1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 協力者列伝
  4. 2023年度前期集中講義用掲示板(2)

2023年度前期集中講義用掲示板(2)

長くなったので(3)を作りました。まだ作成途中ですが、ごらんになるなら、どうぞ。

以後の新しい記事は(3)に書きますが、一応、(1)と、この(2)も見ておいて下さい。

20日の予定

第七回 「菅原伝授手習鑑」の説明(あらすじなど)

   47~51ページ、朗読

   54~56ページ、朗読

 二つの問題点
    人間的とはどういうことか
    犠牲を美談にしてはならない

 

第八回 作品紹介(絵本、浄瑠璃など)

  67~71ページ、朗読

  歴史上のぬれぎぬ

 二つの問題点その他について、レポートを書く

参考資料など

「三婆」(配布資料)

「歌舞伎演目案内(菅原伝授手習鑑)」(配布資料)

こちらはかなり詳しいあらすじ。

芥川龍之介「杜子春」全文

前回のレポートから(ますます簡単になってしまってすみません)

差別や人権問題は複雑で、いろいろ考えていかないとならない。

ぬれぎぬは、人の心も変えてしまう。

援助者がいないことは孤独に立ち向かう(進撃の巨人のように)悲劇性を増す。

アニメやゲーム、ライトノベルにもぬれぎぬ設定は多い。

「予期せぬぬれぎぬ」は「死」と結びつきやすい?

突然のぬれぎぬは、驚きと諦めを生む。

ぬれぎぬを証明できないのはプライドの問題も大きい。

かやが勘平を責める場面は悲しかった。

ぬれぎぬは読む人に怒りとともに楽しみも生む。

 

13日の予定

第五回 雅俗について(配布資料)

  歌舞伎と浄瑠璃について説明

第六回 第一章の作品要約(ベン・ハー、クローディアスの日記、モンテ・クリスト伯、オセローなど)

「オセロー」朗読(二人一組で)

「仮名手本忠臣蔵」についての説明。 朗読も。 おかやと勘平のせりふのみ。ト書きと浄瑠璃の部分は私(板坂)が読みます。(同上)

「食事の前には読めない本」紹介

「協力者」の存在(「軍記物から江戸時代へ」も参照)

前回レポートのまとめ

今回はテキストの「あとがき」の私の「困った癖」についての感想だったので、皆さんの回答も複雑微妙。言いかえれば、よく考えておられた。なので、適当に項目別に印象をまとめる。

現実の問題としては理解しにくいが文学として考えるとわかる。「半沢直樹」もその一例。ただ不幸な人が立派と感じるのは難しい。

 

孤独や迫害、不遇の人が何もしていないのにそうなる可能性は低いと思う。やはり理由があるのではないだろうか。

 

先生の感覚に近いものが自分のなかにもある。

 

他人を批判するとき、状況によっては自分もそうなるという視点を持っておきたい。

 

一匹狼が好きだし、不幸な人はカッコいいと思う。ただ正しいことをして迫害されるのは今では少なくなっていて、それは科学の役割が大きいのではないか。

 

正しいものは迫害される、という感覚は自分にもある。ネットが普及した現代、成功者が足を引っ張られ、努力が認められないことも多いと感じる。

 

小説ではなく体験から、不幸や悪こそ正義だという感覚から抜けられない。何とかしないと人生を壊しそうで心配だ。

「八犬伝」について

「八犬伝」は以前に読んだが内容を覚えていなかったので、また読み直したい。

 

「八犬伝」の玉の文字については知らなかったから面白かった。

 

おかるのせりふについての意見もいろいろでした。

理屈好きというだけでなく、大切な人の死では本当の心情とちがうことを口走るものではないか。

 

おかるのせりふはおかしくない。若者の死は悲劇だ。自分も「ONEPIECE」のエースの死は衝撃だった。

 

冷たいとか残酷とかいう印象は時代や地域で状況や事情がちがえば異なるだろう。おかるのせりふもそうではないか。

 

すみません。めちゃくちゃ意訳してしまったまとめなので、どれが自分の意見かわからない水準で「こんなこと言ってない」と思う人もいるかもしれませんが、お許しを。ただ、これだけいろんな感覚や考え方があることは、何となく実感していただければと思います。

「浅葱色(浅黄色)」について

いろいろな説がありますが、一応、色を見ておいて下さい。

浅葱色(あさぎいろ)

早野勘平についての記事は、こちら(サイト「歌舞伎は格好の日本語教材教材」)こちら(おくだ健太郎さんのサイト)のイラストのイノシシも見て下さい。

 

画像も。こちらこちらも。浅黄色を着ていない時もあります。これはイラスト。

「ヴェニスの商人」シャイロックの名セリフについての記事。

こちらです。セリフも抜粋しておきます。

シャイロック  おれはユダヤ人だ。ユダヤ人には目がないかよ、ユダヤ人には手がないかよ、五臓六腑、四肢五体がないかよ、感覚、感情、情熱、それもないかよ。キリスト教徒とおなじものを食ってるんだよ、おなじ武器で負傷もすれば、おなじ病気にもかかってる。おなじ治療を受けて、治しているじゃないか、おなじ冬の寒さや、夏の暑さを感じないとでもいうのかい? ユダヤ人は針で刺されても血が出ないとでも? くすぐられても笑わないとでも? 毒を飲まされても死なないとでも? で、あんたらにひどい目に遭わされても、復讐しちゃいけないとでもいうのかい?

こちらは別の翻訳いろいろ。

ユダヤ人には目がないのか?ユダヤ人には手がないのか?鼻や耳や口はないのか?いいや、五体もあれば、感覚もある、好き嫌いもあれば、情欲もある。キリスト教徒と同じものを食い、同じ刃物で傷つき、同じ病気にかかり、同じ薬で治る。ユダヤ人でも冬は寒いし、夏は暑い。

 

 

やつは俺の民族をさげすみ、俺の商売に
横槍を入れ、俺の友だちに水をさし、
敵を焚き付けた──理由はなんだ?
俺がユダヤ人だからだ。
ユダヤ人には目がないか?
ユダヤ人には手がないか、五臓六腑、
四肢五体、感覚、感情、喜怒哀楽が
ないのか?
    

 

こちらは、最後に動画も入っています。わりと新しい映画の名場面。

Hath not a Jew eyes, ユダヤ人には目はないのか?
 hath not a Jew hands, 手はついていないのか? organs, dimensions, senses, affections, passions? 内臓や体つき、感覚、愛情、感情はないのか?
fed with the same food, hurt with the same weapons, subject to the same diseases, healed by the same means, warmed and cooled by the same winter and summer, as a Christian is? 奴らと同じ食事を食べて、同じ武器で傷つき、同じ病にかからないのか?同じ治療法で癒されて、同じ夏冬の暑さや寒さで苦しまないのか、キリスト教徒のように?
If you prick us, do we not bleed? if you tickle us, do we not laugh? if you poison us, do we not die? and if you wrong us, shall we not revenge? 針でついたら血が出ないのか?くすぐられたら笑わないのか?毒を盛られたら死なないのか?ひどい目にあわされたら復讐しないのか?
If we are like you in the rest, we will resemble you in that. 我々ユダヤ人がお前さん方とそんな点で同じじゃあないのか?

アリバイ・アイクについての受講生のレポート

 「大変良く気持ちがわかる」人は数名。
  「評価されたくない心理」はほぼ全員が理解できると述べる。

 各自のレポートから適当に抜粋。本当に適当で、もっといいこともいろいろ書いて下さっているのですが。

 「評価されたくない心理」というのは、私はとてもよく共感できました。

 私としては自分のためにやっているだけなのに、それを善行、えらいと評価されるのは嫌だと感じてしまうことが多い。

 自分のことを自分よりも理解される(されようとする)ことに恐怖を感じるのだ。

 「理解されたい」と思う一方、「理解されたくない」と私もずっと思っている。

 この場面を見て思い出したのは『君の膵臓を食べたい』という小説の場面だ。

 自身の正直な部分を見せるというのは非常に困難なことであり、多少の嘘で固められた思想や趣味といったものを非難されることの方がはるかに楽と言えるだろう。

このような心理作用は友人関係にも影響を与えるだろう。教壇に立ったとき、生徒が自分をどう思っているのか意識してみたい。

「能ある鷹は爪を隠す」とは言うが、アイクは能力を他人がすでに見出してしまっているため、頑なに評価されたくないと思う必要はないのではないかと思った。

うまくいった時に弁解する理由を私なりに考えてみると、照れ隠しか謙遜かのどちらかだろうか。

ちょっとしたことで嘘をついて、その嘘がバレないように新しく嘘をついて、だんだん苦しい言い訳になっていくという経験はしたことがあります。

 

「アイク雪冤」

なお、アイクのために弁解しておくと(以下ネタばれ)、彼は後半で監督の姪だったかの素敵な女性と恋仲になり、例によってチームメートにからかわれ、「あー、別に好きじゃないけど、あっちから迫られて」みたいな弁解をしてしまって(まあ、これはよくわかるよね)、彼女にそれを聞かれて絶交され、がっくり落ち込んでスランプのどん底に落ち、この時はどんなに成績が悪くてもまるで弁解の一言も口にしなかったと言うから、常時とことん弁解するというわけでもないのは、わかってやってほしい。反省し責任を感じたチームメイトたちの尽力によって、彼女に許してもらえそうになったとき、アイクはようやくもとのように、他のことでだが、しょうもない言い訳をする。これは彼の復調を示しているから、監督も友人もさぞかし安心したことだろう。

江戸の随筆から

徳永信之「寄生木草紙」の一部の紹介。江戸の人々の論理好きの一面がよくわかる。
 江戸の随筆は「日本随筆大成」などで読める。その数は膨大だが、「ぬれぎぬ」「理屈好き」のどちらも、きっと宝の山ぐらい例がごろごろ見つかるはず。探して見て下さい。期待してます。

私のアリバイ・アイク度

受講生の皆さんのレポートに刺激されて、私の雑文も二つ紹介しておきますね。時間もないでしょうから「24」の最後の「自分隠しのはじまり」だけでも見て下さい。いや別に読まなくってもいいですけど(笑)。

ちなみにこんな私ですから、皆さんの思想や政治的見解や趣味や推しが私とちがっても真反対でも、そんなのはまったく気にはなりません。レポートでも何でも、そんなことで評価を左右は絶対にしません。そういうことで私に合わせようとか気をつかうのは、くれぐれもしないで下さい。同じ意見の人が集まるより、ちがう意見や趣味の人が近場にいる方が私はよっぽど快適です。

『大才子・小津久足』感想(23)

『大才子・小津久足』感想(24)

Twitter Facebook
カツジ猫