大学入試物語12-第五章 殺されるのはどんな人?(2)

4 機密保持が生むストレス

私たち大学教員の研究室は、大学によって広さもいろいろで、かなり狭いところもある。私の研究室は広さはまあまあだったが、本を置くと狭くなるし、学生と研究会をする時は身動きできないほど窮屈になった。
それでもそんなに不満はなかったが、ただ困るのは入試問題の原稿の保管場所だった。いつも学生が入りびたっているし、資料の印刷などで短時間部屋を空けるときに、いちいち学生を追い出すわけにも行かない。
他の先生方がどのようにされていたのか、私は知らない。これも大学によって異なるだろうが、理系の先生の研究室は実験のためか二つあったので、まだ保管がしやすかったかもしれない。また学生を基本的にあまり研究室に入れない、少なくとも長時間滞在させない先生もいて、それならまだ何とかなったろう。だがその一方、私などの比ではなく、学生が大勢常にたむろしている研究室もあって、そういう先生はどうされていたのか、見当もつかない。

私の場合は、学生が常に出入りする研究室に問題の原稿をおいておく気にはとてもなれなかったので、資料はすべて自宅のワープロに入れて保管し、会議のとき以外は職場に持って来ないようにしていた。
ところがどうやら、厳密に言うとそれは規則違反であったようだ。
仮に、という話で書いておく。ある先生の家に空き巣が入ったとする。入試問題の原稿が入ったカバンを開けられた形跡はないが、室内を物色されていた以上、見られてしまった可能性はある。
そうなると、それまで何度も会議を重ねて、練りに練った問題はすべて最初から破棄して全部やり直すことになる。同じ作成委員の先生方には多大な迷惑をかけるわけだし、本人としてはいたたまれない思いになるだろう。
しかし、空き巣は不可抗力に近い災難だし、その先生は被害者で責任は問われないだろうと思っていたら、さにあらず、入試問題を家に持ち帰っていたということで、その先生は責任をとらされ始末書を書かされ、そういうややこしい手続きを求められる一方で、問題作成のやり直し作業を他のメンバーに気を使いながら進めなければならないという、実に考えただけでもお気の毒な、二重三重の負担を求められることになるらしい。

このへんがまた、一番最初に書いた、幻想としての公平性が生む非常識なまでのささいなミスの指摘や弾劾にもつながるのだが、まったく現実的でない規則がまかりとおり、守れるわけもないことが要求される。学生サービスをしろと言われて、まあ言われなくてもするけれど、その結果、彼らが研究室に常にいるとなれば、入試問題など危なくて絶対研究室にはおけない。自宅に持って帰るしか安全確保の道はない。それは誰でもわかるだろうに、たとえばそういう空き巣事件が起こったりすると、あくまでも規則が最優先されるから、大学の外に持ち出したのが罪になる。
だいたい、「学生の出入りがあるから危機管理のため」という理由がなくても、今どきの大学では昼間は到底、研究もだが、入試問題の推敲などを悠長に行なっている時間はない。持ち帰って自宅でやる以外、時間の取りようがないのである。そういった数々の事情や現実を無視して、規則を優先させるこの精神は本当に不毛であるとしか言いようがない。

少し前までは、定年の一年前になると役職はもちろん、各種委員や入試関連業務は免除されていた。これだけ大学が忙しい中、そんな特別待遇を期待できないことはわかっていたが、実際に私たちの年齢の退職者は退職直前まで入試業務の、それも責任者クラスの仕事をさせられた。
そうなってみて、あらためて気づいたのは、退職直前の者に重大な仕事をさせないというのは温情ではなく危機管理だったのだなということだった。何かあっても責任がとれないし、実際その年齢になると、目はかすむし注意力は散漫になるし、とても怖くて責任ある仕事などやれない。
そう言っていてもしかたがないから、私はとにかくミスをしないよう、規則を守るようにしておくしかないと思って、いかに危険でも入試関連の書類はすべて研究室に置き、原稿は研究室のパソコンに入れておくようにした。しかしこれは、毎日生きた心地もしない、ものすごいストレスだった。悪いことに卒業論文は一月が〆切なので、最終段階の卒論指導と入試業務がかちあう。卒論の最終稿に手を入れたいから、パソコンを使わせてくれと、せっぱつまった学生が頼みこむと、入試の資料を入れたパソコンを彼らに使わせるしかない。結局、どうとでもなれと開き直るしかなかった。
ただでさえ、単純に忙しい上、こういった入試関係の仕事にまつわる機密保持が、いやが上にも神経をまいらせ、それはほとんど一年の大半、継続すると言っても過言ではない。

これは私自身の体験だが、一度夜中に研究室に用事があって、車を飛ばして大学に行き、誰もいない研究棟に入って研究室に着いた時点で、入試問題の原稿を入れたファイルを落としたことに気がついた。速攻で引き返したら、研究棟の入り口の階段に、ファイルが落ちていた。その間、おそらく五、六分。あたりは闇で、見渡す限りキャンパスに人の気配はなかった。
それでも私は一瞬も迷わず、翌朝すぐに他の作成委員全員に連絡して、私の問題だけ初めから作り直すことを了承してもらい、その分だけの検討会議を再度、数回してもらった。大丈夫なんじゃないのとか、そのままにしておけばとか言った委員はひとりもいなかった。もちろん私に不満や不平を示す委員もいなかった。
このときは、先の空き巣に入られた話とちがい、まだ問題作成の比較的初期の段階だったから、委員どうしの話し合いで処理できたのだが、いずれにしても、何か少しでも不安な要素があったら、あいまいな処理はできない。そういう緊張をほぼ一年間引きずるのが入試業務だ。以前はまだ数年に一回の担当でよかったが、人手不足や試験の増加によって、今や毎年担当するのが普通になっている教員も多い。

ちなみに私が最初に勤務した私立大学では、問題作成や採点の業務にはそれなりの報酬があった。しかし少なくとも国立大学では、これだけの作業に対してきわめて少ない報酬しかない。みみっちいことを言うと、採点の時の休憩時のお茶やお菓子、試験当日のまる一日の試験監督の昼食まで、すべて私たちが自分で買って食べている。私はもう少し退職が先だったら、絶対にセンター試験の昼食時、受験生や保護者の前で、手作りのにぎり飯かカップラーメンを食べて「昼食代も出ないんですよ~」とアピールしてやろうと思っていたのだが、実行する余裕がないままになったのが少し残念である。

5 蠅とマニュアル

センター入試当日のマニュアルについては、最初にも少し書いたが、もう少し詳しく説明しておこう。
前に述べたように、これは全国いっせいに同じ時間に同じことばで試験が実施されるための、いってみれば作業要領である。地方都市の電話帳ぐらいはある分厚い冊子で、私が退職したあと更に厚くなって、今は二百ページを超えているという噂がある。
このような式次第にのっとって、寸分たがわぬ試験が励行されること自体、私には気味が悪いし好みに合わない。しかしそれはあくまでも趣味の問題だからいいとして、本当にそういう「全国一斉」が好きで、それをとどこおりなく実施したいと心躍らせている人にとっても、実はこのマニュアルは決してそんなに理想的なものと思えない。

この冊子には、「これから国語の試験をはじめます。机の上には以下のもの以外はおかないで下さい。コートは着たままでもかまいません」といった監督官の発言内容や一挙手一投足がすべて記されていて、これ以外のことをこれ以外の順序で言ってはいけないし、してはいけないことになっている。ただし、この部分はそこそこ量があって厚くても、例のヒヤリング関係は別として、それ以外は最初の段階から増えてはいない。毎年どんどん増加するのは、それ以降の「○○の場合は△△のように対応して下さい」の部分で、これがもう断捨離もダイエットも関係なく、ひたすらどんどん、どこまでもふくらんで来ている。

もちろん、そこには書いておかねばならないこともあって、たとえば遅刻してきた学生は何分までなら認めるとか、受験票を忘れた学生にはこのように対応するとか、トイレに行きたいとか気分が悪くなったとか言う学生にはこのように対処するとか、そういうことはたしかに必要である。背中に英文の書かれたジャケットを着ている学生にはどうするかとか、鉛筆に和歌が書いてあるときはどうするかとか、ティッシュを使っていいかと言われたらどうするかとか、まあそのようなことも無駄にはなるまい・・・とはわかるのだが、問題はそうやっている内に、あの場合はこうで、この場合はああで、という指示がひたすら増加の一途をたどることである。
「この皿洗い機でペットは洗わないで下さい」との注意書き同様、何でも念のために書いておきたくなる心理はわかるが、ただ、試験監督をする立場としては、基本的には頭で覚えていられる程度の要領にしておいてもらわなければ、こんなやたらと詳しい膨大なマニュアルは、何一つ実際の役に立たない。

私はこれでも受験生にとって、よき試験監督官でありたいと願っていた時期もあったから、監督官になった時は試験前日までに何度かマニュアルを読み、だいたいのことは覚えておくようにしていた。遠い記憶では最初のころのマニュアルではそれは何とか可能だったと思う。
もう何年前のことか忘れたが、かなり前のある年、そうやってマニュアルを読んでいた私は途方に暮れて絶望し、次の日、何人かの同僚に「ねえ、マニュアル覚えた? 詳しすぎて、とても頭に入らない」と訴えた。したらば、その何人かはすべて、あきれたように、「あんなもの、覚えられるわけないから、読んでもいないよ」と答えた。
私は安心した一方、めちゃくちゃ不安になった。そんなことで大丈夫なのだろうか。
実際、大変優秀でしっかり者の、ある若い女性の先生と二人で監督していたとき、気分が悪いとか言って中途で出ていいかという学生がいたとき、私も彼女も、「ちょっと待って下さいね」と言って、あわただしくマニュアルをめくるしかなかった。どちらも落ちついていたから、該当するらしい個所をすぐに見つけて、それに基づいて判断するのも早かったが、学生にしてみればそれはかなり不安を招く対応だったかもしれない。
だが私は、そのときまったくあわてなかったし、その後もまったく気にしなかった。そうするしかないとわかっていたからだ。あの膨大で詳細なマニュアルの中身を事例に応じて使おうと思ったら、受験生たちにどんなに気の毒でも、その場でばさばさ冊子をめくって該当個所をさがして確認する以外に、どんな方法もないのだと。

実際、受験会場では突発的に予想もしない何が起こるか、知れたものではない。
ある年の最後の試験科目で、これで終わりとちょっとほっとしながら教室に入ったとたん、私ともう一人の若い男性の監督官は思わず立ちどまった。本部からかかえてきた試験問題の冊子の数に比べて、着席している受験生の数が明らかにずっと多い。
「これは足りませんね」と二人でつぶやいた直後、私は「ここにいて下さい」と彼にたのんで、教室を飛び出し、本部に向って全力疾走した。建物の外に出たとたん、あちこちの教室から同じように監督官の教員たちが全速力でかけ出して来るのが目に入った。いつも陽気な同僚の一人が、私の数歩前で立ち止まってふり返って、にこっと笑ってすぐまた前を向いて走って行った。
結局、最後の時間だったので、その科目を受けてみようと考えた受験生が予想以上に多かったということらしい。戦場のようにごったがえす本部で、予備の試験問題を受け取った私は再び走って教室に戻り、心配して教室の外に出てきていた相棒を「戻って戻って」と中に押し戻し、無事に開始のチャイム前に問題配布をすませた。

あの時、どの教室でも多分、マニュアルを開いて見た監督官はいなかっただろう。チャイムが鳴る前に本部へ行って試験問題を確保して来るという単純でわかりやすい判断を、どの教室でも皆がした。
マニュアルとはそのように、大きな流れにそって自然に皆が動けるように工夫したものでなければならない。たとえば試験場の静寂を最優先するには、判断に苦しむ細かい区分などしないで、廊下に待機している監督官に判断をまかせるといったように、できるだけ単純で自然な対応を最低限のことばで書いておくべきだ。
肥大化する一方のマニュアルに、そんな配慮や工夫はまったく見られない。おそらく受験生や保護者から、当日の状況について質問や疑問や抗議が出たら、ただもう、その事柄ひとつに対してひとつの対応を書き加えて現場に下ろしているだけだ。実行できるか守れるかなど、初めから考えていないとしか思えない。何か事故が起こったとき、「マニュアルには書いてありました」と弁解して、それが実行できなかった現場に責任を負わせようとする自己保身のための書き加えにしか見えない。

覚えられないということは、とっさに使えないということで、だから当然誰も読まない。それでは困るということか、以前にはなかった全学の説明会というものが行なわれるようになって、春休みの貴重な一日を使って、全員参加を義務づけて、大教室でそのマニュアル冊子を担当者が読み上げ、質問を受けつける。しかし、それでマニュアルの使いにくさが改善されるわけもなく、理解が深まったとも思えない。結局はこれもまた、「説明会はちゃんとしました」と、トラブルが生じたら、当人の責任ということにしようとする姿勢から生まれたものではないのか。
しかも、いつからか、大学独自の副読本のような冊子も作られて、ますます緻密な分類や説明が加わってきた。くり返すが、現場の監督官が頭で覚えていられる程度の量でない限り、いくら緻密で詳細なものを作ってもおそらくほとんど役にはたつまい。

やはり若い男性の先生と二人で監督にあたっていたとき、最初の日の最初の時間、つまり最も受験生が緊張するとき、開始直前の静まり返った教室で暖房の調子やブラインドの様子を点検していると、ひとりの学生が手を上げて、「蠅が・・・」と訴えた。見上げると、たしかにその学生の頭上の天井近くに一匹の蠅が飛びまわっていて、静かな中にその羽音がかすかに響いている。
それが気を散るということなのだとはわかったが、さすがにそんな時の対応はマニュアルになかったはずだし、さてどうしたものかと私が上を見上げて考えていると、超生真面目で知られたその若い先生が「本部に行って聞いてきましょうか」と言った。
そうですねと私がうなずくと、彼は一目散にかけ出して行き、残った私はそれから数分、窓を開けてブラインドを上げて、蠅を追いだそうと試みた。しかし蠅は出て行ってくれず、回りの受験生たちがそれを気にして明らかに迷惑そうにしはじめて、そうこうするうち、相棒の先生は息をきらしてかけ戻ってきて、「あの、特にそういう場合の指示はないそうです」と報告するのだった。
私はあきらめてブラインドと窓を閉め、「ごめんなさい、うまく追い出せないから、ちょっとこのままでいいですか」と手を挙げた受験生に了解を求めた。彼もうなずいてくれたので、試験はそのまま開始され、蠅もその後はおとなしくしていてくれたので、以後は特に問題なかった。
私はきっと来年からのマニュアルには「蠅が室内を飛び回っているときは」という一文が付加されるだろうと、なかばやけっぱちで期待していたのだが、さすがにそういうことはなかった。

ただ、それからまた十年近くたった現在では、試験時間中に何か不測の事態が起こったときは、報告書を出すことになっている。校舎の裏が山になっている私のいた大学では、数年前にイノシシが現れて面接試験中の窓の外で猟友会の人たちに撃ち殺されるという、蠅どころではないハプニングがあって、監督官だった同僚は、ぼやきながらもどこか楽しげに詳細な報告書をしたためていた。これも当然「窓の外でイノシシが撃ち殺されたときは」という注意書きがマニュアルに増えることはなかった。
ばかばかしいと言われるかもしれないが、蠅やイノシシへの対応がマニュアルに出現するのではないかと私がつい期待するのは、どんどん増えて行く注意事項の数々が、結局はそれらと五十歩百歩の、いちいち書き記していても実際の役には立たないものばかりにしか思えないからだ。本当に受験生のことを考え、快適な受験環境を確保しようと思ったら、これも最初に書いたことに重なるが、少々の混乱や不公平には目をつぶって、絶対に守られなければならないことだけに集中し、連絡体制その他のシステムの改善によって、解決できる方法を全体的な視野のもとに検討すべきだ。覚えられるわけもない、細かい注意をいたずらに増やして、守れるわけもない無視するしかないマニュアルを現場に下ろして、その結果事故が起こったら、マニュアルを守れなかった担当者の責任にするのでは、あまりにも情けない。そして、このような精神は、どうしても連想せざるを得ないのだが、たとえば原発事故防止への対応などをはじめとした、さまざまな場合の図式と、怖いほど似ているように見えてしかたがない。

Twitter Facebook
カツジ猫