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ムカムカとモヤモヤ

都知事選の後も、蓮舫さんとそれを支持した人たちへの攻撃が、しつこく続いているようで、小池都知事を当選させた人たちは、よっぽど自信がないんだなあ。都知事のリコール運動も起きてるようだし、自公政権や首相への支持はあいかわらず低下しつづけてるようだし、それも当然かもしれない。

そもそも、もともとの投票率が高くもない上に、蓮舫さんと2位の票を合わせれば小池都知事の票と同数かそれ以上になりそうなのだから、どうしたって東京都民全体から支持されている感じがしない。それを挽回しようと努力をしようという気配も見えないから、結局、逆らうものを黙らせる方向にしか、力が向かわないんだろう。つらつらどうも、情けない。

ついでに、それほどムカムカではないが、モヤモヤしていることを書いとくと、ここ数回の朝ドラの「虎に翼」、なかなか含みのある脚本で、どう展開していくのか予断は許さないが、私は前にも書いたけど、あの、花江さんと子どもたちの中で無邪気にすくすくのびのび育ってるという優未ちゃんが、あまりいい環境にいるとは思えないんだよね。

前に私は、自分の前で「くつろげるわー」と羽をのばしている相手に、「くつろぐなアホ」と言いたくなる、みたいなことを書いた。それですぐ、しまったと思ったというか、あー、またやっかいなことになると思ったのは、こういうことを書いたり言ったりすると、「私のことか」と恐縮して反省する人は、まったく(たとえくつろいでいたとしても)気にさわらない立派な人たちで、「そのとおりですね!」といやに同感する人に限って「おまえに言ってんだよバカ」と言いたくなる人たちなんだよねー。これはもう、いつも絶対変わらない。まあ世の中そんなもんなのかも。

くつろいでたって、したい放題してたって、全然気にならない人は多い。そういう人は多分ふだんから、そうやってしたい放題していても、自然と何かを守ってることができる人なんだろう。まさに論語の「心の欲するところに従って矩を超えず」ってやつよね。

まあどうせが他人のことだし、私自身も人のこと言えたもんでもないから、私は「くつろぐなアホ」と思っても、別に口には出さない。放っておいたらどこまでつけあがるか見てみたいという好奇心にも抗えない(親友たちがしばしば指摘するように、私は多分、性格が悪い。千早瞬平君なんかメじゃない)。

ただ、そういう人の中にもさまざまな人はいて、たとえば私だからとなめて甘えてくつろぎまくる人もいれば、自分には能力や魅力があるから切り捨てられることはないと安心している人もいる。まあ、それが重なっている人もいる。

とりあえず、この「自分には魅力があるから、あなたのことはつなぎとめられる」と、心のどこかで確信してる人というのは、すぐでなくても、その内に次第に確実に、その心理が見えてくる。外見であれ、話術であれ、才能であれ、何かともかく、自分には魅力があって、私ごときが見限ることなどあるわけがないと、どこかでたかをくくっている。

あいにく私もたいがいな自信家で、自分が自分であることを最大限の幸福と考えているから、そういうすぐれた他人の特質は味わって楽しみこそすれ、失っても消えても、まるで何とも思わない。そこがまるでわかってなくて、自分の魅力が私に作用していることを、たのみにしている人というのが、私には純然と理解不能だ。もしかしたら、そういう外見や能力をたのみにするほど、そういう人は、どこかで自信がなくて不安なのかもしれないが(そんなの知ったこっちゃないわい)。

で、こういう、生煮えの怪しげなスター気取り、お姫さま気分というのは、どう見ても、花江さんと男の子たちの中で、過ちもただされないまま、実際にお姫さま呼ばわりされて育てられる、あの優未さんのような育ち方の中で醸成されるんだろうなと、見ていると、まざまざとわかるのだが、そう思う人はいないのだろうか。あのままだと、それこそ未来は小池百合子みたいな人間になるのじゃなかろうか。

花江さんたちは、自分たちが厳しくできない分、母の寅子にその役割をやってもらうかというと、そうでもなく、変に遮断してしまっている。母に甘えられないかわいそうな子どものために、ユートピアとパラダイスを作ってしまってどうするんだい。

知っている人で、再婚したら、死別した前の奥さまの子を、ご主人の両親がかわいそうがって、かわいがって、多分彼女の批判も聞かせて、それはまあしかたがないかもしれないけど、それでその子どもと彼女の仲は決定的に悪くなり、時間的にも空間的にも本人たちをはじめとした、たくさんの人を不幸にした。
 ご両親が彼女をほめて、母子の中をとりもって、自分たちをもうちょっと悪者にしていたら、どんなに多くの人が救われただろう。似たような例を山ほど見て来た。

親子関係に限らない。大学という職場で、ともすれば、「学生に厳しい理解のない先生」から学生を救うという役割を意識して、常に「学生の味方」でいようとする先生がいる。それも大切だが、ともすると、それは「嫌われる厳しい先生」をより厳しくし「学生の敵」になるという生きがいを持たせてしまったりする。

私は若かったし、学生に人気があったが、それでいろいろ失敗もしたはずだが、少なくとも心がけていたのは、「学生の味方、救い主」になって、厳しい嫌われる先生と学生の仲を割くようなことは決してしないということだった。だから、嫌われていると思いそうな先生には、学生のいい評判を伝えたりして、私以上に「学生の味方」にその人になってもらうように努めた。その方がこっちの仕事も減るからちょうどいいのだ。そして指導学生には常々「私は大学や他の先生とよくけんかして、評判もよくないから、あんたたちが不正行為やその他で処分にあいそうになっても、私の弁護は効果がないし、私の指導学生というだけで厳しい処分を受ける可能性だってあるから、ゆめゆめ油断しないで気をつけておいてね」と言っていた。まあ、まったくの嘘でもない。「私は多分、あなたたちを弁護するより、『どうぞ思い切り厳しいご処分を』と言いかねないから、そのつもりでね」とも教えていた。それも別に嘘ではない。

そういう感じで見ていると、どう考えても病気なのは寅子よりも花江さんたちであり、あの家庭環境は寅子がいようがいまいが関係なく、優未にとっては最悪だとしか思えない。ああやって、ちやほやされて、何かが足りないと思いつつ、故のない自信であふれた、不安定で変なにせお姫さまが出来上がる予感しかしない。これからどうなるかは知らないが、さしあたりは、あの気味悪い生暖かい泥沼から抜け出せただけでも、彼女にとっては大変に幸福だったのではないだろうか。

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カツジ猫