映画「ナチス 偽りの楽園」3-映画「ナチス 偽りの楽園」と「風立ちぬ」感想

◇映画のわりと最初の方で、このクルト・ゲロンの顔が大写しになる。この人、俳優でもあるんで舞台写真とかがいっぱいあったんだろうけど、ものすごくピントが合った真正面からの写真で、でかい目の、太ってがっちりした、一度見たら忘れられないほどの迫力でせまってくる顔だ。迫力ありすぎで、何かちょっと笑ってしまう。恐い顔のようでいて、妙な愛嬌がある。
あ、でも一度見たら忘れないっつったけど、実は私この人を映画で見て忘れてる。それも超有名な、かのマレーネ・ディートリッヒ主演の「嘆きの天使」で、サーカス団の団長というけっこう重要な役をしてたんである、この人。

◇さて、この映画なんだけど、私、若い同僚に見せるとき、「昔の大女優たちがいっぱい出て来て、そのオーラっちゅうか、かもしだす雰囲気ってのがもうすごいよ、絶対に一見の価値ありだよ」と言ってすすめた。
この映画のDVDのジャケットやポスターは、その女優の一人の若いときの顔を使ってて、彼女のなまめかしい美しい目がたれかかった髪の間からこちらを見ている。で、ネットでの感想なんか見ると、ちょっとこのポスターは内容にそぐわないんじゃないかみたいな意見もあったけど、私はこれはすごく正しいポスターだと思う。
ある意味、この映画で一番強烈に残ってくる印象って、それなのだ。ナチスの悪や戦争の悲惨ではなく、その時代を生きた被害者だか加害者だかわからないたくさんの人たちの、どこか狂気もまじる華やかな病的な美しさなのだ。それが、この映画の一番すごいところで、それは結果として、ナチスや戦争の恐怖をもぞくぞくするような魅力とともに伝えて来る…「風立ちぬ」と同じように。

◇クルト・ゲロンは地方出身で、ナチスが台頭しつつある時代の、爛熟した都のベルリンに出て来た。だからこれって、まさにあのライザ・ミネリの映画「キャバレー」の世界なのだよなあ。その熱気と狂騒の中で彼が次第にコメディアンとして才能を認められ、舞台や映画で頭角を現してゆく過程が紹介される。努力と挑戦と競争と成功の日々。彼は有名になり豊かになり、ぜいたくな暮らしを楽しむ。

そんな中、次第にナチスが勢力を増し、海外に亡命する人も増えてくる。ゲロンもおそらく迷っていたのだろうが、彼なりに映画の撮影やさまざまの模索や挑戦、成功や失敗を仕事の上でやっていたから、それなりに充実もしていたから、結局すべてを捨てて逃げ出すチャンスを失う。何度も機会はあったし、自分の友人(のちにハリウッドで大活躍する人たちもいる)の亡命に金を貸したりして尽力したりしていたにもかかわらず。
そして、ある映画の監督として撮影を行っている最中にナチスが来て、撮影は中止され、彼は業界から追放され、やがて他のユダヤ人とともに逮捕され収容所に送られる。

◇このあたりの描写は、見ていて胸が苦しい。じわじわと束縛が強まり、弾圧や差別が激しくなる中で、抵抗も逃亡もするきっかけをつかめないまま、「いずれこんなことは終わる」と漠然と信じて自分の仕事と生活に没頭している人々の姿が、今の私たちに重なってくる。それも「風立ちぬ」と、よく似ている。

その間のゲロンの思い出を語る人々の中には、仕事仲間の男性もいるが、当時の美人女優が何人もいる。この人たちは皆もうきっと70や80代なのだろうが、そして実際年老いてもいるが、そのまったく現役を下りてないような妖しい美しさに息をのんでしまう。優雅に装い、みごとに化粧し、真っ赤な口紅が少しも違和感がない。表情もしぐさもすべて、女優!である。すごい。
彼女らのゲロンや時代を語る思い出話は、もちろん内容も生き生きと面白いのだが、それ以上に、この人たちが語ることで、思い出と過去には、めくるめくような熱と香りと輝きがよみがえって来る。その中にゲロンという人の姿も、また鮮やかに浮かび上がってくるようだ。

彼は、贅沢もしたし失敗もした。だが、まぎれもないコメディアンとしての才能があり、やりてで抜け目ないところもあったろうが、陽気で楽しく、憎めない愛すべき性格だったようである。
収容所に行ってからも、彼は落ちこんでもいたようだが、人に親切で、何より自分の仕事をした。それは他の俳優や芸能人もそうだった。彼らは舞台に立ち、ショーをして、収容所の囚人や看守たちを楽しませたのだ。強制されていやいやではない。心から、熱心に。

Twitter Facebook
カツジ猫