、文科省や社会に訴える方法や手段が確保されていないことにある。
- 大学というものに対して、どのような場であることを望み、そのために社会は大学に何を与えればよいのかについて、国民のひとりひとりが関心を持ち、考えていただきたい。
私自身は大学や大学入試がどうあるべきかについて、ここで語ろうとは思わない。正直言って、特に考えはまとまっていない。そんなことを考えたり話し合ったりする時間さえなく、どこかで誰かが考えてきたことのいろいろに対応するためにずっと振り回されてきた。しばらくもう、大学については、黙ってそっとしておいてほしい、何か言うなら、よくよく調べて考えてから言ってくれと言うのが本音である。
2 合格判定の季節
入試業務の最後は採点を集計して順位を出したあとの合格判定である。私の勤務した大学は、私立、公立、国立といろいろだが、いずれも合格判定は、いやになるぐらい厳密で煩瑣な作業と討論を経て行なわれるので、ときどき報道される入試の不正は、いったいどうやったら可能になるのか、私には見当もつかないほどだ。
受験生は複数の大学を受験する場合も多いから、合格した者がすべて入学するとは限らない。だから定員きっちりに合格者を発表すれば、ほぼまちがいなく定員割れになる。しかし、思ったより入学辞退をする者が少なかったら、今度は定員を大幅にオーバーして、特に実験や実技関係の授業が成り立たなくなる。そのため、これまたさまざまな予測をして、どの大学もどの程度定員を上回る合格者を発表するか、検討しなくてはならない。
大学に就職してすぐ、それらの作業を通して私が感じ始めた、ある淋しさや空しさは、少しでも多くの学生を合格させたいと思っても、あまり点数の低い者まで合格させると、翌年からただちに高校や予備校が、「あの大学の最低合格ラインはこのへんでいい」と判断して、より成績の悪い学生を受験させるよう指導するため、どんどん学生の質が下がってしまうという、強い危惧を持たなければならないことだった。たとえば推薦入試でも、普通に試験を受けたら合格できる者ではなく、むしろ微妙なラインの学生を推薦してくることで、合格率を上げようとする高校側の思いもあるらしいように、何か「優秀な学生」を大学どうしが取り合って、それに高校や予備校の合格率の競い合いがからむというこのあり方が、私はいつも、わびしかった。
成績の悪い学生が来ても、それはそれでいいではないか、と主張して皆を説得できる自信もなかったし、自分がそうやって、よい大学を作れるという展望も私にはなかった。私自身は文学にまったく関心のない学生たちを何百人も相手に大教室で授業をするのも、それはそれで好きだったし、充実感も達成感もあったが、それを大学単位で保障できるかというと、わからなかったし、今でもわからない。
誰もが、というか今ではむしろ金さえあれば、かもしれないが、大学へ行ける状態、大学の多くが定員割れを起こすほど大学が増えた状況を、私は多くの同僚たちのように憂慮ばかりはする気になれない。それはそれでいいことなのではないだろうか、どんな人でも大学教育を受けられる状態は悪くないのではないだろうかと心のどこかで、いつも思う。今の学生たちが自分の若いころに比べて幼いとも愚かとも思わないし、むしろ自分と同じ世代より、彼らの方がずっと好きだ。
だいたい、仮に彼らをきらいだとしても、彼らしかいないではないか、私たちのいなくなった後の時代を作るのは。ないものねだりをするよりも、彼らに何を与えられるか、私たちがどんな役にたてるのかを考えるしかないだろう。
大学は常に古くからの学問と若い命のすみかだった。その両方を愛することからしか、大学の役割ははじまらないし、大学を守る社会の意識もはじまらないだろう。
今の大学入試、特に全国一斉センター入試が、そのような大学を生み育てるのにふさわしいものかどうか、いろいろな点で私には疑問である。
3 愛憎と屈折
もともと、この文章は同じ研究者の人たちに向けて書いていたのだが、だんだん自分でも誰に向って書いているのか、よくわからなくなってきて、今では多分、一番読んでほしいのは、報道関係や出版関係の方々と、大学と直接の関係がない、一般の多くの方々なのではないかと感じている。
そういった方々に対して最後に念を押しておくが、ここに書いたのはあくまでも、私の知っている、体験してきたことにとどまる。他の多くの大学では、またさまざまのこれとは異なる状況があるはずであり、それを理解するための、あくまでひとつの参考として、この文章は読んでいただきたい。
私は統計や資料をいっさい使わず、あくまで自分の体験と感じたことを書いてきた。大学改革に携わった者の一人として、そういう数字のマジックを使いこなす難しさを痛感しているせいもある。だが、もし統計や数字や条文で私の書いたことを証明や修正する人がいたら、それもぜひ、やってみていただきたいと思っている。あらゆる方面、角度から、私の言っていることを確かめてみてもらいたい。
そのためには、大学の現在の教職員で近くにいて取材できる人たちにもぜひ話を聞いてもらいたいのだが、老婆心から言っておくと、大学に不満を持っている人の、大学を攻撃することばだけを信用するのは、できたらやめていただきたい。もちろん、それも貴重な資料だが、入試や大学に関する報道を読んでいて、私があまりにしばしば感じるのは、きっと自分の職場に常日頃から不満を抱いている人の鬱憤だけを語られて書かれた記事だろうなということだからだ。
筒井康隆『文学部唯野教授』を読んだとき、その文学論を大いに楽しみながらも私が感じた軽い当惑は、どんなに対象を攻撃しても、どこかに深い愛情が感じられた同氏のそれまでの作品とはちがって、この小説には愛がないなあということだった。もしかしたら、それは同氏が大学について取材した人たちの感情が反映したのかしらと、ぼんやり感じたものだった。
私はその後、第四章でも書いたような、大学人だか公務員だかとしての被害妄想に陥って神経がぴりぴりしていた時期もあり、その間に読んだ筒井氏の『敵』や小川洋子『博士の愛する数式』などにも、大学教授というものに対する屈折した感情ばかりが目について、それは結局、大学教授ではない作者自身への屈折した感情なのではないかとまで思ったりしていたものだ。小中高の先生や、あるいは医師や宗教家なども含めて、「先生」と呼ばれて尊敬される職業の人々への尊敬と軽蔑と羨望と憐憫は、江戸時代の役者や遊女に対するそれとも似て、特に現在では複雑だ。大学について発言するには、内部と外部のどちらにいても、こういう意識が存在、というよりむしろ、もやもや漂っていることを、むしろはっきり理解していた方がいい。
この文章の中で私は文科省や大学入試センターを、かなり悪く言っているが、それは当面そこに文句を言わないと話が進まないからで、むしろ、その立場におられる方々も、その負わされた役割の中で苦労されているのは充分に理解しているつもりである。もっと罪が深いのは、他の関連の省庁や政府やその他の機関であり、さらに罪が深いのは、そういう人たちにまかせて大学のあり方に関心を持たない社会全体や一般の方々であり、それ以上に最大に罪が深いのは、この現状を放置して何とかしようともしないで来た私たち大学内部の人間だろう。
私自身について言うなら、在職中も定年後も、それどころではない忙しさだったこともあるが、これまで何の発言も行動もしないで来たのは、自分にその資格があるとはあまり思えなかったからである。私はいつも一番苛酷な第一線からは逃げて来たし、仕事はできるだけさぼっていたし、学生指導にもいいかげんで乱暴で、指導放棄した学生も何人もいるし、「おまえにそんなことをいう資格があるのか」といわれてたたかれたら、出るほこりが多すぎる。
それらのすべてを考えて、それでもしかたがないとあきらめて書いた。これで何も変わらなかったら、私はもう、やるだけのことをした、自分の義務は果たしたと思って、心おきなく沈黙を守る。