大学入試物語11-第五章 殺されるのはどんな人?(1)

1 毒を吐く

わたくしごとで恐縮だが、私は去年つまり二〇一二年に老若男女数人と絶交した。もしかしたら相手はそこまでのつもりではないかもしれないが、私の方ではもう二度とつきあうつもりはないと思っている。
その中には高校時代以来の親友もいるし、ずっと慕ってくれた教え子もいる。彼らが特に私にひどいことをしたのではないが、ただもう私が疲れたのである。何に疲れたかというと、これがまたうまく言えないが、一口で言えないからいろいろと言うと、いい人、強者、恵まれた人間、エリート、金持ち、の立場であり続けることに疲れた。
私がこれらの、ある意味大切な人たちと縁を切ってしまった背景には、このところ十年ほどの間、それほどまでは親しくないが、そこそこつきあいのある人たちに、「いや~もう、今の大学は忙しくて」「金に困っていて」「いろいろ大変なんですよ~」とぼやくたびに、「え~、まさか」「何と言っても公務員だからお給料は高いでしょう」「退職金もどっさりあるんでしょう」「夏休みも冬休みもあるじゃありませんか」「忙しいなんて、世の中の人はもっと忙しいんですから」というような返答ばかりが返ってきて、別になぐさめてくれとは言わないが、自分の窮状を決して理解してもらえなかった、理解しようとする様子さえ見せてもらえなかったことに、長い間つもりつもった不平不満が腐臭を放ってガス爆発したような気がする。

言い出したからには私もどこまでも醜いことを言ってのけるが、こういう人たちの反応の中でしばしば私がまったく理解できなかったのは、「先生はまだまだ恵まれている環境で、世間の人はもっと厳しい毎日を送っているんだから、ぜいたくを言っちゃいけない、甘えています」みたいな言い方をかなりはっきり言って私に説教する人が、自分が私とつきあっている、その時間というものが私にとってどういうものと考えているのだろうかということだった。我ながら最低の気分のときに私は心のどこかでぼんやり、じゃ、あなたとのつきあいに私がついやしている時間や能力や労力やついでに言うなら経済力は、私がどこから生み出していると思っているんだろう、あなたの存在は私にとって負担であるかもしれないという可能性はこの人は考えていないのだろうか、あなたとつきあう余裕があるということは私が恵まれている証明ということになるんだろうか、そんなら私の窮状を少しでも知ってもらうためには、まずはこの人とのつきあいをやめなければならないのだろうか、と言ったようなことだったのだが、本当に今でも私はこういう時のこういう人の気持ちというのがわからない。

私だって、自分に金がないとか時間がないとかぼやくのがみっともないのは知っている。疲れたとか悲しいとかいうことも口にするものではないぐらいのことは知っている。とりわけ教師はそんなことを言ったらおしまいだと考えている。だが、特に数年前から、そんな美学を守っていたら身がもたないと実感しはじめた。
最初に言った高校以来の親友だった人は、かつて私が大学教員の忙しさについて話したとき、「え~、私は大学の先生と言ったら、自分の研究室で大きな机に座って、たくさんの本に囲まれて、ゆったりしているものだと思っていた」と驚いた。自慢じゃないが、私は三十年あまり大学につとめ、どの大学も決して劣悪な環境にあったわけではないが、彼女がイメージするような生活はただの一度もしたことがない。この十年は研究室に私個人の机もなかった。大小いくつかの食卓用のテーブルを学生たちと共用していた。
まぎれもない悲劇は、と言うと大げさだが、そうやって驚いたにもかかわらず、彼女は結局そのイメージを修正できないままだったことだ。その後、母の介護や田舎の古い家の管理で、私がどんなに経済的精神的肉体的に窮地に追い込まれているか、何度か話してみても、彼女のイメージの中で私はどうやらいつまでも成功者で、旧家の世間知らずのお嬢様で、金にも時間にも不自由しない存在でしかなかった。その幻想と現実の乖離に、私はもうついて行けなくなったとしか言いようがない。何度説明してもわかってもらえない、結局自分のイメージを変えない相手は、私にとって母の認知症よりもよっぽど始末が悪かった。

だが、彼女に限らず世間の多くの人たちは、大学の先生というものは優雅でのどかで恵まれていると思いたがる。そこには公務員一般に対すると同様の、かなり意図的に世論操作されている嫉妬や羨望もないとは言わないが、それよりもしかしたら、恐れ多いが皇室や王家と共通の、恵まれた幸福な人たちの幸せな世界が、この世のどこかに存在するという幻想を抱いていたいという気分もあるのではないかと思う。だから、皇室の方々と同様、大学の教員は愚痴などこぼしたり不平不満を言ったりするものではなくて、どこまでも世間知らずで優雅であってほしい、それだけの環境を保障してやっているのだから文句を言うな、という感じなのではあるまいか。だから私ごときが、いくら必死に大変だ大変だと訴えても、これだけ無視されつづけるのだろう。
このことを話し始めるとまた際限なく長くなるが、私は自分がそうであろうがあるまいが、いわゆる特権階級というものがまるでまったく好きではないし、そういう特別な存在を作って、そこだけは美しい、すばらしい世界と思っていて、自分はそこには行けないし、その喜びは味わえないが、それでもそういう幸福な世界があって、幸福な人たちがいるということを、何だか知らんが心の支えにして、自分は泥の中にいても満足できる精神、ときどき、そのおこぼれに預かって快適な気分になり、それを励みにまた泥の中に戻って行ける精神というのが、あらゆる意味で絶対に理解できない。そういう動物園か植物園か水族館のような「幸福な人間が住む世界」といった存在は、実はその特権階級にいる人たちにとっても、あまり幸せなことではなくて、いろいろとろくな精神構造は生まないと感じている。

しかし、かりにまあ、百歩も千歩も一万歩もゆずりにゆずって、そういう夢があってもいいと認めるとして、大学と大学教員に対するそういう世間の夢もあってもいいと認めるとして、私がいくら自分の経済状態や精神状態の厳しさを語っても、その夢を断固として捨てないのもしかたがないとして、それなら、せめては、それだけその夢に固執する力の一部分でも、そんな夢とはあまりにもかけはなれた現実を見ること、その現実を少しでも自分たちの見ていたい夢に近づけることに向けてほしい。
夢をどうしても見たいなら、その夢を守るために、何かの犠牲を払うべきだ。たとえ泥の中にいるからと言って、何の努力もしないでいいということにはならない。美しい風景を見たければ自然環境の保護をしなければならないし、好きなタレントやスターのためなら写真集やCDも買って応援するだろう。大学をすぐれた人の集まる、美しい場所と思っておきたいなら、そういう場所があることを国民や人類として誇りにしたいのなら、それはそれでそんなに悪くはないことだと思うが、だったらそれだけ、注目し管理しておく責任はとってもらいたい。
私は、私を愛していると思っているらしい人たちから、何の援助ももらえず、当然のように相手に奉仕することを求められ、愚痴やぼやきさえまともに聞いてはもらえなかった。自分はあなたの思っているような人間ではない、無理をしている、手加減してくれというSOSのサインを私はその人たちに対し、明確に何度も伝えてきたつもりだ。気づかなかったなどと絶対に言わせない。見て見ぬふりをしつづけて、彼らはただ、私が彼らにとって快い存在でありつづけることだけを求めた。私を苦しめているものに対して自分も戦おうとするどころか、そんなものがあることさえも認めようとはしなかった。エサも与えられない、水も汚れた水槽の中で、美しくひらひら泳いでいることを要求される熱帯魚と同じことを私は期待されていたのだ。
そんな熱帯魚は早晩死んで水面に浮かぶ。動物園も水族館も美しい風景も荒れ果てて消える。大学もまた、そこで働く者が文句を言ってもいけないほど清らかな理想郷にしておきたいなら、せめて文句を言わないでも生きられるだけの環境を保障するのが、政府とは言わない、国民としての義務だろう。

2 優秀な人から死んでいく

私は大学時代に学生運動の仲間をとっとと裏切って、活動から離れた人間だ。その前に、受験戦争など決して認めないと思いつつ、結局自分の信念も捨てて受験勉強にはげんで大学に合格した人間だ。自分はエゴイストだと思っているし、それを恥じてなどいない。だからこうして、大抵の人なら言わないような恥知らずなことを書いている。言わなければわからない相手には、冷たい拒絶か下品な要求か、どっちかをする他ないと知っているからだ。
だが、大抵の大学の教員は私のように柄が悪くない。だから黙って無理をして、疲れ果てて死んで行く。これはことばの綾などではない。

もう十年以上前、大学の文系学部の予算があまりに少なく、必要な本も買えないということが問題になった。九州大学の今井源衛先生などが中心となって、そのことを世間に訴えられた。今、東京大学にいるロバート・キャンベルさんの「研究や教育に使う本の大半を自費で買わなければならない」状況を語った記事も新聞に紹介された。そして理系も含めて、いかに日本の大学の予算が貧困かという実態がかなり大きく報道され、状況の改善にいたらないまでも、何がしか、悪化をくいとめる役割は果たしたような気がする。たしか北海道の大学では「職員が昼食を裏の山でとった山菜ですませている」などという報告まであった。貴重な資料の多くが廊下に放置されて雨ざらしになっている実態も報道されていた。
だが、現在の大学の状況は、あの時期よりもはるかにひどい。資料がだめになるどころではなく、人がばたばた死んでいる。それでもあまり話題にもならないのは、それを報告しない私たち、一度や二度話して無視されたからと言って話すのをやめてしまう私たちにも責任がある。

私の身近なところでも、ある有名な名門の私立大学では、昨年の一月、三月、五月に現役の教員が次々に病死した。マンモス大学ではなく、むしろ小規模な大学で、この確率は普通ではない。
別の公立大学では任期をあと少し残していた学長が、学長室で倒れてそのまま亡くなった。精神を病む者、定年を待たずに辞める者も、さほど交際関係が広くない私の周りで去年一名づついた。
ほとんどの人を私は直接知っている。誰もが、教育者としても研究者としても優秀で、行政能力もある誠実で有能な人たちだった。私とちがって彼らは弱音を吐かず、手を抜かず、誠実に仕事を果たしつづけたのだ。今の大学では、それをしていたら、命を落とすしかないとわかっていても、彼らは逃げなかったのだろう。
ある人は自分の病気を遠くに住む子どもたちにも隠して、つれあいの亡くなった大きな家に一人で暮らし、体調が決定的に悪化した夜、自分で救急車を呼んで入院し、そのひと月後に亡くなった。指導していた二十人ほどの学生が、卒業論文を〆切の前日に皆きちんと提出した、とにこにこされて廊下を歩いて行かれたのが同僚の見た最後の姿だったと言う。研究でも教育でも決して弱音を吐かず手を抜かない、その人らしい生き方だった。
急逝した学長も含めて、彼らの何人かは家族葬で、職場の同僚たちは別れを告げる機会もなかったという。今は家族葬が多くなっているとはいえ、家族の方々にも、激務の結果の死という印象があって、いろんな意味でもうそれ以上、大学と関わりを持ちたくなかったのではないかと、ふと思う。それにしても、大学に命をささげたと言ってもいい死に方をしたこれらの人々が、その死を悼むことさえも充分に許されないまま、ひかえめにひっそりと次々に大学から消えて行く、この現状はどう考えたらいいのだろうか。何かが、どこかが、正常ではない。
別の、パワフルでエネルギッシュな人は、若い部下と本気で向き合い指導した結果、アカデミックハラスメントだと訴えられて裁判を起こされた。私なら一瞬のためらいもなく、徹底的に逃げてごまかして切り捨てるにちがいない相手を、この人は研究もふくめた人生すべてにおいてそうだったように、熱い情熱と豊かな心で、真剣に正面から受けとめたのだということが私には苦しいほどによくわかる。多忙な仕事も裁判も笑ってのりきったが、その後すぐに大きな病気で手術をしたのは、そのストレスと無関係ではあるまい。
このような人々に、そんな生き方をやめろと言っても無理なのを私は知っている。全力で仕事にも人間にも立ち向かい、いつも自分の力を信じて逃げないで先頭に立つ、このような人たちは、どんな状況や環境にあっても、その生き方を決してやめない。そのような人々を救うには、全力をつくして誠実に仕事をしたら倒れて死ぬしかない環境を変えてやるしか方法はない。しゃかりきで滅私奉公、粉骨砕身したとしても、何とか生きていけるような余裕のある環境を全体的に保障してやるしかない。たとえそれが、その人たちほど働かない人たちに利用悪用されるとしても、最も働く人たちを救うには、そうするしかないのである。

だが実際にやられている方法は、これとまったく逆のことだ。政府や社会か識者か何か、大学を改革しようとする人々は、常にもう、このような「実力のある良心的な」人々が損をしないで、怠け者の犠牲にならないで、正当に評価され優遇されるためには、このような人々しか生き残れないような厳しい適者生存、弱肉強食の環境を作ればよいと言い、それを実行する。
私はこれまたいつも、しんから腹が立つのだが、こんな考え方をする人は、そのような「実力のある優秀な」真のエリートである人間が、どういうものかまったく知らない。「すぐれた人が損をしないように」などと、したり顔で言う人間はおそらく、どういう点から見ても、すぐれた人間であったことなどないのだろうし、それがどんなものであるかを知る機会もなかったのだろうと、私は最近ほぼ確信しはじめている。
知らないのか、真にすぐれた人間とは、エリートであるべき人間とは、苦難に際して最も先頭に立ち、自分のことなど考えず一番苦しい役割を進んで果たす人間だということを。適者生存、弱肉強食がやむをえない状況の中で、まず何よりも先に自分を犠牲にして他人のためにつくし、その共同体の全員を守ろうとする精神を持つことを。
だからこそ、彼や彼女はリーダーであり、エリートであるのだ。そのような資質、精神を持たぬ者は、どんな仕事でも決して優れた存在にはなれない。適者生存、弱肉強食の環境を作ったからといって、そこで他人を蹴落として自分が勝ち残ろうとしたり、より強い存在におもねって自分を売り込もうとするような人間では、結局はその共同体は守れない。真に力のある者なら、そんな行動は決して選択しない。

はっきり言おう、私も小中高あたりまでは一応優等生だった。それだけではなく、多分とっくに優等生でなくなった後でも、今でさえも、なぜかもう、どうかするたびに、常に、この章のはじめにも書いたように、強者、勇者、聖者、恵まれた人間として生きることを周囲から要求されつづけた。理不尽なまでに弱者や劣った人間と言われる人たちに奉仕させられてきたと感じているし、そのことに矛盾や恨みも感じていないわけではない。
だが、そんな私だからこそ、「そんなあなたが損をしないように」などと言って作られるシステムや世の中など、そう簡単に信用できない。優等生やエリートのつらさや悲しみを解決するような大事業は、そんなに適当な中途半端な精神で実行できるようなものではない。ましてや、大学の予算削減などとセットになって、それの理由の一部に利用されるなどと、なめるのもいいかげんにしろと言いたい。
「優秀で勤勉な人が損をしないように」などと言われて、そうだ、自分は損をしていると思いこめる人なんか、まったくの無能力者や怠け者ではないまでも、しょせん決して、大して優秀でも勤勉でもない人だ。第一、「あなたは損をしていますよ」などというのは、夜の町の道ばたかどっかにいる占い師の殺し文句として、あまりにも有名ではないか。そんなものにひっかかって、「弱肉強食の世界になったら、自分ももっと楽になるのかも」と思ってしまうこと自体、その人が凡人である証拠以外の何物でもない。本当に弱肉強食、適者生存で勝ち残れるような優秀な人間は、決してそんなことばに心を動かされたりはしないだろう。

だから、どうせ口実ではあるにしても「優秀で誠実な人間だけが生き残れるように」などと、おせっかいな見当外れの親切ごかしの名目で実施される、「怠け者は生き残れない」ような厳しい職場環境を作れば、それは結局、その状況に誰よりも誠実に真剣に立ち向かう、その職場の最も優れた良心的な人々を最も苦しめ、文字通り命を奪う。怠け者や能力のない人(それを見分けること自体、大学という場所では楽なことではないのだが)を淘汰することなど、賭けてもいいが絶対にできない。まず最初に倒れて消えるのは、政府や社会や人類が多分最も残しておきたいような、優れた人材である。
私は自分がずっと感じてきたような、「どこまで私は強い優れた人間として、周囲に奉仕すればすむのだろう?」という疑問をまだ解決していないし、それがうまく解決するようなシステムや機能を持つ社会や職場が、実現する可能性はないわけではないだろうとも考えている。しかし、くり返すが、それは今のような、大学の予算カットとタイアップして、どさくさまぎれに考案されるようなものではなく、真のエリートとはどのようなものかもよくわかっていない人間たちが中途半端にでっちあげるようなものではない。

決してそれを期待するのではないが、せめて、そういう競争社会を大学にもちこんで皆をふるいにかけようと考える誰かが、責任持ってその場に乗りこみ、自分の判断で能力ややる気のないと判断した人を、ばさばさ首にし、がんばっていると見た人を、どんどん抜擢し優遇するということをやってみるなら、まだひょっとしたら一定の効果があるかもしれない。だが、そんな決断を下せる能力がある人も、責任を持てる人もまずいない。恐れを知らずにそれをやれる人間は、そんなことをする能力が自分にあると思っている時点でもう、一番そういうことをやってほしくない、そんな仕事にふさわしくない人間だろう。
だから結局、誰も手を汚さないで、ひたすら環境を厳しくして、自然淘汰がひとりでに始まり完了するのを待つことになる。これはどう考えても、せいぜいが戦闘時に敵に対する場合のもので、ほろぼそうとする相手に対して行なうものだ。動物園の動物を戦時下で飢え死にさせるとか、城を囲んで兵糧攻めにするとか、そういう時に取る手段だ。そんな姿勢の基本にあるのは、憎悪ではないまでもせいぜいが恐怖と逃げであって、決して愛情でもやる気でもない。その結果、すぐれた者から先に死に、生き残るのはせいぜいが私のような卑怯で怠け者のエゴイストだけだ。

3 消える夏休み

そろそろ入試の話に戻そう。前にも書いたように、大学の予算削減はそのまま多忙化とつながっているのだが、特に入試業務は教職員のストレスの大きな部分を占めている。次項に書く機密保持の必要性もその大きな要素さが、その前にまず、単純に時間の問題から話そう。
この数年、私もかなり神経質になってきていて、友人知人やなじみの店の人や近所の方々から「今日はお休みですか」と言われるたびに、もちろん顔には出さないが心ひそかに、「だったら何かおまえに関係あるんかい。文句があるなら私のしている仕事を一時間でもやって見てから言え」と、見当違いな逆上をしていた時期さえあった。「いいですねえ、ゆっくりできて」などと続けて言われると、しめ殺してやろうかと思うぐらい腹が立って、自分でも不安になるぐらいだった。
大学は優雅で恵まれた職場、という世間の方々が持ちたがる幻想の中で大きな部分を占めるのが、「夏休みや冬休みが長いでしょう?」ということで、いくら「私たちは休みの間が一番忙しいんです」と説明してもわかってもらえず、がんこな人だと「でも、好きなことをしてお金になるんだからいいじゃありませんか」と、あくまでも私を幸せな人間にしておこうとする。そんなに自分の仕事がいやなら、とっとやめればいいだろう、うらやましいならまねしてみろとか、いったたぐいの、とんでもない捨てゼリフを、よくよく私に吐かせたいのかと呪いたくなる。

私は子どものころから、こういう生き方をしたいと何かをめざして努力したことはほとんどないのだが、絶対にしたくないということは山ほどあって、それをしないでいるためにはどうしたらいいかということはいつも考えたし、そのための努力はいつもした。だから、しなかったこと、捨てたこと、拒否したこと、持っていないものはやたらと多い。何かを選んだというよりは、いつも何かを捨てて来た。その結果として今がある。そういう意味では、好きなことをして生きていられるのは恵まれているが、それはもっと好きだったかもしれない多くのものをあきらめた結果でもある。その点では、捨てて失った結果生まれた空白が、最大の私の財産でもある。
あくまでもそういう意味では、たしかに今はもちろん大学につとめていた時も、研究や教育がどんなに忙しくて大変でも、基本的に私は不満は持たなかった。そして、この二つは私の場合、完全に連動していて、どちらが大事ということはまったく感じたことがない。人にきちんと教えようと思うから、最高の最先端の研究をめざすことは、私の中でわずかな矛盾も生む余地はない。

私が定年前に長くいたのは、教員養成大学だったから、ともすれば、教員になるためにはあまり専門的な知識は必要ではないといったような発言が政府や文科省の発言としてあった。だが、これを話しはじめたらまた長くなるから簡単に言うと、専門的な研究はそれはそれでどんどん深めることが必要だが、専門の研究者にならない一般企業や小中高や社会人の人たちに教えるときこそ、最高の最先端の知識と専門性が重要になる。短時間でわかりやすく話すことが、一番膨大な研究を必要とするのだ。
実際にはそれらしい本の数冊を読んで、講義や講演をすることは可能かもしれない。だが、それだと、定説や常識が変化するたびに、話すことをくるくる変えることになるだろう。この分野のこのことについては、絶対に自分が自分の手や足や目で、ついでに言うと心と魂で検証し確かめたという自信があってこそ、わかりやすく凝縮した話ができる。
カルチャーセンターなどで、ときどき、「そんなに難しい話でなくていいから、やさしく簡単にしゃべって下さればいいから、気軽に考えて下さい」などと言われたりするが、気軽にやさしく話すのこそが、実は一番難しいのだ。
たとえ小学生が相手でも、しゃべることは単純でわかりやすくしていても、その背景には膨大で精密な知識がなければ、子どもの無邪気な突然の疑問や質問に対処できない。とんちんかんな発言や質問の背後に、鋭い読みにかかわる問題が横たわっていることは常にある。それをつかんでおかなかったら、子どもたちの疑問の真意をすくい取れないままになる。最悪の場合は、自分に自信がないために余裕を持って、子どもに対応できず、無視や嘲笑などといった相手の心をふみにじることさえもしてしまいかねない。

問題は、その研究にさく時間が今の大学では絶望的に不足していることである。研究は寸暇を惜しんで少しずつ積み上げる単純作業の面もないわけではないが、圧倒的に必要なのは、すべてを忘れてそのことに集中できる時間である。その点では芸術活動とも共通しているかもしれない。
だから、こまぎれの時間をいくらもらっても、それを有効活用できる可能性はとても少ない。特に現地調査や、原資料の調査ということになると、長期にわたる作業が必要だし、短い数日でも、間に何かじゃまが入れば、コンピュータを立ち上げるのにかかる時間のように、再び仕事を始めた時に、集中するまでにかかる時間がまた同じくらい必要になる。下手をすると、やっと調子が出てきて、さてこれから、という時に、次の会議の時間になって中断し、さてまたヒマができたら、また同じことになって、というように、準備運動だけを何十回もくりかえしてしまうことも珍しくない。

比較的、そのような状態が保障される夏休みという長い休暇は、私たちにとって大変に貴重だった。もちろん国内・国外留学や研修といった制度はあり、それを活用することでかなり救われる面はあるが、申請してももちろん常に認めてもらえるわけではなく、大多数の教員のおおかたの年度にとって、夏休みを活用するしかない。
教えるためには自分が学ばなければならないというのは、小中高の先生の場合もまったく同じだと思うので、中学校の教員をしていた友人が部活の指導その他で夏休みにはまったく休めないと聞いて、私は唖然とし、その状態がどんなものなのか、予想することさえできなかった。
だが今は大学もあまりそれと変わらない状況にある。集中講義や各種の研修などとともに、会議がのべつまくなし入って来る。

私のいた大学の場合、大学改革が最初に行なわれた二十年ほど以前までは、どんなに忙しくても八月だけはいっさいの会議をしないというのが、不文律として守られていた。それが教授会その他で議論になることさえもなく、いつの間にかずるずると、なしくずしに崩れたのだが、私の記憶にある限り、そのきっかけになったのは入試関係の会議である。これまた機密事項に属するかもしれないから、あまり明確には書けないが、入試問題作成の会議はわりと小人数で、機密保持のためにもひっそりと非公式に行なわれるので、大学が多忙になり、皆の予定が一致しなくなると、深夜だの早朝だのと時間をさがしてもらちが開かず、結局は夏休みに会議をしないという申し合わせを無視して、八月中に開かれるようになった。
もし、これが何かの委員会とか教授会とか皆が参加する正式の会議だったら、おそらく教授会で、八月は会議をしないという申し合わせを守るべきだという発言があって、議論が起こり、そう簡単に認められることはなかったろう。だが、入試関係の仕事は重要であってもいわば水面下で行なわれる作業のため、この手続きをかいくぐった。そして、いったんそうやって八月の会議が実現すると、他の会議もずるずると行なわれるようになった。そうやって、大半の教員にとっては、まとまった研究をする唯一の機会だった夏休みは着実に崩壊し、今はその影もとどめていない。
ついでに言うと、大抵の大学で同じと思うが、春休みというのは休みではない。各種の入試業務に追われて教員も職員も一年の中で一番緊張と過労をしいられる地獄の季節である。私などは、四月に新学期が始まると、新しいスタートどころか、ああ今年も三月が無事に終わったと、ほっと胸をなでおろして脱力しながら新入生と向かい合うのが常だった。
また夏休みも、私の大学の場合、各種の実習などとの日程調整の関係で、今では八月の第一週まで授業が行なわれている。七月末に休みになる小中高より休みは短い。「まだお休みじゃないんですか」と学外の方から驚かれるたび、「あれ、去年もそうだったし、もうずっとそうですよ」と笑って答えながら私は内心、「これだけ毎年、同じやりとりをくりかえしても、まだあんたらの頭の中の『休みが多い大学』のイメージは刷新されていないのか」と歯がみせずにはいられない。

さらについでに言うと、九月も授業がないし、冬休みもある。だが授業がなくても各種の会議があると、前に言ったように時間はこまぎれになり、集中した勉強や大規模な仕事は絶対にできない。
たとえば会議そのものは二時間しかなかったとしても、その時間にその会議があるばかりに、その日は予定が立てられず、その日が使えないばかりにその月全体の計画が作れないということがある。まるで、将棋や碁をさす時に、「うう、その駒がひとつ、そこにあるばっかりに」と言うような局面が生まれてしまうのである。
研究や授業計画が長期的で緻密で斬新であればあるほど、どのように展開し発展し行き詰るかは予測しがたい。他のことは何も考えず、そのことだけに集中できる時間を少しでも長く確保できなければ、結局は充分な成果を上げることはできない。

定年退職前の数年間は私にとって夏休みは、むしろ苦痛になっていた。一応ふだんよりは休めるから、自分の研究はできるのだが、ふだん手をつけられずにいた仕事が、ようやく軌道にのって展望が見えはじめた頃、休みが終わってしまうから、そのストレスはものすごかった。一度、研究室においていた皆が好きなことを書く落書きノートに私は、鉛筆も折れよとばかり、ふざけるな何が夏休みだとか何とか、狂気のような文章を大きな文字でなぐり書きした。学生たちがそれを見て、面白がって笑っているのを見ながら私は、おまえたちは先生になっても生徒が自殺しかけているシグナルなんかきっと全部見逃すんだろうなと、心の中で毒づいていた。もっとも学生たちにして見れば、私が狂いかけている兆候を正視するのが怖くて、笑いにまぎらそうとしていたのかもしれない。

ささいなことにこだわっているようだが、私はこの件にも大学入試というものの性質がよくあらわれているような気がするのだ。何より重要でありながら、だからこそ非公式なかたちで、従来の体制や規則をずるずると浸蝕して行き、いつの間にかそれが全体を大きく変化させてしまう。誰もがこれと明確に指摘できないかたちで、小さいことからじわじわと職場の状況を変えてゆく。それがきっかけだったことさえ、誰もが覚えていないまま、決定的な役割をひっそりと果たしているから始末が悪いことこの上ない。

(2013.1.8.)

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