大学入試物語6-第四章 入試が大学を食い荒らす(1)

1 年に一度の問題か?

これまで私が書いてきたのは、ありもしないし出来もしない「絶対の公平性」という幻想が、全国一斉大学入試では極限に達しつつある異常さを知ってほしいということだった。だが、いくら矛盾があり負担になっても入試は年に一回であり、その時だけ我慢すればよいことを、大げさに言いすぎる、と感じる方もおられるかもしれない。
事実、数年前にある新聞が「大学教員が入試問題を作りたがらない」という記事を書いたときも、目のつけどころはけっこうだが、なぜそうなるかの原因については「教員が研究の障害になるから試験問題を作りたがらない」と、さも自分の研究ばかりに没頭したがる時代錯誤の大学教員を告発するようなトーンの記事になっていて、私は怒髪天を突き、投書か電話かしてやろうと思い、せめてこの新聞の購読はやめようと思ったのだが、入試関係業務を含めた仕事が忙しくて、そのどっちもするヒマもなかった。
それにしても、今日び、大学教員が自分の研究にいそしんで他の業務をしないなどという先入観や固定観念で記事を書くほど、大手でそこそこ良心的な新聞の記者は取材も調査もしないものなのだろうか。入試とちがって、こっちは機密事項でも何でもないから、ちょっと調べればわかりそうなものなのに。

入試問題を作る、すなわちその年の入試の担当者になるというのは、どういうことか。また機密事項のオンパレードになりそうで心配だが、書かねばわからないだろうから書くと、入試問題の作成とはほとんど半年から一年がかりである。あの短い問題文と設問に論文ひとつ、ひょっとしたら本を一冊書くぐらいの時間と労力を費やするのだ。
まず担当者数名が集まって会議を開くとして、他にも会議が多いからなかなか時間が設定できない。夜や休日、夏休みなどの会議はあたり前である。そして各自が問題文の原案を持ち寄って何度も会議を重ねてチェックする。
前章で言ったような、複数の解答が出ないか、設問に無理がないかなどはもちろんだが、他にも句読点の打ち方、送り仮名や漢字が高校までの教科書と食い違っていないか、問題の内容が、どこか特定の教科書を使用している者にとって有利になったりしないか、差別的ととられる用語がないか、あらゆることを検討する。その間に各自の意見や見解が異なって議論になることもあり、一回の会議は数時間かかるのが普通だ。

私は私立公立国立とさまざまな大学に勤務し、それぞれに入試作業に関わってきた。そのどこでも、だいたいこの手順や手間のかけ方に差はなかった。先に述べたように、入試作業のこういった内容は、私たちは親しい同僚でも先輩後輩でも師弟でも決して話さない。だから、他大学の場合がどうなのかは正直まったくわからない。
私が勤務した大学は、そのいずれもが、おおむね長い伝統を持ち、経営もしっかりしていて、各方面で良心的な安定した、誤解を恐れずあえて言うなら中堅どころの大学だったと思う。だから、もっと苛酷な状況の大学や、自由奔放な校風の大学や、名門の最高学府の大学では、手順や事情はまたちがうかもしれない。しかし、私が勤務した各大学に限って言えば、大学の雰囲気も性質もかなり異なっていたのに、入試問題作成の作業については、ほとんどと言っていいほどちがいはなかった。特にマニュアルや伝達事項があったわけでもなく、自然に共通のやり方が確立されていた。

これはもちろん大変な作業である。責任を感じるし負担にもなる。しかし、この作業自体は実は私は苦にならない。後で書くけれど、私はそもそも入試制度自体に疑問を抱き、なくすか減らすかする方がいいとも思っている。だが、それでも、入試問題の作成そのものは他の担当者との議論も含めて、決して苦痛ではない。たまにいやなやつがいたり、たがいにアホと思うこともあったりするが、それは他の会議や仕事でも同じで、特に入試関係に限ったことではない。
多分私だけではないと思うのだが、入試問題の作成を負担にしているのは、他の入試関係の作業と同じ、それが絶対の機密事項で、なおかつミスが許されないということだ。それを保障する環境があまりにも整っていないということだ。

2 オフィスアワー精神

私は二年ほど前にめでたく定年退職した。これだけ好き勝手なことを言ったりしたりしていて、よくも無事に定年までいられたものだと思うと、どこかで誰かがその分苦労もしたのだろうと落ちつかない気分にもなるが(一度、交通規制の取り締まりに命をかけている大物の先生から、ごちゃごちゃ文句を言われたとき、私は「うるさい、バカヤロ~」とどなって車で走り去ったのだが、その直後に通りかかった同じ学科の別の若い先生が、私のことで一時間ちかくお説教されたということを、ずっと後まで知らなかったことがある)、まあそれはさておくとして、今の大学の研究を支える環境は悪い方に日進月歩のようだから、もはや私の知っている状況以上に現場はひどいことになっているかもしれない。かつての若い同僚に会うと皆口をそろえて「いい時にやめられましたね」と言って下さる。あまりそれを聞かされると、つい、わ~、面白そう、そんなひどい状況ならそこで何か抵抗してみたいなと、退職したのが残念に思ったりするが、相手が激昂しかねないから、さすがにそれは言えないでいる。

しかしまあ、私に限らず古い世代ほど平気で抵抗もできたのかもしれない。思えば私が現職のころ、文部科学省がこうでああでと愚痴をこぼすと、退職された先生は不思議そうに「いや、そういうことは昔も文部省は言ってきてたよ。僕らが相手にしなかっただけで」と言われ、「何でそんなことにいちいち対応しているんだ、放っておけばいいのに」とまで言われたかどうか覚えていないが、そういう雰囲気だった。ちなみに、そこまで書いたらこの先生がどなたかわかるかもしれないが、昔、センター入試か共通一次か忘れたが、その方は入試の監督をしていて、昼休みにウナギか何か食いに行こうと何人かで食べに行って、午後の開始時間に遅れ、総責任者の某先生から皆の前で、たっぷり怒られたそうで、でもその話を私にしてくれた時、「○○先生がさ~、握りしめたこぶしをぶるぶる震わせて怒ってるんだよね~」と、あまりというよりまるで恐縮している風情はなかった。聞いた私も、ちょっとはあきれたが、多分今だったらもっとのけぞったにちがいない。そういう先生がいて、そういうことが起こる可能性がそのころは、まだあった。
(ところで、この前ひさしぶりに、「ある受験生の手記」で有名な久米正雄の短編集を読んでいたら、多分実話にもとづく一編で、旧制高校の入学試験で学長先生は試験会場の一受験生に、平気で声をかけてはげましていた。それを読んでも誰も驚かないほどに、試験というのは、ゆるかったのだ。ついでに言うなら、先日来のオリンピックで、周囲で別の競技が行なわれていて、わあわあ歓声があがったりする中で、集中してやり投げとか高跳びをして記録を出している選手たちを見ていると、あの大学の受験会場の「実力を発揮させてやるための真空地帯の無菌室」状態が、あらためてつくづく異様に見えたものだ。)

つまりまあ、その先生に限らず、一昔前の大学の教員や職員なら平気で無視していたことが、今では絶対できなくて、たしかにそれは若い世代が次第にまじめに小粒になって行ったということもあるかもしれない。その分、学生が理不尽に扱われることがなくなったということも、いくらかはあるのかもしれない。しかしその分、昔のような指導はしなくなったということも一方ではあるかもしれない。そのへんのことは私にはまだよくわからない。
またちょっと脱線すると、私の周囲の先生たちはいろいろ個性はちがっても、人間としての品位や風格を持っている人たちで、私はきちんと扱ってもらえた。だが大学も広いから、いろんな先生もいたろうし、中には学生とひどい関係になる人もいただろう。私自身も何度か今なら絶対アカデミックハラスメントになるだろうという指導や指導放棄をしたし、あえて言うならそのことを今でもまったく後悔しておらず、当時もたとえクビになっても、この点は譲れないと考えていた。
どうしてか私の研究室の卒論発表会では、発表者が変に悪ふざけして冗談めいたやりとりを質問者とすることがある。そこそこいい卒論を書いたというバカな思い上がりと、充分にいいものが書けなかったというバカな恥じらいとが、そういう妙な照れ隠しに走らせるのだろう。ある時期からは私は前もってそういう態度をとらないように注意するようになったが、最初の数回は腹にすえかねて怒った。一番不愉快だったときは、その発表会のあとの飲み会の席上で「では先生のお言葉を」と言われたとたんに、「実に不愉快な発表会だった」とののしって、そのまま席を立って帰ってしまった。そうしたら駐車場で女子学生が一人追っかけてきて呼びとめるから、「何なの?」と振り返ると「先生、バッグをお忘れです」と、さすがに笑いのかけらもない真剣な顔で私のバッグを差し出した。私も照れ笑いなどちらともせずに、実際そのときはまだ活火山のように怒りまくっていたので、「ああそう」とバッグを受け取ってそのまま車に乗って帰った。

何かもう、いつもあの頃、私は学生とさしちがえるような気分で毎日授業やおしゃべりや飲み会をやっていた。何時間でも徹夜してでも議論をしたし、相手の学問も人格も人生もこきおろした。いつからそれをやめたかは覚えていない。私は学生の人権は充分に守られるべきものと思っているし、彼らとの狂瀾怒濤のつきあいの中でもそれは守ってきたつもりだ。しかし、最大の原因はともかく忙しくて学生とつきあう時間がなくなったからだが、それ以外にも何となく、学生たちのガードが固くなったというか、どんなにつきあいが深くていろいろしゃべっていても、決して自分をあらわにせず、それでいて、そうっと手袋でマッサージするような快い指導や会話やつきあいだと、いつまでも、どこまでも、あきずにこっちによりかかってくるというのが、年のせいかもしれないが、どどっと疲れるようになった。
たがいにふみこまず干渉しない、最低限のつきあいというのは、私は基本的には大好きなのだが、そういう生ぬるい絶対相手を傷つけないルールのもとでの関係を、だらだら続けるのはすごく時間の無駄と思えるようになった。思えば私も自分の先生方と、たいがい無作法で失礼なつきあいをしてきたと自覚しているが、最低でも少なくとも、相手はどんなに優しくてもアホに見えても、実は凶暴なトラで冷酷なサメで、私をかぎりなく大切にしてくれる一方で私などどうでもいいぐらい烈しく深い世界に没頭している、異星人に近いぐらい巨大な人だという警戒や緊張を一瞬も忘れたことはない。多分、いや、絶対に。
学生とも同様に先生方とも、どこかさしちがえる覚悟でつきあっていた。それだから楽しくて信頼もできた。

まあ、人になめられるのが私の特技といつも言っているぐらいだから、かなり自業自得の部分もあるのだろうが、そもそも私の先生方と自分を同じように考えるのがとんでもなくまちがっているのだが、それをさしひいてもなお、ここ数年の私の周囲の学生は、私といくらしゃべってもつきあっても、私には関心がないし私を見ていないと実感する。私は快いマッサージ椅子で、便利なツールで、適当にあこがれて、適当に楽しんで、それ以上のものではない。あくまでも関心があるのは自分で、それも変化しようとか成長しようとか逆に身をもちくずそうとかいうのではなく、お皿にのせたプリンのように自分を大事に大事に扱って、言葉でも行動でも決して自分を傷つけない。だからひきこもって、だから人をいじめて、だから自殺するんだろうと何となく理解できる気がするが、さしあたりは疲れる。
それでも時間さえあれば、彼らともそれなりにつきあいはできたと思う。しかしそもそも、学生サービスの目玉のように持ち出されて押しつけられた、例のオフィスアワーとやら、あれで私はまったく学生とつきあう気がそがれた、というか、彼らから逃げる怠け心がきざした。

私は学内にめったにいなくて、つかまえにくいので有名だったが、実は相当の時間、研究室でも自宅でも喫茶店でも学生たちとしゃべっていたし、たがいの私生活や恋愛沙汰も洗いざらい聞いていた。私に限らずそういう先生は少なくなかったと思う。
オフィスアワーというシステムの意味が私は最初さっぱりわからず、わかったあともずっと思っていたのは、そりゃ一定の決まった時間、研究室にいて「相談があったらその時に」ですむのなら、こんなに楽なことはないということだった。実際そんな高給取りのセラピストか弁護士のような相談は、私は結局一度もしたことがない。
以前私はどんなに忙しくても、ヒマそうに研究室ででれっとしているのが自分の仕事と考えていた。何か悩みがあっても学生はいきなりそれを口には出さない。だいたい悩みがあることすら気づいていないことも多い。映画の話や雨の話や服の話や猫の話や焼き鳥の話や、まったくどうでもいいことをでれでれだべっている内に、重要かつ深刻な話題がぽろっと出てくるのだ。
時間を限ったオフィスアワーとやらで、しかも複数の学生がぶつかるかもしれない中で、歯医者の予約じゃあるまいし、「はい、三時から進路の悩み、五時からセックスの悩みですね」とか整理できてたら世話はない。そういうことを制度として思いつくのは多分、学生との相談をろくにしたこともない人だと私は、はなから確信した。

だが、私のように、ぼやっと天下国家から森羅万象の雑談をしながら、深刻な話を深刻でなくくっちゃべるというスタイルは、会議や入試やその他の仕事が加速的に増加する中では結局不可能になって行った。いつからか私は研究室にきた学生に「あと一時間で会議なのよ」というようなことを言わざるを得なくなっていった。そうなると深刻な悩みを抱えた学生などは、きっと多分来ない。私に気をつかって来なくなるということも、むろんある。
もっと何とかするべきだったと今では反省している。何か工夫はできたはずだ。だが、対応したり策をねったりする時間もとれないまま、私は次第にオフィスアワー精神に毒された。「悩みがあるなら、要領よくまとめて相談にきてくれ」と思うようになったし、「何回会って話しても、結局同じ話のくりかえしじゃたまらない」と思うようになった。新商品のプレゼンじゃあるまいし、自分の心の奥の悩みなど、そんなにさっさとまとめて提示できるようなら世話はない。

今の学生が昔に比べて、ガードが堅いというのも、誰よりも自分が大事で相手は(たとえ大学の先生でも)自分のための便利なツールとしてしか見ていないというのも、たしかにそうだろうとは思う。しかしそれは昔もそうだったし、今でも時間さえあれば、昔とはちがったやり方で、彼らの悩みは聞けたと思う。
たとえば、研究や役職でばりばり活躍し脚光を浴びていなくても、ひっそり何もしていないかのような教員や職員が、そういう学生たちの悩みを聞く役割を果たしていた面もあった。しかし、これもまた、人員削減や予算削減の中で、そういう余分な人材、目に見えない仕事をしている存在は削除され、認められなくなった。個人としても組織としても、そういう余裕ののりしろがまったくない状況が日に日に作られ、それが学生サービス、社会への貢献というのだから片腹痛い。
オフィスアワーとは、今考えれば考えるほど、少なくとも日本の大学、私の周囲では、学生との相談時間を確保しているかのように見えて、実は学生とふれあう時間を大学からなくすための口実だったとしか思えない。全国試験のぶあついマニュアルと同様、「対応してます」という免罪符としての役割しかない、あえて言うなら犯罪的な存在だ。
それは、「教員をふやし、仕事をへらせば、すぐすべて解決する」と現場で言われている、いじめ問題をはじめとした社会全体の縮図でもある。悩みは要領よくまとめて話せるものではない。バカ話をしているうちに、フコイダンだか何だかの服用によるガン細胞のように、いつか消えてしまうこともあるし、じっくり、ぼんやり、ぐちゃぐちゃくだをまいている間に解決することもある。そういう場所や余裕が消え、「無駄がない」世の中を優先するから、酸素不足になった金魚のように誰もがあっぷあっぷすることになる。

それにしても、なぜこんなに大学が忙しくなっているのか、という話だが、それはまた次回に。って、どうせ大学関係者は皆わかっているのでしょうが。

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