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後手後手

あ、高校野球の広陵高校は出場辞退してしまったのか。いろいろ考えて、ちゃんと書こうと思っていたのに、最近何かと展開が早くて、こちらの反応が遅れるなあ。まあいいけどさ。

今回の野球部でのリンチだかいじめだか指導だか、喫煙や飲酒や暴力沙汰であっという間に連帯責任で出場停止などの処分になる印象があった、これまでの例に比べて、いやにもやもや、すべてがはっきりしないから、横目で見てても、とても変な気がして落ち着かなかった。熱波の中での試合を見るのがつらくて、最近はずっと見ていなかったこともあって、わけがわからず、とにかく、とっとと、すべてをはっきりさせろよと、イライラしていた。

そうしたらネットで、どうやらただの殴打や暴力沙汰だけではなく、フェラチオまがいかそのものの性暴力が混じっていたらしいという情報が流れて、ちょっと暗澹とした。

私はこういうときに、被害者をかばうからという口実で、事実を隠すのは実に嫌いだ。他のあらゆる犯罪と同様に、レイプなどの性暴力で恥じるべきは加害者で、被害者ではない。しかし現実には、男女の別なく、被害者は恥じて傷つき、人に知られたくないと思う。そのことに一番むかつくが、実際そうなのは無視できないし、かの伊藤詩織さんだって、レイプされた直後病院にも警察にも飛びこまず家に帰ってシャワー浴びたということだし、あんなに強くて優秀な人でもとっさにそういう、診断書も取らずに証拠を洗い流すほど間抜けなことするかと唖然とするけど、思えば私も子どものころに何度痴漢にあっても親にも誰にも言わなかったし、それは我慢するとか隠すとかいう意識でさえないほど、まったく思いつけないことだったから、唖然としてる場合でもない。

最近では男性も、この種の被害にあうことが多い。昔からあったけれど表に出なかっただけかもしれない。女性にとってこんな被害はありふれているのもしゃくにさわるが、その分知られる抵抗は男性よりもある意味少なく、というかそういう被害にあった時の男性の孤独や屈辱は女性以上に多分大きい。

ジャニーズの事件の被害者たちが何十年もそれを口にできなかったし、きっと考えることもできなかったのは当然だし、それをおかしいと批判する人の脳みそや心臓はおがくずで出来てるんだろうと私は思う。

そういうことを考えるとき、今回の事件の被害者が全貌や詳細を知られたくないと感じるなら、それは当然だし、だったらすべてを明らかにしろと、そう簡単に要求もできない。

昨日だったかテレビのバラエティーで往年のプロ野球選手たちが、監督やコーチに殴られた話を披露して皆で爆笑していて、まあそれもどうかとは思うが、今のところそれはある程度普通に冗談や思い出にできる状況もある。(昨日のその番組では、今の子どもたちの辛辣な批評のコメントを挿入することで、批判や否定をうまく加えていた。)ひと昔前なら、女性へのレイプも多分同じようなノリで笑い話にできたかもしれない。もう少し未来には殴られた思い出とともにフェラチオなどの行為も男性同士の思い出で笑いあえるのかもしれない。そのへんのことはわからない。

今回の事件に関してとりあえず言うと、私は加害者の生徒たちを責める気はあまりしない。そんな土壌と伝統と雰囲気を作り上げて来た周囲の大人たちの罪でしかない。その根は深く、何がどう悪かったか整理も分析もできてないから(まあ長年培ったものを、そう簡単に短期間で整理分析できるはずもない)、対応も処分もとことん誤りまくったのも、理解だけはよくできる。

私は中井正広氏をちっとも好きではないが、だからこそ冷静に言えると思うが、あの間抜けなレイプ事件について、もちろん一番の被害者は相手の女性だが、そこまで彼を間抜けにさせた周囲の責任が一番重いと感じている。今回もそれと同じだ。そして、根っこは同じだろうが、芸能関係でもスポーツ関係でも、人権とか指導とか上下関係とか、そういうことについて、いろいろじわじわ過渡期や変換期が訪れて来ていて、それにどう対応するかしないかで、二極化のような事態もまた生まれていると感じる。

実は、こんな方面の深みにはまってどうすんのと自分を呪いつつ、最近プロ野球というかホークスに関する本を二冊買ってしまった。感想はまたゆっくり書くが(ほんとか?)、読んでいて、あらためて私がホークスというチームに関心を持つのは、地元で情報が多く入るのもあるが、それより、上記のような状況の中で、新しい組織や指導のあり方、ひいては社会や政治を考えるときに、いろいろ参考になるからだと気がついた。

喜瀬雅則氏は、綿密な調査や、人物像の描写や、緩急の構成が巧みなので、ホークス以外について書いた他の本も読んで見ようかと、恐ろしいことを考えたりしている。

4軍制について書かれた本の方では、まさに上記で私が述べた、軍隊式の上意下達の指導ではついて来ない最近の若者たちをどう指導して一流選手にしていくかという指導者たちの悩みや工夫が、いじらしいほどの繊細さと、身ぶるいするほどのスケールの大きさで綴られている。詳しくはまた書くが、水谷瞬や、釜元豪、石塚綜一郎について、多くのページを割いており、彼らの運命を通して、チームや球界の事情がよく伝わる。

小久保、城島、王などの指導者の群像もまた多彩で魅力的だ。私はプロ野球を見始めてから数年なので、斉藤和巳の全盛期を知らない。だが、華やかな天才で、近づくのもためらわれる厳しいオーラを放っていた彼が、指導者として、今の若者ととけあおう触れ合おうやる気にさせようと心を砕き、読んでもらえるかもわからないインスタに話題を投稿しているという記事など読むと、失礼すぎながら、切ないほどにかわいらしくて、どうしようもない(笑)。

彼らの柔軟さ、けなげさ、人間としてのいちずさ。広陵高校の部員たちを教育しようとした人々が作り上げてしまった闇を生み出すものの数々と、彼らは向き合い、新しい方向を模索しつづけている。広陵高校のスキャンダルに腐っている人はぜひ、「ソフトバンクホークス4軍制プロジェクトの正体」を読んでみてはしい。

以下は、喜瀬氏が書いた「ホークス3軍はなぜ成功したのか?」を読んだ時の私の感想など。この本では、むしろ新世代のちょっと得体が知れない理解しにくいと私が感じた周東佑京選手が、今は甲斐拓也選手(移籍したけど)や牧原大成選手と同じ指導層というか共通の存在になって若手を導く立場になっているのも、時の流れをひしひしと感じる。

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野球と国文学

 

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