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「湖よ」のネタばらし(水の王子覚書21)

というか、制作過程みたいなもん(笑)。
 「村に」以後、ナカツクニの村を舞台にしたシリーズをいくつか書いていて、いつからか、この村の滅亡と登場人物たちの最期を書きたい誘惑にかられはじめて困りました。
 何かもう、涙なしでは読めないような、各自の死に方、やりとり、情景が次から次へと浮かんで来て、楽しくってしかたがない(笑)。

こんなの絶対書かんぞーと決意はしているのですが、それでも気をゆるめるとそんな場面や会話ばっかり目に浮かび耳に聞こえ、あー、こんなんがたまったら、絶対いつか作品にしてしまうやんという恐怖におののく毎日でした。
 いやー、人間って、こういう悲劇や破滅を空想するのが好きなんですねー、一般化してはいかんけど。

そうこうしつつ、ちゃんとまっとうに健全な話もいくつか書いて、どうやらめでたく五十年がかりのシリーズの大団円もそれなりにまとまり、めでたしめでたし老後の課題がひとつかたづいたわいと胸をなでおろし、せっかくだから年金生活者にあるまじき暴挙で、これ全部自費出版しちゃると決意しました。いやまあ、どこか奇特な出版社に売り込むことも考えないではなかったのですが、時間と手間が惜しいのと、今パソコンを管理してくれている若い方がそりゃまあとても有能で、この方のセンスと技術を使わしていただいて、Amazonで好きなかたちの本を作るという誘惑に、どうしても逆らえなかった。

美容師さんとかかかりつけのお医者さんとか、このパソコンの担当者とか、猫のお医者さんとか、心から信頼してまかせられる方々に囲まれている自分の僥倖は本当に財産だと思いつつ、だから大事にきちんと使いたくもある。

で、「村に」程度の厚さで数冊の本にしようと計画したのですが、そうすると、まとめた時に、ちょっと薄くなる分量のものが出て来て、大胆不敵にも流れをぶったぎる危険を冒して、ここに短編をいくつか入れ込もうと思いました。

名詞と助詞のみのタイトルは、最初からのお遊びで、比べるのも恐れ多いですが小野不由美さん「十二国記」のタイトルなみに、絶対読者は覚えにくいだろうなとわかってはいたのですが、ついやめられず、思いついたタイトルは中身が決まらないままメモしていて、たまたま「湖よ」「川も」の二つを使わないまま残していたので、これを使い切ってしまえばちょうどいいかという気になった。

そして「湖よ」を書くときに、せっかくだから、あの、ともすれば現れる「滅亡する村」の話を、ここに使って凍結して葬って、もう二度と浮かび上がらないようにしてやることにしました。
 その結果はごらんのとおりですが、ちょっと江戸時代の黄表紙や洒落本風に、最初の雰囲気から妙な方向にスライドさせてまとめるという点では、面白いものになったと思っていて、作者としては思い残すところはありません。

とは言え、流れるままに行き当たりばったりに書いて行ったので、どう着地するのかも全然考えていなくて、最後のまとめは、ひょんなことからふっと思いついたエピソードです。

私にはどちらもそれなりに大変私を愛してくれた母と叔母とがおりまして、この二人はしかしながら仲が悪いとかいうことを通り越して性格も価値観も美意識も丸反対で、しかもどっちも私が相手に似ていると感じて、ぼやいたりあきらめたりしていました。叔母は裕福な女医で母はとことん無名な人でしたが、どちらもまったくそんなことに優越感も劣等感も持っていなかったのがすごいです。

この叔母が夫の叔父とともに仲よくゴルフにはまっていて、ある時コースでキャディーさんが忙しかったかいなかったので、叔母は親切心でカートを自分で押して歩いていたら、坂道でカートがすべり出し、叔母はそのままいっしょに落っこちて足を折り、入院して、私が見舞いに行ったら、優雅な個室で豪勢な療養をしていて、まあ後遺症も残らず回復してめでたかったのですが。

何かと叔母をバカにしていた母は、仔細を聞いて、「何でカートから手を離さなかったのだ」と、その決断力、判断力の欠如をしっかりバカにしていました。叔母の軟弱さと母の豪胆さは私も常日頃見ていたので、何となく母に同調していました。

したらば、若い日の叔母を知っていて、叔母のファンでもあった、実家の近所の親しくしていた農家のおじいさんが、私と母がその話をして叔母を笑うと、にこりともせず、「ようあるんじゃ」と叔母を弁護しました。「農家で畑仕事をしていて、いろんな機械を押している時、それが暴走しだしたら、まず手を離せる人はいない。皆、しがみついて、いっしょに落ちて大けがをする」んだそうです。

母はどうだったか知りませんが私はそんなものかと、その話がいたく心に残りました。もう何十年も前のこと、それっきりの会話でしたけど。

「湖よ」を書くにあたって、この「手を離せない症候群」には絶対何か名前があって、ネットでは常識なんだろうと念のために検索したら、私の未熟さか、まったく見つかりませんでした。ひょっとして、あまり知られていないんだろうか。もしご存じの方がいらしたら、どうぞご教示下さいませ。

それはともかく、おかげで案外テーマにも沿ったラストになり、亡き叔母や母や、農家のおじいさんの思い出もひそませられて、どうやら無事に「滅びる村」の幻想からは解放されそうです。登場人物たちも、皆それなりにしっかりがんばってくれていますし。

せっかくですから、若き日の母と叔母とをご紹介。写真の右奥が母、手前が叔母。まん中は祖父で左の二人は私と従姉。ひゃあ、もう皆、故人じゃないか、私以外は。

こちらはおまけで、従姉と叔母。

更におまけで、母と猫。

さて、後は「川も」がどううまく仕上げられるかですねえ。ぐぬぬぬ。

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カツジ猫