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ある確信

「グラディエーター」シリーズの挿絵イラストを、またいくつか紹介します。上から「マルクス君の夏休み」「呪文」「狼と将軍」「雨の歌」です。

「グラ」シリーズの挿絵

もとの映画をごらんになった方ならおわかりのように、「水の王子」シリーズと比べるとかなり暗くて重いとはいえ、私のイラストは映画と比べると、お話にならないほど、明るくて甘くてかわいいです(笑)。

イラストだけだはありません。かれこれ25年前(つまり四半世紀かよ!)daifukuさんのファンサイトで連載させていただいてた頃から、多分私の書く「グラディエーター」ものは、主人公が弱すぎる、特に敵役との関係が甘すぎるときっと不満を持たれていただろうと思います。

私自身、この敵役は演じた俳優の名演もともなって、決して嫌いではなく、むしろ主役同様に好きなぐらいではありました。ただ当時の私のサイトの読者の中には、この敵役のファンが複数いて、ぶっちゃけ、その人たちの非常識で攻撃的な発言は、かなり私を悩ませていました。おそらく自分自身ではまったくそれに気づいてないこと、私のサイトや私自身や私の作品をどうやら大変愛していると信じているらしいことが、いかにもこの敵役そっくりで、かなり笑いもしましたが、だんだんそれ以上に、その無神経や傲慢さや自己憐憫に、こっちも嫌悪や憎悪を感じるようになり、まあそれはどうでもいいのですけれど(笑)、それが敵役そのものへの憎しみになり、作品に影響を及ぼしそうなのが私にとっては最大の危機でした。公開しつつの連載は、これが恐いです。

現実のその人たちなど、はっきり言ってどうでもいいのですけれど、その人たちと明らかに共通するこの敵役の醜さや汚らわしさを、自分が憎んでしまうのが心配でした。もともとの映画が描いた、この人物の魅力を私は否定したくなく、それをどこかで受け入れてもいる存在として主役たちを描きたかった。それをどんなにささやかでも、邪魔されたくありませんでした。

結論から言えばそれは成功して、私が思った通りの作品が書けたのですが、改めて読み直してみても、随所に、これはいくら何でも甘すぎないかという部分はあるし、特に敵役への理解と同情、そして愛については、それが作品の骨格さえもなしているのに、あらためてわずかな不安も持ちました。

しかし先日(二〇二四年八月)の長崎の原爆忌の祭典で、長崎市長が決然と述べた戦争への否定と、話し合いによる平和への希求を聞いて、あらためて私はこれが人類の未来への、めざすべき唯一の選択肢と確認し確信しました。
 私の人生も日常もすべて、その基本の上にあり、そのような世界の実現のために自分は生きてきたと理解し、それを肯定しました。公も私もありません。仕事も趣味もありません。人間として命として私はそれを守り、それをおびやかすものと戦ってきました。

それは、あの敵役のような存在を空想でも現実でも愛し、そのような存在とも共存の道を話し合う可能性を探ることともつながるのです。
 まさに、その可能性にかけて、私は残酷きわまる賢いようで愚鈍、強いようで弱い、あの敵役と主人公の理解と和解のありようを、作品を通して探り続けたのです。

数年前から私は体調や老化も考えて、残された時間は「私にしかできない戦い」に制限することを決意し、社会的政治的活動に参加せず、研究と創作に打ち込む道を選んでいます。
 それが傲慢でないかまちがっていないかとの逡巡も常にあります。
 しかし、「グラディエーター」関係の自分の小説をあらためて読み、最近完成した「水の王子」シリーズを読むにつけて、これはすべて、私にしか出来ない「平和と愛をめざし、戦いを否定する」作業の一環であることを、理解しました。

「水の王子」でも、私は戦いやエリートを描きつつ、悪の世界に利用される最低限のマガツミをとことん描かないではいられませんでした。そして、それ以上に正義の世界タカマガハラの完璧ですぐれた戦士たちへの疑問や否定も、気づかないままちゃんと書いていました(笑)。

やんちゃないたずら娘のミズハは、かつて草原の盗賊で殺人と暴力のすべてをつくした若者タカヒコネに向かって、「おじさんの方がタカマガハラよりもまし」という爆弾発言をします。当のタカヒコネがそれで天地がひっくりかえった衝撃を受け「タカマガハラの戦士が、ただの人殺しで、おれ以下だなんていうことになったら、何を信じていいかわからない」と落ちこんでしまいます。申し上げておきますが、これはハリポタや指輪物語も書いていない、正悪二元論の否定です(笑)。

二つのシリーズを本としての完成形で世間に渡せるか、それまで私が生きてられるかどうかは、このようなご時世でもあり、予断を許しません。
 しかし、どちらも原稿はすでに、このホームページでも読むことができますし、研究の方面での現状でのささやかな成果とともに、この創作方面でも基本的には私はある程度のことを完成させているかもしれません。
 そのことに深く感謝するとともに、最後の仕上げを急ぎます。

水の王子・短編集「渚なら」12

水の王子・短編集「渚なら」14

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カツジ猫